3つめの力
ご主人のワインは、注文が相次ぎ、出荷が追いつかなくなっていた。
販売は工場の隣の販売スペースでも行なっているが、何しろ街から大分離れているので、ここまで買いに来られる人は馬車を所有する貴族か裕福な商人に限られていた。
やはり販売手段のベースはご主人に託されており、ご主人が馬車に入るだけワインを詰め込み、片道2時間程かけて街まで行き、馬車をそのまま屋台のようにして売っていた。
この世界では馴染みのない手法だったが、前世の記憶によるものなのか、道ゆく人に声を掛けながらワインの試飲を促すと、評判が評判を呼び、今ではご主人が来る前から、ご主人の馬車待ちの列が出来ていた。
「お、やっと来たか! 待ってたぜ!」
「お待たせしました、皆さん。今から販売を開始します。沢山の方に味わって頂きたいので、1人2本まででお願いします」
「おいおい、嬢ちゃん。2本なんてすぐ飲んじまうぞ」
「すみません、また明日も来ますから」
「しょうがねぇ、明日も並ぶか!」
街の人達は、行列に並ぶのも満更ではない様子だ。この世界の人達が行列に並ぶのは、王族がパレードをする時くらいなもので、ましてや食料品を買うくらいで並ぶ習慣などなかった筈なのに。
だが、並んでみるとそれはそれでいいもので、待ってる間の胸踊る時間を楽しんでいるようだった。
「なになに、ふむふむ、そうかそうか」
その様子を神様は見逃さなかった。
神様は上からその様子を見て、何やら思い付いたらしく、ニヤリと笑って、下界に下りていった。
とても賑わっている街なので、さすがの神様も迷わずここまで下りてこられた。ちょうど本日の販売を終えて帰ろうとしているご主人に声を掛ける。
「繁盛しておるようだな」
「あら、神様。ご無沙汰しております。おかげさまで」
「うむうむ、よいよい」
ご主人が頭を下げて丁寧な挨拶をするので、神様もご満悦の表情だ。この神様は、とにかく崇められるのが好きなのだ。単純とも言える。
「しかし、そなたの家はここから随分と離れていて大変そうだな」
「片道2時間程かかるので、ちょっとした旅行気分ですね、ふふ」
「いやいや、そんな無理をする事はない。余が少し力を貸してやろう」
嫌な予感がする。神様が笑顔で提案してくる内容が、良い話であった事がない。
「そなたはこの世界でとてもよく頑張っておる。だから特別に余の"空間の力"も貸してやろう」
「空間の力、ですか」
「そうだ。ようは空間魔法だ。まずこの力には、物をいくらでも収納して運べるアイテムボックスがある。アイテムボックスを持っている人間は他にもいるが、余のように無限に入るものを持っている者はおらん。神仕様なのでな、これは特別だ。これがあれば、そなたは好きなだけワインを詰めて運ぶ事が出来る。それだけではない。この力には、そなた自身を運ぶテレポートの力もある。1日1回しか使えんが、知っている場所ならこの世界中どこへでも行ける。つまり、わざわざ2時間もの時間をかける事なく、大量のワインを運べるわけだ。どうだ? もっと荒稼ぎが出来るぞ」
「それは便利ですね。禁じ手はあるんですか?」
「さすが。もう商人の顔だな」
神様はニヤリと悪い笑みを浮かべた。
「禁じ手は、テレポートを1日1回を超えて使用する事だ。テレポートは、自身の魔力を消費せずに使える代わりに、この大気中に漂う魔力を大量に消費する。1回使う分には全く問題はない。まだ十分に余力があるし、1日経てばすぐ回復する程度だ。だが、一度に2回も使えば、この世界の魔力は一瞬で枯渇するだろう」
この世界の大気は、一定濃度の魔力に保たれていて、そのおかげで魔物も一定数で抑えられている。それが枯渇すると魔物は大量発生し、人類は容易に滅びてしまう。だから大量に魔力を消費するテレポートは、1日1回までという制限があるのだ。
「テレポートは1日1回しか使ってはならんが、使おうと思えばそれ以上に使えてしまう。2回分の魔力はどうにか足りるからな。だがそれは決して許される行為ではない。もし1度でもその禁じ手を犯した場合、その時点で時の力と複製の力と共に、この空間の力は余に返還してもらう」
たとえ複数回テレポートを使ったとしても、犯した禁じ手は空間の力に対してだけだというのに、他の力まで取り上げるとは……相変わらず悪どいお方だ。
しかし、ご主人はそれでも構わないようだった。
「わかりました。空間の力、有難く頂戴いたします」
確かに空間の力があれば、今の負担が半分になる。だが、力を与えられる度、禁じ手を犯すリスクは増えていく。
「そうかそうか。この世界、存分に楽しめよ」
(今のうちにな)
神は最後の言葉を心の中に留めると、満足そうに帰っていった。
「行きを楽に行けると、帰りも楽をしたくなるのが人間というもの」
一度楽な方法を知ってしまえば、わざわざ大変な道を選ぶ事が馬鹿馬鹿しく思えてくる。
(本当にこの力を2回使ってはいけないのか?)
(もしかしたら本当は使っても平気なのでは?)
それは日を追うごとに悪魔の囁きとなって己を誘惑し、その内うっかり禁じ手を犯す。
人間とは心の弱い生き物で、生まれた時からいかに楽をして生きるかばかり考えている。
ニンジンがいつも目の前にあるというのに、それを食べない馬がいるだろうか。
禁じ手を犯すのも時間の問題だ。
神様は笑いが止まらなかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます