第7話 今日のお兄ちゃんは黙劇をする

 私はお兄ちゃんの妹。私は今リビングのテレビで落語「時そば」を観ている。お、見せ場だ。

 噺家はなしかがそばを受け取る。スンスンと鼻を動かすと。湯気が立ち上るのが見えるようだ。手に持った扇子を箸にみたててそばを持ち上げる。

 ――ズゾゾッ。

 噺家がそばをすする音。そばが見える! 見えるよ! 私は思わず拍手する。


 落語を見終えて満足な気分に浸っていると出囃子でばやしに勝るとも劣らない陽気な音楽とともにお兄ちゃんがリビングへ入ってくる。――ッ!! お兄ちゃんだ!! お兄ちゃんがヒップホップで!! Hey!!


 ……おっといけない。落ち着け。私はブラコンじゃない。お兄ちゃんの妹であることをアイデンティティとしているだけだ。だから、お兄ちゃんのストリートな姿にテンションを上げたりしない。


 というかお兄ちゃんはヘッドホンしてるのになんで私に音楽が聞こえるんだろう。なんて思ってたら音楽がむ。

 その瞬間、ピタッ! という効果音と共にお兄ちゃんの動きが止まる。比喩的表現ではなく、実際に効果音と共にお兄ちゃんの動きが止まった。ノリノリで歩いている途中のポーズで、まばたき一つしない。

 時間が止まる。そして私は理解した。これはパントマイムだ!


 音楽が鳴りだすのと同時にお兄ちゃんは動きを再開する。私はわくわくしながら観劇する。

 お兄ちゃんは再び歩き出す。私の方に近づいてくるが何かににぶつかる。コツンッ! コミカルに片手で額を抑えて頭を振る。ブンブン! そのまま反対の手を腰の前あたりに出し、何かをつかんで捻ろうとするが。ガチャガチャッ。わずかに捻るもののなかなか動かない。なるほど。鍵のかかったドアだ。

 お兄ちゃんはなにか思い出したように手を打ってポケットに手を入れ、何かを探す。ゴソゴソ。そして取り出す。キラン! その手には何も握られていないが、取り出したそれを透明なドアノブへ挿して回す。ガチャリ。鍵が開いた。お兄ちゃんはドアを開けてこちら側に入ってくる。ガチャッ、バタン。


 少し不思議な感覚。お兄ちゃんは私の心のドアを開けて入ってきたのかもしれない。パントマイムは見えないはずの私の心のドアを可視化したんだ。

 私の心の内側でお兄ちゃんは劇を続ける。私はすっかり夢中になっていた。


 お兄ちゃんは手を前に突き出す。しかしあるところで止まる。手の位置を変えて何度か繰り返すと、壁が見えてくる。そして、お兄ちゃんが壁を叩くとコンコン! 指でなぞればキュッ! と鳴る。おお、これはガラス窓だ。はっきりわかる。パントマイムの基本の一つ『壁』。これに効果音を付けて、ガラス窓を演出している。よく見るとガラス窓を触る手と反対の手にスマホを持っていた。なるほど、あれでタイミングよく音を鳴らすことで実在感を高めていたんだな。

 お兄ちゃんは手招きをしてコンコン! と窓を叩く。私も叩いてみろという事だろうか。ちょっとわくわくする。


 私はガラス窓に近づいて叩いてみる。コンコン! うおっ。ほんとに窓を叩いてるみたいだ。脳が混乱する。指でなぞれば、キュッ! ははぁ。これは楽しい。夢中になってガラス窓を何度もいじくる。その度に効果音が鳴る。

 調子に乗った私は少し意地悪を思いつく。拳をガラス窓のすっかり反対側へ突き抜けさせればお兄ちゃんは困っちゃうんじゃないか? テンションの上がった私は拳を振り上げて思いっきり窓を殴る。

 ――パリン! ガッシャ―ン! ガラガラガラ!

 ッ!? 大音量でガラスの割れる音が響く。腰が抜ける。どうしよう!? 私! 窓割っちゃった。ごめんなさいお兄ちゃん! 驚いて泣きそうになる。


 だが、少しして冷静になる。ガラス窓など本当は無いのだ。へたりと座り込んだ私はお兄ちゃんを見る。とっておきのいたずらが成功したという顔だ。

 お兄ちゃんは私が調子に乗ってガラスを殴りつけるところまで想定したのだろう。私はまんまとめられというわけだ。ぐぅ。


「お兄ちゃんいじわるしないでよ~。」

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