2つめの力

「んー今日もいい朝だ」


 下界に降りてきて早1ヶ月、もはや天界でどう暮らしていたか思い出せないくらいに満喫している。


 今のご主人は、使い魔である私をこき使うどころか、私の分のご飯(しかもそれがすごく美味しい!)も用意してくれるとても優しいご主人だ。あまり大きな声では言えないが、もうあの方の使い魔に戻れる気がしない。もうずっとここで暮らしていたいくらいだ。


 いや、それもありかもしれない。このままご主人が禁じ手を使わなければ、ずっとこの生活が続くわけだ。最高ではないか。


 それに考えてもみてほしい。この15年もの間、1度も使わなかったものを今更使うだろうか。この日々が続くのはもはや決定事項。心配無用だ。


「そろそろご飯にしよっか」

「はい、ご主人!」

「「いただきます」」


 うーん、今日も朝から最高だ。トーストにハムとチーズがのったシンプルなものなのに、どうしてこうも美味しいのだろうか。とろけるチーズを口からビヨーンと伸ばしながら、思わず至福の顔になる。それに良きタイミングでコーヒーも運ばれてくる。至れり尽くせりだ。


 うん、この生活は全力で守ろう。



「しかしわからないものですね。初めて天界で会った時は死んだ魚のような目をしていたのに。今では信じられません」


 今のご主人は、前向きで明るく活動的だ。思い立ったら「とりあえずやってみよう」とすぐ行動にうつすし、かといって行動は無計画というわけではなく、「なるほど」と唸るような発想をする。神様の気まぐれで転生したとはいえ、この生活を満喫しているようで何よりである。


 そんな風に思っていると、ご主人からとんでもない言葉が返ってきた。


「あーあの時二日酔いで頭痛くって。眠いし、頭働かなかったのよね」


 ご主人は「あはは」と笑う。



 ……開いた口が塞がらない。そんな私に気付きもせず、ご主人はさらに爆弾を投下する。


「でも神様から時の力を頂いて、今は健康そのもの。二日酔いになってもすぐ回復するから、いくらでも飲めるし! 前は低血圧で朝辛かったけど、今は早起きも平気だから、色々出来るしね。転生してよかった! 転生最高! せんきゅー神様!」


 ……開いた口がなかなか塞がらない。どうやらご主人は私が思っていたより遥かに大物だった。


 さらによくよく話を聞いてみれば、おじいさんが亡くなってから10年もの間、彼女はずっと家に籠りきりだと思っていたが、勝手口から毎日狩りや買い出しに出掛けていたという驚きの事実も飛び出した。表の玄関からしか監視していなかったが為に全く気付かなかった私達も私達なのだが。


 つまり、おじいさんが亡くなった事を10年もの間ずっと引きずっていたというのも、私達の勝手な思い込みだったのだ。



 それはそうだ。毎日時の力でおじいさんに会っていたのだから。


 神様もこんなご主人に手を出すとは。なんとも運が悪いとしか言いようがない。

 対してそのご主人の使い魔になった私は、なんと運が良いのだろう。これからの生活を想像すると、ニンマリせずにはいられなかった。





 一方その頃神様は……

 時の力を取り戻そうと、下界に降りてきていたものの、迷子になっていた。


「ここはどこだ。なぜ誰も道を教えてくれんのだ!!」


 それもその筈。通りがかりに出会った動物達は偉大なる神に従おうとはするのだが、そもそもご主人の家の場所を知らないのだ。

 私に全て任せっきりで家の位置もろくに覚えようとしなかった神様の致命的なミスである。




 それでもやはり神なのか、ヘトヘトになるまで歩き回って、どうにかご主人の家までたどり着いた。


「はぁ……はぁ……こ、ここか……やっと……」


 最後の力を振り絞り、居住まいを正して扉をノックする。

 誰もが崇める神様だ。"神"という凛としたイメージを崩してはならない(というより、ご主人にかっこ悪い姿を晒すなど屈辱的で耐えられない)が為に、そこはなんとか頑張れるらしい。


「はい、どちらさ……ゲ!!」

「なんだ、グレイ。久しぶりに会ったというのに、随分な態度ではないか」


 デザートの果物を切っているご主人の代わりに戸を開けると、今最も出会いたくない顔がそこにあった。

 神様は笑顔だが、目は全く笑っていない。というより、どことなく黒いオーラが……。


「はは、とんでもない! ご無沙汰しております、神様!」

「ん? グレイのお客様?」


 私の大きな声に反応して、ご主人がキッチンから顔を出した。


「あら、神様。ご無沙汰しております。お元気でしたか?」

「そなたも元気そうだな。余もこの通り元気だ」


 そうでしょうか、私にはあなたがどことなくやつれた様に見えます。


「すみません、今朝食を食べていたところだったんです。神様も召し上がりますか?」

「いや、構わん。腹は空いていないからな」

「では、コーヒーをお持ちしますね。そちらにどうぞ」


 ご主人がコーヒーを淹れに、またキッチンに行ってしまった。その間テーブルに2人きりになり、私の身体中から嫌な汗が噴き出した。

 終始無言のまま時を待つと、ご主人が戻ってきてコーヒーを差し出した。



「それで、今日はどうなさったんですか?」


 待ってましたとばかりにニヤリと笑うと、コーヒーを一口飲んでから、神様が答える。


「そなたはこの15年、時の力をよくぞ使いこなした。禁じ手を使いたくて使いたくてたまらなかったであろう。よくぞ耐えた。まずはそれを称えよう」

「いえ、特に耐えたつもりはないのですが」

「いや、そなたは耐えたのだ。余にはわかる。だからその褒美をやろうと思って、わざわざここまで来てやったのだ」

「はぁ。ありがとうございます」


 さすが神! ご主人の話を全く聞く気がない!

 ご主人は何が何だかわからずキョトンとしているが、神様は気にせず話を続ける。


「時の力にはもう飽きてしまっただろう。そこで今度は、そなたに"複製の力" を貸してやろうと思ってな。聞いて驚くでないぞ。複製の力とは、目に見えるものであれば、何でもいくつでも複製を作る事が出来る力だ。例えば、金貨に複製の力を使えば、大量に金貨を作る事ができ、そなたは永遠にお金に困る事はないだろう。それで私利私欲を働こうと、余は何も文句は言わん。好きに贅沢するといい。それだけではないぞ。人間に使えば、10人までなら分身を作る事が出来る。1日2時間しか持たんが、分身は本人と全く同じ力が使える。やりたくない事は全てその分身にやらせておけばいい。そうすれば、そなたは永遠に楽して暮らせるぞ。どうだ? 素晴らしい力だろう。その代わりに時の力は返してもらうが、問題ないな?」


 神様は畳み掛けるように言うと、口角を上げた。


「しかしそれにも禁じ手が存在するのでしょう?」


 ふと心配になって、ご主人の代わりに私が聞く。神様はギロリと私を睨みつけ、ふぅと一息吐いてから話を続けた。


「確かに禁じ手はある。だが、時の力ほど難しいものではない。禁じ手は『10人を超えて分身を作る事』と『1日2時間を超えての分身の使用』だ。複製の力では分身は10人までしか作る事は出来ないし、その持続時間は2時間が限度だ。だが、自身の魔力を消費すれば、その限度を超えて分身を作ったり、分身の時間を延長したりする事が出来る。つまり、うっかり魔力を使えばその力は失われるが、まさかそんな馬鹿な事はしまい。どうだ? 悪い話ではないだろう?」


 嘘だ。神様の顔がそう物語っている。


 時の力ほど難しくないとはよく言ったものだ。

 時空魔法はどう足掻いても2時間までしか使えなかったが、今回は魔力を使いさえすれば分身の増員、使用時間の延長が出来る。便利さゆえに、欲求はエスカレートし、延長してしまうに違いないと神様は考えたのだろう。


 人の欲とはとめどなく溢れる。1人分身を作ってその便利さを知ってしまえば、もう1人、さらにもう1人と、しだいに増えていく。時間だって、2時間などあっという間だ。多くの利益を得たければ、禁じ手を犯すしかない。


 人を甦らせるという大業を成す時の力より、禁じ手へのハードルが低いのだ。普通の人間であれば、容易にそのハードルを飛び越えてしまうだろう。


 私がご主人へその提案を断るよう促そうとすると、その前にご主人自らはっきりとした声で答えた。


「ありがたいお話ですが、お断りします」

「なっ!? そ、そう遠慮するな」

「いえ、遠慮はしていません」

「何が不満だ? これの何がいけないのだ? 嫌な所は変えるから」


 神様、もはや恋人の別れ話みたいになってますが……。


 必死に食い下がる神様だが、ご主人の答えは変わらなかった。


「その力が不満な訳ではありません。私はただ以前頂いた時の力に満足しているだけです。私にはこの力だけでもう十分です」

「それでは余が困るのだ!!」


 急に声を荒げる神様に、驚くご主人。

 神様も大分焦っているようだ。人間にここまで素顔を見せるとは。


「……失礼した。それならこれではどうだ。時の力はそのままで、追加で複製の力を付与する事にしよう。その代わりいずれかの禁じ手を使えば、時の力と複製の力、いずれも余に返還してもらう。これならば文句はないだろう。いや、文句など言わせん」


 ご主人は暫く黙って考えた後、神様の方を真っ直ぐに見つめた。


「はい、それならば有難く頂戴いたします」


 この言葉を聞いて、神様はようやく満足そうに帰っていった。

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