神の企み

 神様を見送ると、ご主人は「帰ろっか」と、アイテムボックスに馬ごと荷馬車をしまった。

 馬は生き物だから入らないのではと心配したが、ご主人は「大丈夫大丈夫」と言って躊躇なくアイテムボックスに入れる。


 ……入るんだな。

 という事は、まさか私も……いやいやいや、それは考えてはいけない。


 私は頭の中に浮かんだ悪い想像を必死にかき消した。ご主人はそんな私を不思議そうな顔で見るが、「いえいえいえ、何でもありません!」と私が言うと、ふふっと笑って使い魔の私共々、家までテレポートした。



「おう、イズミ。どうした? 今日は早いな」


 椅子を限界までリクライニングした状態で、バルが私達を出迎えてくれた。とても接客の態度とは思えないが、どうやら今日はすでに店じまいらしい。


 バルは筋肉質の大男でガラも悪いが、なぜか貴族のおば様方に人気があり、いつもその日の販売分を午前の内に売り切ってしまう。

 だからといってその分他の仕事を手伝うという考えはないらしく、午後はこうしてダラダラ過ごしている。


 ご主人の方も特にそれを気にした様子はない。「本来1日かけて売る分量を、バルさんの力量によって早く売り切っただけ。その後何をしようとバルさんの自由」といった感じだ。

 確かにこの男の性格を考えると、「午前中に与えられた分の仕事が終わったら、午後は他の仕事を手伝え」なんて言ったら、きっと午前で終わる分を1日かけてダラダラ売るようになるだろう。


 ……いずれにしてもこの男の思い通りというのが、なんとも納得がいかない。



「今日は神様から空間の力を頂いたので、テレポートで帰ってきました」

「またなんかもらったのか。随分太っ腹な神だな」


 ご主人は、バルに今日あった出来事を簡潔に伝えた。


「そうか。じゃあもっと売るのが楽になるな。俺の肩の荷も下りるって訳だ」


 そもそも最初からそんなに荷が乗ってないだろ。


「そうですね。私も明日からはもっと沢山持っていけそうなので、その分もっとワインを作りますね」

「おう、頑張れよ!」


 お前もな!



 それからというもの、工場にある分のワインを全て持って行けるようになったので、売上は10倍以上になった。今まで出荷に時間をかけていたご主人も、生産に時間を割けるようになり、さらに売上が増しているようだ。


「おい、嬢ちゃん。今日は1人5本まで買えるって本当かよ?」

「ええ。沢山買って沢山飲んでくださいね」


 アイテムボックスで沢山運べるようになった事で、行列はさらに長くなった。使い魔の私も整列を手伝っている。


「お客様は何本お買い上げですか?」

「もちろん5本だよ!」

「私も5本!」

「はーい、今日のビンテージワインの販売はあと1組までですよー」

「よっしゃ! 俺も買う!」

「はい、ここで今日の分締め切りまーす」


 いまや行列は王都付近まで伸びている。王宮に勤める騎士達も噂を聞きつけ、こっそり変装して並んでいると聞く。うちのビンテージワインの評判はついに王宮にまで届く程になった。



 ちなみに、神様の思惑がどうなったかというと……。


「ご主人、お疲れ様でした」

「今日も沢山売ったね。じゃあ、帰ろっか」

「はい!」


 ご主人はアイテムボックスに荷台だけ入れると、私とせーので馬に飛び乗り、颯爽と家に帰っていった。



 行きが楽になった分、帰りも楽をしたくてたまらなくなるだろうと踏んだ神様だったが……今まで行きも帰りも馬車で行っていた分、今は重い荷物も運ばなくていいし、1回分楽になったし、馬で駆ければ30分で戻って来られるしで、何の問題もないどころか、大満足してしているご主人だった。



「くっくそ、人間めぇーーーーー!!!! 今度こそ覚えておれーーーーー!!!」







 神は考えていた。

 ほんの気まぐれで始めた神の力の"貸出"だったが、15年たった今も禁じ手が使われる様子はない。当初の予定より"返却"に大分時間がかかっている。

 それどころか、既に3つの力を奪われている状態だ。同じようにやっていては、一向にこの状況は変わらない。


「そろそろ本気でかからねばな」




 朝、ご主人といつものように朝食を食べていると、玄関のドアをノックする音がした。


「はーい」


 ご主人が小走りで向かってドアを開けると、穏やかな笑みを浮かべた神様だった。


「あら、神様。おはようございます」

「うむ。少しお邪魔してもよいか?」

「ええ、どうぞ。今コーヒー入れますね」


 ご主人は食べかけの朝食を一度キッチンに片付け、テーブルを布巾で軽く拭くと、神様を席へ促した。私もそれを見て慌てて自分のお皿を片付ける。


 ふと神様と目が合うと、思わずビクリと身体が震えたが、神様はそんな私の様子も温かな目で見つめている。


 ……怪しい。この目、絶対に何か企んでいる。


 神様に「どうぞ」とコーヒーを差し出すと、「突然お邪魔してすまない」と言ってさっそく神様は話し始めた。


 突然の訪問は今に始まった事ではないと思うが。わざわざ気遣う素振りを見せる辺りが益々怪しい。


 それでも気遣いなどした事がないのか、食事の途中だというのに、それに対する配慮は全くない。"気がない気遣い"なのがよくわかる。


「そなたらのワイン、随分繁盛しているようだな」

「はい、おかげさまで」

「うむ。余も飲んでみたが、実に美味しかった」

「飲んでくださったんですか。ありがとうございます」


 おそらく神様は「余のおかげで繁盛しているというのに、余への献上がないぞ」というかなりかなり遠回しな嫌味のつもりなのだろうが、もちろんご主人に気付く様子はない。


 私の予想だが、おそらく神様は「難癖をつけてやろう」とこっそり買いに来たものの、一口飲むとあまりの美味さに驚き、でもそれだとなんだか癪なので、以降一切口にせず(でもあの味を忘れられず、傍に置いてチラチラ眺めてはいる)、それどころか「こんな不味いワインは飲んだ事がない!」と悪評を流したに違いない。


 実際その噂は私の耳にも聞こえてきたが、それとセットで「あいつの味覚がおかしい」と噂の主を不審がる声も聞こえてきたので、神様の思惑は今回も上手くはいっていないらしい。



 神様は穏やかな(つまり怪しげな)笑みを深めると、ご主人に向けて祝辞を述べた。


「余も自分の事のように誇らしい。そなたももっと自分を褒め称えよ。そうだ、祝いとして、そなたに新たな力を授けようと思うのだが、どうだ?」

「いえ、そんな。この前も頂いたばかりですし」

「遠慮するな。これは祝いだ。断ってもらっては困る」


 なるほど、神様も考えたものだ。祝いと言われたら受け取らざるを得ない。

 祝いとは本来贈る相手が喜びそうな物を見繕って贈るものだが、この方の場合は自分の都合で贈りたい物に「祝い」の言葉を着せて贈るのだろう。

 そんな物を有難く受け取らなければならないとは、"祝い"ではなく、もはや"呪い"だ。


「そうだ、祝いだからな。とっておきの力をやろう。"消滅の力"だ。この世界にあるモノは何でも消す事が出来る。そのモノに手をかざし念じるだけで、一瞬でそのモノを消せるのだ。凄いであろう? 邪魔なモノは何でも消し去ってしまえばいい。もはやこの世界はそなたの思うがままだ」

「そんな強力な力……禁じ手はさぞ厳しいものなのではないですか?」


 神様の口車に乗せられてしまう前に、聞くべき事を聞いておかなければ。

 "消滅の力"……確かに魅力的な力ではあるが、これだけ神様が強引に渡そうとするのだ。きっと恐ろしい裏があるに違いない。


 最善は受け取らずに済む事だが、受け取らざるを得ないのであれば、せめてリスクだけは知っておきたい。


「これは祝いだぞ。そんなものあると思うか?」

「禁じ手のない神の力などない筈では」

「それはグレイ、お前がそう思い込んでいるだけではないか?」

「そんなことは……!」


 私が思わず声を荒げると、ご主人が間に入り、それを制した。


「ありがとうございます。有難く頂戴いたします」

「ご主人っ……!」

「はっはっはっ、そうかそうか。受け取ってもらえてよかった。存分に使い、存分に楽しめ。ではな」


 神様はご主人の気持ちが変わる前にそそくさと帰っていった。




「ご主人」


 私が声を掛けると、ご主人は穏やかな笑顔でそれに応えた。その笑顔は私に「大丈夫」と言っていた。

 私は渋々こくりと頷いた。



 本当に大丈夫だろうか……。

 私はそのまま深く考え込もうとすると、ご主人から呼び止められた。


「グレイ? 何してるの? だから朝食の続き食べましょ」

「へ?」

「もう。今『じゃ、朝食の続き食べよっか』って目で合図したら頷いたじゃない」

「え、あれそういう合図だったんですか?」



 …………本当に大丈夫だろうか。

 あのご主人、まさか朝食の続きを早く食べたかったから、神様の言う事をあっさり聞いたんじゃないですよね……?



 危機感がなさ過ぎる……!

 なんか益々心配になってきたぞ。

 あんな強引な神様……どう考えても今まで以上に何か悪い事を企んでいるに違いない。


 いや、もちろんご主人の事は信頼している。ご主人はこう見えて慎重だし、今までだって危なげなく切り抜けてきた。


 問題は、ご主人が神様の事を善良でちょっとおバカな方だと勘違いしている事だ(おバカな所は間違っていないが)。ご主人が何か困る度に力を与えてくださる方……もしかすると恩人とすら思っているかもしれない。当の神様は自分の私利私欲の為にやっただけだというのに。


 それと、もう1つ心配な事がある。今まで難なくこなせていると「今回もきっと大丈夫だろう」と根拠のない自信が芽生え、いつもの慎重さを欠いてしまうのだ。

 危なげなく切り抜けてきた……それはつまり、ピンチの状態になった事がないのだ。


 ご主人がいつものように慎重であってくれればいいのだが……。




 グレイの予想通り、神は恐ろしい事を企んでいた。


「ふはははは、こうも上手くいくと、笑いが止まらんな。禁じ手、余はないとは言っておらんからな。ない訳ないではないか! それをしっかり聞いておかぬとは。人間とは本当に愚かよのう。……それにしてもグレイのやつ、めざとく聞きおって。あやつもすっかり人間のものになり下がったな。余についていればよいものを。もう今更『戻りたい』と泣きついても戻る場所などないからな。地の果てまで後悔するといい!」



(余は随分生ぬるい事をしてきた。今までは何もしないでいてやったが、それもこれまで。神と人間の差を思い知らせてやる……!)

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