第8話 コルザの欲しいもの

 大粒の雪がしんしんと降り積もる悪天候の中、ドニーク家の訪問を終えたコルザは、侍女と共に屋敷へ帰ると、すぐさま三階にある自室へと戻った。


 よく暖まった部屋の中では愛猫・エルヴが丸くなり、すやすやと眠っている。

 そのほっとするほどいつも通りの光景に、コルザは一息吐くと、ドニーク家を後にして以来、一言も口を開こうとしないペティアを心配そうに見つめた。

 周囲を気にしたように扉を閉める彼女の顔は、やっぱりどこか硬いように見える。


「大丈夫?」

「……ええ。平気」

「!」

 ドニーク家で何かあったとしか思えない彼女の面持ちに不安を覚えながら声をかける。

 すると、彼の声に安心したのか、小さく頷いたペティアは、不意に糸の切れた人形のようにその場にへたり込んだ。そして、驚きと心配を混ぜた表情で駆け寄ってくるコルザに、正直な感想を告げた。

「でも、怖かったぁ……」

 ドニーク家を調査していたときから続いていた、陶人形のような硬い表情をようやく解いたペティアの素直な感想に、コルザは少しだけ安心したような笑みを見せた。

 この五年で身分も素性も、そして感情さえも捨ててしまった彼女が素の表情を見せてくれるのはとても嬉しいことだった。この屋敷……いや、この部屋が彼女にとって、少しでも心休まる場所であるなら、ペティアのためにと協力してきた甲斐があったものだ。


「ごめんなさい、無事に戻って来れたと思ったら気が抜けちゃって……」

「そっか……。うん、でも本当に無事でよかったよ。心配してたんだ」

 そんなことを思いながらペティアを見下ろしたコルザは、大理石の床にへたり込んだまま、本当に気が抜けて立てない様子の彼女にそっと手を伸ばした。そして、

「ほら、ここじゃあ冷えるから向こうに行こう。何があったかも聞きたいしね」

「きゃっ…!」

 不意に彼女を抱き上げたコルザは、驚いて目を丸くするペティアを連れ、部屋を横切った。

 突然のお姫様抱っこにペティアは動揺を見せたが、彼は気にした様子もなく彼女を長椅子に下ろすと、そのまま隣に腰かけた。話を聞きたいと言って連れて来たわりに、コルザは何を言うでもなくただ傍で彼女を見つめている。

 そんな彼の様子から、コルザが自分の気持ちが落ち着くまで待ってくれていることに気付いたペティアは、何度か深呼吸すると、胸元に手を置いて心を落ち着けようとした。

 内情を知る従者の襲来と言う恐怖に見舞われたとはいえ、もうここはコルザの家。誰に気付かれることもなく資料だって持ち出せた。もう素直に喜んだっていいはずだ。

 そう思いながら自分の心と折り合いをつけたペティアは、視線を上げると、まだ少し心配そうにこちらを見遣る彼の瞳を見つめ返した。


「……落ち着いた?」

「ええ、もう大丈夫。ありがとう、コルザ」

 普段のペティアらしい凛とした姿に、ようやく本来の彼女が戻ってきたことを悟ったコルザは嬉しそうに笑った。そして、ずっと聞きたくて仕方なかった本題を、ようやく切り出した。

「じゃあ、教えてくれる? 俺の傍を離れたあと、何があったか」

「ええ。あのあと、私は……」


 そう言って首を傾げる彼の言葉を皮切りに、ペティアはあの家での自分の行動を話し始めた。屋敷内がやけに手薄だったこと。そのおかげで各階各部屋への侵入が容易だったこと。

 三階の書庫を物色中、見つけた隠し扉の中が伯爵の書斎であったこと。さらに部屋の中を調査してみると、本棚に見せかけた隠し扉をもう一つ見つけたこと。

 そこへ入った途端、外から物音がして、伯爵の従者と思しき使用人が姿を見せたこと……。

「足音がして、人が来たときは本当に生きた心地がしなかったわ。それに、使用人の勘…とでも言うのかしら。しばらく部屋の中を探っている雰囲気があって、呼吸もできなかった……」

「そっか。やっぱり鉢合わせたんだ……。実は俺も、ナルシア嬢から伯爵の従者が戻って来たって聞かされて、一瞬、どうしようか迷ったんだよね。でも、下手に動いてペティアの邪魔をするわけにもいかないと思って、結局何もできなかった。……ごめん」

「コルザが謝ることなんてないわ。怖かったけれど、無事に戻って来れたもの」

 率直に恐怖を語るペティアの言葉を、コルザは実に真剣な面持ちで聞いていた。

 確かに、今回の調査は誰に見つかったわけでもないし、実害も出ていない。それでも、怖い思いをさせてしまうかもしれないと分かっていて、何もできなかったことが悔しくて、どこか罪悪感を拭いきれないでいるのも事実だった。


「それで? その隠し部屋の中はどうだったの? 何か見つかった?」

 心に残る罪悪感と戦いながら、コルザは頭を切り替えるとそう言って話を進めた。

 すると、その言葉に少しだけ身を乗り出したペティアは、資料を取り出しながら驚くぐらい弾んだ声で答えた。

「それがね……っ! 見つけたの。私、ほら! こんなにたくさん、証拠あったよ!」

「!」

「これでようやく、復讐の準備を進めることができるわ。コルザがナルシア嬢の相手なんて嫌な役目を引き受けてくれたおかげよ。本当にありがとう……!」

 大事な宝物をもらった子供のように、ペティアは両手で資料を抱きしめると無邪気な笑顔を見せた。それは、五年前まで彼女が見せていた満開の花のような明るい笑顔だった。

 家族を失い、家名も、友達も表情さえも捨てて、復讐のためだけに生きてきた彼女の笑顔を見るなんて、もう二度とないと思っていたのに。


「……それは、本当によかったね」

 不意に向けられたペティアの笑顔が眩しくて、コルザは照れたように頬を染めると、思わず視線を逸らした。こんな場面で大好きだった彼女の笑顔を見せられるなんて、嬉しい以上に胸が高鳴って仕方がなかった。

 再会してからもコルザの気持ちは募る一方だ。

 でも復讐に心を注ぐペティアは、彼の想いなんてきっと分かっていない。

 それでも、こんなにも無防備な笑顔は反則だと思った。


「ねぇ、ペティア……」

 文句なしに整った笑顔を見返しながら、コルザは真剣な声音で小さく彼女の名を呟いた。そして、自分を見上げてくる彼女に、いつになく真面目な表情で問いかける。

「もし、ドニーク伯爵が密告者だったときは、俺にご褒美くれるって話、覚えてる?」

「ええ、もちろん。この資料を見つけられたのは、あなたの協力があってこそ。私にできることなら、なんでも言って?」

 コルザの問いかけに、ペティアは優しく微笑むと、何の躊躇いもなく言った。

 その本当に美しくて大好きな笑顔に、コルザは覚悟を決めると、彼女にそっと手を伸ばした。

 そして。


「じゃあ……キスしていい?」

 真剣に熱を帯びた眼差しで、自らの望みを囁く。


「……っ」

「これが俺の、欲しいものだ」

 そう言って、彼女の頬にそっと掌を当てたコルザは、どこか憂いに似た真面目な表情のまま、もう片方の手で優しく彼女を抱き寄せた。

 予想外の望みにペティアが動揺したのが分かったが、構いはしない。

 ここまできて、引き返すことなんて、もう……。


「……こ、コル…ザ……」

 抵抗する間もなく、互いの息遣いが分かるほど強い力で抱き寄せられたペティアは、初めて見る彼の真剣な表情に、不安とも戸惑いとも気恥ずかしさとも違うような、淡い感情が胸の中に広がっていくのを感じていた。

 肩を回って背中を抱く彼の腕は抗えないほど力強く、大きい。それを感じるだけで、怖くはないけれど、今すぐ逃げ出したいような、でも傍にいたいような…形容しがたい感情が過る。

 どうして幼馴染みの青年にこんな感情を抱くのかは分からなかったけれど、今まで経験したことのない状況に、頬を朱に染めたペティアは、彼の真剣な瞳を見つめ返すと口を開いた。

 このまま黙っていたら、本当に……。


「ま、待って、コルザ……っ、そ、あの……」

「じっとして」

「……!」

 そんな彼女の心情を察したように、不意に頬に触れていた彼の親指が、唇を撫でた。

 言葉を封じるためとは言え、突然の行為にびくりと肩が震え、さらに頬が赤らむのを感じる。

 普段の彼にはない本気の熱を含んだ瞳。恥ずかしいのに、抵抗することも、声さえも出てこなくて、熱を感じたままペティアは怖がるように目を閉じた。

 その、瞬間。


「……っ!」

 二人の唇がそっと重った。

 触れ合った部分から、今まで感じたことのないような熱が、微かな震えが、伝わってくる。

 驚いて身を固くするペティアの手からひらひらと証拠資料が零れ落ちていくのが見えたが、それでも構わず、コルザは彼女と唇を触れ合せ続けた。

 ペティアが自分を受け入れてくれたのかは分からなかったけれど、これ以上感情を押し留めておくなんて、できそうにはなかった。


「……」

「…………」


 永遠のように長い数秒の後、精一杯の口づけを贈ったコルザはゆっくりと唇を離した。

 一方、目の前で頬を染める彼女はとても困惑した様子だ。

 そのあまりにも初心であどけない表情に、コルザは照れを見せると、そのまま彼女を引き寄せ、優しく抱きしめた。彼女が見せるすべての表情が可愛くて仕方がなかった。

「……コ、ルザ……っ」

「いきなりこんなことして、びっくりした、よね。でも、どうしても欲しかった。きみに貰うなら、どうしてもこれがよかったんだ」

 自分の胸に顔をうずめ、上着を握りしめたまま震える声で名を呟いたペティアの、複雑にうねる髪を撫でる。

 ご褒美、自分でそう提案したときから、コルザには欲しいものなんて決まっていた。子供のころからずっと想い続け、五年前に一度失って、二度と叶わないと思っていたそれに、彼は嬉しそうな笑みを見せると、耳まで赤くして表情を隠す彼女の頭頂部を見遣った。

 そして、そっと髪を撫でながら、正直な感想を告げる。


「……ペティア、きみでもこんな風に照れてくれるんだね」

「……!」

「俺のことなんて、どうせただの幼馴染みとしか思っていないんだろうし、てっきりまた怒られるか、平然とした顔でスルーされるか、どっちかだと思っていたのにな」

 そう言って笑う彼の心臓はまだ高鳴ることを止めないし、こんなことをして照れくさいのも事実だったけれど、正直、ペティアの反応はコルザにとっても予想外だった。

 すると、ペティアも自身の感情に戸惑っているのか、彼女は顔を伏せたまま、まだ少し震える声で呟いた。

「私も、驚いているわ。いきなり、こんな……。なのに、今、とてもどきどきしてる。あなたの顔をちゃんと見れないくらい、どきどきしてるの……」

「……! 俺も、だよ」

 思わぬ感想に彼女を抱く手に力が入る。

「今、ものすごく恥ずかしい。でも…それ以上に嬉しい。大好きだ、ペティア……」


 ドニーク家での嫌な思いなど忘れたように、頬を染めた二人は、そのまましばらくの間、何も言わずにただ寄り沿い合っていた。

 窓の外では雪風が舞い、凍えそうな悪天候が続いていたが、暖炉の熱と煌めくシャンデリアに彩られた室内は、天気とは裏腹に、穏やかで甘い空気に包まれていた……。



(はあぁぁ……)

 その夜。

 散らばった資料を拾い集め、逃げるように公爵家別棟の自室に戻ってきたペティアは、未だ動揺を隠せない様子でベッドに転がっていた。

 時刻は十一時を回り、そろそろ就寝の時間だというのに、目を閉じるたびに彼の声や手…熱が思い浮かんで、心が落ち着かなくなる。嫌ではないけれど、胸に蔓延るようなざわざわとした感情に戸惑いながら、ペティアは先程のやり取りを思い返していた。

(……まさかコルザに…あんなこと、されるなんて……)

 彼にされるがまま唇が触れた瞬間、本当に頭が真っ白になった。

 コルザの想いは前に聞いて知っていたし、今までだって手に触れられたり、抱きしめられたり、ただの幼馴染みとはちょっと違うような、不思議な関係であるような気はしていた。

 でも、あのとき、彼の真剣な瞳に囚われて、状況を理解するより早く、唇が……。


(……ああ、どうしよう、私、明日ちゃんと彼の顔を見れるかしら……。侍女として、きちんと振る舞わなければいけないのに……)

 初めての経験に収まらない動揺と格闘しながら、ペティアは落ち着こうと息を吐いた。

 昨日の夜はドニーク家を調査することで頭がいっぱいだったのに、今は調査のことも、見つけた証拠資料のことにも頭が回らなくなるくらい、コルザのことで動揺している。

 本当はこの時間を利用して、持ち出した資料をもう一度検めようと思っていたのだが、唇に何かが触れるたび、どきどきするような今の心情では考えがまとまるとは到底思えない。

(でも、せめて人目につかないところに隠しておかないと)


 数十分にも及ぶ動揺との格闘の後、ようやくどうにか心を持ち直したペティアは、おもむろに起き上がると、机の上に置きっぱなしになっていた証拠資料に目をやった。

 コルザの部屋でばらばらになってしまったそれは今、綺麗にまとめられ、机に置かれている。

(どこに隠そうかしら。すぐに取り出せて、見つかりにくいところ……)


 コンコン、コンコン……。

 そんなことを思いながら立ち上がったその時、不意に扉がノックされた。こんな夜遅い時間に訪ねてくるなんて、何か緊急事態でもあったのだろうか。


「……! い、いかがされましたか、かような場所に……」

 突然の訪問者に疑問を抱きながら、ひとまず証拠資料を机の引き出しに入れ、扉を開ける。

 と、そこにいたのは、今宵の動揺の元凶である幼馴染みだった。

 二人の関係性を隠すためと言うこともあるが、使用人の宿舎である別棟に彼が来ることは滅多にない。もしかして、何も言わず部屋に戻ってきたのがいけなかったのだろうか。

 顔を合わせる気恥しさを懸命に押し殺し、ポーカーフェイスを装って尋ねると、彼は一応場所をわきまえているのか、辺りを憚るような小声で言った。

「いや、その…そういえば、資料、まだ見てないなって。それで気になって…、ああ……」

 だが、話の途中で顔を背けたコルザは、照れたように右手で顔を覆うと何とも言えない声をあげた。そして今さら気付いたように、ペティアの姿を時折盗み見ながら弁解を始める。

「ごめん、気が回らなくて……。女の子の部屋を訪ねていい時間じゃなかったね。きみがそんな、可愛い格好してるなんて思わなくて…だめだ、直視できない……」

「……!」

 コルザの思わぬ言葉に、ペティアは自分が今フリルやレースをたっぷりあしらった、白いモスリンの寝間着姿であることを思い出した。就寝前である以上仕方ないが、彼に見せるような格好でもないことに、思わず頬が赤くなる。


(……か、可愛いとか、そんな…ただでさえ今は顔を合わせづらいのに……)

「で、出直すよ。資料なんて明日でも問題は……」

「あ、いえ、しかし……」

 するとしばらくして、何とも言えない微妙な場の空気とペティアの可愛い寝間着姿に堪えられなくなったコルザが、出し抜けに言った。

 資料を検めたい気持ちよりも気恥ずかしさが勝ったのだろう。

 本当はペティアとしてもその方が心情的には良かったのだが、心のどこかで資料のことが引っかかっていたのか、彼女は気付くと使用人口調のまま彼を引きとめていた。

「気になったままでは眠れないこともございましょう。よろしければ、このまま……」

「え、と、いいの……?」

「は、はい。もちろん。先程の資料は、こちらでございます」


 引き止められたことが意外だったのか、ペティアの言葉にしばし逡巡していたコルザは、やがて意を決したように彼女の部屋へ足を踏み入れた。

 使用人用の宿舎とは言え、女の子の部屋であるせいか、変な緊張を覚える。

 そんな気持ちをなんとか誤魔化しながら、部屋に一つだけある木椅子に座った彼は資料を受け取ると、隠し書斎の隠し部屋に保管されていた、闇取り引きに関する資料をめくり始めた。


「………」

(契約書、誓約書…取引記録……すごいな、これは)

 ペティアが持ち出した資料をはいずれも、紋章印入りの契約書や金銭の流れを示した直筆署名入りの書類と言った、証拠としての価値が高いものばかりだった。

 これだけの証拠を提示すれば、間違いなくドニーク伯爵を告発できるだろう。そんなことを思いながら資料を読み進めていたコルザは、ここでふと気になったように尋ねた。

「ねぇ、ティア。黒幕の正体について、きみはもう把握しているのかな?」

「………はい。存じております」

 今の今まで黒幕の正体に関して、全く触れようとしない彼女の行動を不思議に思っての問いかけに、ペティアは一瞬、押し黙ると、消え入るような声で肯定した。

 その声音は黒幕に復讐を望んでいるとは思えないほど深刻で、どうにも彼女らしくない。

 心配になってベッドに腰掛ける彼女を見遣ると、ペティアは少し迷った後で黒幕の名を目にした感想を正直に告げた。

「……その名を目にした瞬間、私は自分の目を疑うのと同時に、また皆様にご協力いただいたことを後悔しました。これ以上は本当に、危険な領域……」

「きみがそんな風に言うなんて、黒幕って一体……?」

「証拠資料の後ろから六頁目。それが答えですわ」

 意外な感想に戸惑いを見せるコルザに、ペティアそれだけを告げるとまた押し黙った。

 彼女の態度から、黒幕の正体が相当予想外かつ大物なのだろうと覚悟しつつ、コルザは彼女が言った証拠資料の後ろから六枚目を取り出してみた。

 内容は他の資料と同じ契約書の類のようだが、署名欄に書かれていたのは―――。

「……!」



「お帰りなさい、お兄様ぁ…っ」

 ついに掴んだ黒幕である大物貴族の正体に、コルザが愕然としていたころ。

 当主が密告者であった事実を掴まれたことなど知る由もないラスターは、帰宅直後のエントランスでナルシアの出迎えを受けていた。既に両親が自室へ戻っているせいか、この場には彼ら兄妹しかいなかったが、愛する妹の出迎えにラスターは笑うと、可愛がるように頭を撫でた。

「ただいま、ナルシア。今日はやけに上機嫌だが、何かあったか?」

「うふふ、実はぁ、今日ねぇ、コルザ様が遊びに来てくれたの~」

「……! コルザが……?」

 品のない笑みを向けるナルシアの口から出たコルザの名に、ラスターは一瞬、虚を突かれたように目を瞬いた。妹がコルザに熱を上げているのは知っていたし、求婚しているのも事実だったけれど、まさか自分も知らないうちに遊びに来ていたなんて、予想だにしなかった。

「うんっ! この間内緒で招待状を渡したんだっ。それにしても~、コルザ様はあたしのこと大好きなのねっ。一生懸命お話を聞いてくれて、とっても嬉しかった…!」

「………」


 コルザが遊びに来た、それが意味することに嫌な予感と密かな焦りを募らせながら、ラスターはナルシアの可愛らしい猫なで声聞くともなしに聞いていた。

 なぜ、こんな時期に友人である自分に黙ってコルザが屋敷を訪れたのか、それが疑問だった。

 勘付かれるような何かをした覚えはないが、ペティアが現れた以上散々渋っていた婚約話にコルザが乗ってくるとは考えにくいし、招待に従ってただナルシアに会いに来た、なんてそんな尤もらしい理由をこじつけるには不安要素が多いのも事実だ。

(問題はコルザが来たことではないな。そこにペティアが同行していたかどうかだ。二人の滞在中に彼女だけが別行動をしていた場合、密かに屋敷を調査されている可能性はある。彼女の調査基準を考えれば当家は該当しないはずだが、目的を把握するに越したことは……)

「どーしたの、お兄様ぁ。怖い顔して?」

「……いや」

 壁の一点を睨みつけたまま思案に耽っていたラスターは、不意に聞こえてきた妹の声で我に返った。いつの間にか話すのをやめたナルシアは、不思議顔で兄を見つめている。

「何でもない。……そう言えばナルシア、コルザは最近、外出の際侍女を連れているのだが、今日はその子も…共に来たか?」

「侍女?」


 今までの間を取り繕うようにふと息を吐きながら、ラスターはこちらを見上げるナルシアに、何でもないことのように尋ねた。

 ナルシアは家族の中で唯一、闇との繋がりを知らない存在だ。父がそれを告げない以上、コルザたちがうちを疑っているかどうかも含め、妹には何も知られるわけにはいかない。

 そんなことを思いながら尋ねると、ナルシアは不意に底意地悪そうな表情で一度宙を仰いだ。そして、心底どうでも良さそうに笑った彼女は、どこか小馬鹿にした顔で言った。

「ああ。来たけどあんな使用人、部屋に荷物だけ置かせて追い返したわ。せっかくコルザ様と二人きりでお茶できるチャンスに使用人は邪魔だもの」

「……そうか。ではコルザが屋敷にいる間、その侍女はずっと外にいたんだな?」

「ええ、コルザ様を迎えに来るとき、玄関から入ってくるのをうちの使用人が見ていたようだし、談話室まで案内してもらっていたもの。それに、寒い中じっと待機していたせいか、部屋に入って来たときも青い顔してちょっと震えてたわね。フフ」

「………」

 可愛子ぶるのをやめたナルシアの言葉に、てっきりペティアを部屋か屋敷内に待機させていたものだと思っていたラスターは目を瞬くと、再び思案を開始した。

 ペティアが外にいたと言うことは、調査が目的ではないのかもしれない。


(……時期が時期だけに勘繰ってしまったが、当家を探る理由を彼らは持ち得ていないし、そもそも屋敷の中にコルザしかいなかったのであれば、調査も何もないだろう)

「それにしてもお兄様、どーしてそんなことを?」

 コルザの目的は調査じゃない、そう結論を出したラスターは何度か頷くと、再び首を傾げるナルシアを見遣った。どうやら使用人のことばかり尋ねてくる兄を、少しばかり疑問に思っているようだ。

「……いや、どうと言う訳ではないよ。ただ、せっかくきみが大好きなコルザを招待したのに、使用人とは言え、女の子がいたのでは楽しめなかったのではと心配でね」

「! ……そっか! お兄様は本当に優しいねっ。心配ありがとうっ」

「ああ」

(……大丈夫、何も問題はない。彼らはまだ我が家の正体には気付いていない。ならば僕はいつものように彼らの輪の中で、人知れずペティアを見張っていればいい。それが僕の、嫡男としての役目なのだから……)

 ラスターが口にした質問の真意を悟られないよう、咄嗟にこじつけた理由に、ナルシアは気付くことなく笑ってくれた。本当は妹に嘘なんて吐きたくはなかったが、何も教えられない以上、こうするより手立てがない。


(すまない、ナルシア……。だが……)

「僕はもう部屋に戻る。ナルシアも早めに休むんだぞ」

 妹への罪悪感を抱きながら、彼女の笑みを見返したラスターは、そう言ってナルシアと別れると、誰もいない廊下を一人、進んで行った。


(……念のため、彼らの来訪を父上にご報告だ。どんな些細なこともお伝えせねば……)

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