第2話 賢者の森


 賢者の森、それは賢者が住む森、というわけではない。


 賢者がいるというのはあくまで迷信で、その本当の姿は多くの凶暴な魔物が生息する恐ろしい森なのだ。その余りにも高い危険度から、十五歳未満は近づくことすら許されず、成人したものでも数日間経って帰ってこないものは死人扱いされるほどだ。


 そんな場所に十五歳の俺が行ったところでどうなるんだ、そんな気持ちで一杯だった。


 だが、俺だって今まで十年間鍛錬し続けてきたんだ、簡単に野垂れ死ぬわけにはいかない。全力で抗ってやる。


「ブギィイイイ!」


 それはオークの鳴き声だった。しかも三体もいる。オークなのにも関わらず群れを成して行動している。それだけでこの森の脅威度が窺えるというものだ。


 カタカタカタカタ、剣を持つ右腕が、左腕が、全身が震えているのが分かる。そう、俺は初めての実践経験なのだ。魔物の知識は座学で得たものでしかない。


 そもそもウルス家の剣技というのは対人に特化しており、魔物と戦うことは想定されていない。それは国が安全であり、魔物と遭遇するということがほとんどないからだ。


 ここ賢者の森のように確かに危険な場所もあるが、そういった所ほど厳重に警備されているため国としては安全であるのだ。


 ふぅ、ふぅ、ふぅー。落ち着け、大丈夫いつも行っている鍛錬と何も変わらない。ただ斬る対象が案山子からオークに変わっただけだ。何も恐れることはない、いつも通り行うだけだ。


 オークの一体がこちらに走り始めた。恐らく久々の人間に興奮しているのだろう。


 その時、俺はやけに冷静だった。初めての実戦、初めての魔物との命を賭けたやり取りであるにも関わらず、体が勝手に動くような、そんな感覚だった。


 軽く力を抜いて腰を落とし、タイミングを見計らって、


「はあっ! 居合斬り!」


 ザシュ、、、ボトッ


 オークの首を居合い斬りで刎ねることに成功した。だが、これで残りの二体は警戒しているはずだ。全員倒すまで決して油断するな。


 今度は二体が同時に俺に向かって走ってきた。俺は再び腰を落として今度は剣を抜いて構えをとる。二体同時に斬ることはできなくもないが、致命傷を与えられないので、一体だけを狙う。


 すると今度はもう一体に狙われる可能性があるから、さっきのような居合斬りではなく、斬り下がりで敵の機動力を削ぐ。


 ザクッ


 相手の足を斬りつけた。そして、すぐさまもう一体のオークに飛びかかり首を刎ねる。そして、足を斬られて動けないオークにトドメを刺して、終わりだ。


「ふぅーーー」


 なんとか賢者の森での初戦は勝つことができたようだ。魔物相手にもちゃんと剣が通じるようで良かった。でもまだ油断はできない。オークがこの森でどのくらい強いかは分からないが、一番ではないのは確かだろう。


 まだまだ気を引き締めていかないとだな。


 ❇︎


 ザシュ


 俺は再びオークを斬り捨てた。これでもうすでに二十体以上のオークを倒している。それにしても話に聞いていた以上の魔物の量だな。これだけ沢山の魔物が跋扈しているのなら、未成年が立ち入りを禁止されるのも頷けるな。


「それにしても父さんは何故ここに行けと言ったのだろう?」


 俺がウルス家の人間に捕まることを危惧したのだろうか。単に逃げるだけでは本家の人間を寄越されれば簡単に捕まってしまうだろうからな。その点、確かにここは大人でも危険で、ここまで来て仕舞えば追手が来ることもないだろう。


 しかし、大人でも危険ということは成年になりたての俺でも勿論危険ということだ。今はなんとか生きているが、オークの数倍強い敵が現れたらと考えると、、、


 いや、父さんは俺ならきっとこの森を抜けられると信じてくれたんだろう。きっと、そうだ。俺だって生半可な気持ちで修行していたわけじゃないんだ。絶対にこの森を抜けてみせる!


 そんなことを考えていたからだろうか、それとも単に長時間の戦闘による疲れからだろうか、先ほどまで聞こえていたはずの敵の足音が聞こえていなかった。


 ザザッ


 その音が俺の耳元に届いた頃には既に背後を取られていた。


 俺は瞬時に刀を抜き、後ろにいるであろう敵に斬りかかった。しかし、その刀は空を切った。


 背後を取ろうとしてきたことから、オークなんかよりもよっぽど知能があるということだ。そして、この森でオークよりも知能が高いということは即ち戦闘力も高いことを意味するだろう。


「オークの数倍強い敵……」


 先ほどの嫌な想定が頭中隅々まで駆け巡る。ゴクリ、覚悟を決め


 ブチャッ


 一瞬、自分に何が起きたかすら理解できなかった。そして気づけば、自分の左足が無くなっていた。


「え?」


 そして、数拍後にその意味を理解した。だが俺の体は誰が、どこからどうやって攻撃したのか、敵の情報を集めるために全ての感覚、神経を使った。痛みを感じる余裕すらなかった。


 そして俺は何も情報がないことを理解した。それでも絶望せずに次の一手を考えようとしたのは父への期待からだろうか。失われた方の膝をついて精神を統一し、次の一撃にカウンターを決める、そこまで作戦が立った時だった。


 右前方から何かが近づいてくる、俺の体全体がそう反応を示した。俺はそれに合わせて刀を振ろうと


 ブチィッ


 今度は右足を持っていかれた。速い、速すぎる。なんとか感知することはできただ、ただそれだけだ。敵の姿も見えない状況で刀を振って当たるわけもなかった。


 支えを失った俺の体は、仰向けに地面に倒れてしまった。


 これが、賢者の森。そしてこれが俺の末路。


 既に夥しい量の血が流れ出ており、確実に死ぬ運命にあった。まあ、たとえ止血できたとしてもこの足では逃げることもできないし、たとえ足があったとしても敵からは逃げられないのだろう。


 俺の短い人生が次々と思い出された。これが走馬灯というものか、ものすごい勢いで今までの思い出が、記憶がフラッシュバックしていった。


 俺はそれを見ている内に一つの答えに辿り着いた。さっきは無意識に頭の中から追い出していたのだということも理解した。


 そう、俺は父親からも捨てられたのだ。


 今思えば例え俺が修練をいかに積んでいたとしても、父さんの息子だとしても、成年になりたての俺が賢者の森で生き残れるはずもなかった。


 そうと分かれば、家から出るときに父さんから蹴られたのも納得がいく。やっぱり本当は剣士になれなかった俺を侮蔑していたのだろう。


 あぁ、神からも父からも見放される俺なんて、死んで当たり前の人間だったのだろう。もう、一思いに殺してくれ。


 意識が朦朧とし始めた。ああもう、いよいよ死ぬ時がきたようだ。死ぬ時というのは案外眠りにつくようなものなのだな。


 そんなことを感じていると、俺は聞こえるはずもない声が聞こえてきたような気がした。もう、天からのお呼びがかかったのだろうか。もし、神様なんて存在がいたら文句の一つくらいは言わせてほしい。


 なんで魔法士なんかにしたのか、と。

 なんで剣族なんかに産んだのか、と。


「あっ、おいお前! 大丈夫か? しっかりしろ! クソ、なんでこんな所に人間がいるんだよっ!」


 だが、俺の意識はそこで途絶えてしまった。

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