第9話 闇の正体
「えぇっ! ドニーク伯爵が密告者! まじで?」
ドニーク家の調査から二日。
ついに証拠を掴んだペティアとコルザは、その結果をオリヴィエたちに伝えるため、内密に彼らを屋敷に招いていた。
ラスターには内緒で、と書かれた手紙の内容を見たときから、なんとなく結果は予測していたものの、防音性の高い別棟の談話室で調査結果を語るペティアの話にオリヴィエもアルクも愕然とした様子だ。
「まさか本当に、ドニーク伯爵が密告者だったとは……」
「ひゃー、あの人は見た目からしていいひとって感じだったのに…まじか!」
「ええ、彼の書斎の隠し部屋で見つけた証拠がこれよ……」
あからさまに動揺を見せる二人に、ペティアはそう言うと、少し躊躇った後で問題の証拠資料を提示した。
テーブルに置かれた数十枚に及ぶ資料の一番上、契約書の署名欄と思われる場所には確かに、ドニーク伯爵の名が書かれている。
「確かに、伯爵は間違いなく黒のようですね。……それで、ペティア…伯爵の件は分かりましたが、肝心の闇の大物貴族は誰だったのですか?」
「!」
「その証拠資料を見て、あなたは既に正体を知っているのでしょう?」
目に見える場所に証拠を提示したものの、それ以上中身を見せようとも、肝心の黒幕の正体を告げようともしない彼女を見つめながら、促すように尋ねる。
これまでの傾向から言って、おそらく彼女はその正体を知り、自分たちのために沈黙しようとしていることにオリヴィエは気付いたようだ。
「ペティア、我々はもう、なんと言われようが引き下がりませんよ。だからどうか、あなたが見つけた大物貴族の正体を、我々にもお教えいただきたい」
「そうだぜ、ペティア。覚悟なら出来てっから。な?」
「……分かったわ」
自分を見つめるオリヴィエとアルクの真剣な瞳を見返したペティアは、しばらくの逡巡の後、覚悟を決めたようにゆっくりと頷いた。
そして、証拠資料にあった、その名を告げる。
「黒幕の名は…ゴウレリア・ジャスター公爵。在位歴四十年を誇る、王国の外務大臣よ」
「……………………………………………………は?」
その名を口にしたペティアの声に、二人の顔が蒼白になった。
自分たちが討とうとしている敵は、本当に、知らなきゃよかったと後悔するような、とんでもない人物だったのだ。
「信じ…られないわよね。私も、はじめは見間違いだと思ったもの……」
想定を遥かに超えた大物の名に、言葉を失くす二人を心配そうに見つめたペティアは、気持ちを代弁するように小さく呟いた。
ペティアが五年間探し続けた闇に通ずる大物貴族の正体、ジャスター公爵は王国最長の在位歴を誇る外務大臣で、陛下の大叔父にあたる人物だった。
確かな外交手腕と温和な性格で、幾つもの外交政策を成功に導いて来た公爵は、貴族だけでなく市民からも絶大な人気があり、血筋や地位的にも国王陛下に次ぐ権力の持ち主だ。そんな、国のために尽くしてきたはずの公爵が、黒幕だったなんて……。
「……」
雷に撃たれたような衝撃に、オリヴィエとアルクは心の底から震撼していた。
彼女を疑うつもりは毛頭ないのに、絶対にそれだけはありえないと心が訴えるような矛盾。公爵の人柄を知っているからこそ感じる衝撃は、正直ペティアが生きていたと聞かされたときより、数段大きかった。
「……ペティア、あなたはこれから、このお二人を告発するのですか……?」
長い長い沈黙の後、ようやく事実を消化したように息を吐いたオリヴィエは、二人を襲うショックを理解して何も言わないペティアに、静かに問いかけた。
一番最初に話を聞いたとき、彼女は彼らを探したいとしか語ってくれなかったが、この内容を知ってしまった以上、告発をしないとは思えない。もちろん、相手が相手だけに相当な覚悟が必要だと思うが、彼女はこれからどうするつもりなのだろう。
「ええ。そのつもりよ」
顔色を窺うようなオリヴィエの問いかけに、ペティアは何の躊躇いもなく告げた。
やはり、一番初めに彼女が見せた、死すらも厭わない覚悟は本物のようだ。
「そうですか……。そうなると、やはり気がかりなのはラスターですね」
半ば分かり切っていたこととはいえ、改めて彼女の覚悟を実感したオリヴィエは、テーブルに置かれた証拠資料を見つめながら、慎重に言葉を紡いだ。
公爵の名を聞けば、さすがに引き下がるかとも思ったが、彼にそのつもりはないらしい。
そんなことを思いながら、正体を知ったことで出てきた不安要素を提示すると、それまでずっと沈黙していたコルザが初めて口を開いた。
「ごめん、ペティア……」
謝罪の言葉を漏らす彼は、珍しく後悔の表情を浮かべていた。
「俺が、ラスターにもペティアのこと、しゃべったせいだよね……。あのときペティア、正体は明かすなって言っていたのに、俺…何の躊躇いもなく、あいつに……。ごめん、これじゃあ余計きみを危険な目に遭わせるかもしれない……」
ラスターがペティアの生存を知っていることで考え得る事態に、コルザは眉間に皺を寄せると申し訳なさげに言った。友人たちの中にペティアを害する人間がいるはずがない、そう思って話した自分の考えがいかに浅はかだったか、今さらながら思い知る。
立場が変わった以上、この中に闇と繋がる者がいてもおかしくないと、彼女は言っていたのに。
「……何を今さら。そんなこと、あなたにすべてを話した時点である程度予想していたわ」
「えっ……」
「だって、コルザは隠し事も嘘を吐くのも下手だもの。あなたに話せば、いつか…私の正体はみんなに知られる。そしてその中に密告者と繋がりがある人物がいる可能性は否定できない。だから、いつかこんな日が来ると思っていたわ。……尤も、あんなに早く私の正体を言うとは思わなかったから、焦ったのも本当だけれどね」
コルザの後悔に、しかしペティアはため息を吐くと、何でもないことのように言った。
その全く動揺も不安もない様子に、コルザは目を見開いたが、同時に不思議になった。分かっていたなら、なんで……。
「じゃあなんで、俺に話したんだ……? 自分の危険が増すって、分かっていたんでしょう?」
「……なんでかしらね」
不安げなコルザの疑問に、彼の瞳を見つめたペティアは、しばらく黙った後で言った。
「でも、あのときのコルザ……とっても真剣だったから。あなたの言葉が嘘じゃないって分かったから……。こんな私を想ってくれたあなたの心が、嬉しかったのかもしれないわ」
「!」
「だから、コルザの口から私の正体が漏れても後悔しないって、そう思ったのだと思う」
「ペティア……」
彼女の口から語られた思わぬ本心に、コルザは胸の奥が熱くなるのを感じた。
あのころのペティアは自分以外何も信じず、たった一人ですべてを抱えて、復讐を遂行せんと動いていた。コルザのことだって信用していたとは言い難いあの現状で、それでも彼女は自分の言葉を信じてくれた。そう思うと嬉しくて、でもやっぱり申し訳なくて、コルザは泣きそうな笑顔を見せると、さらに言葉を続けるペティアの凛とした表情を見つめた。
「それに、結果がどうあれ、あなたにすべてを話したのは私の意志だもの。そんな顔しないで?」
「うん。でも心配だよ。俺がラスターに話したせいできみに何かあったら、やりきれない……。ペティアにはもうこれ以上、身も心も傷ついてほしくないんだ」
「……!」
眉根に皺を寄せ、表情を曇らせたコルザは、そう言って無意識に掌をペティアの頬に当てると、絞り出すように呟いた。
コルザが悪いと思うことなんて、ひとつもないのに。
彼は不安と心配と後悔を滲ませ、じっと真剣な瞳で彼女を見つめている。
「ありがとう、コルザ……」
責任を感じさせてしまっているのだと思うと、ペティアは申し訳なさに胸が苦しくなった。巻き込んだのは自分なのに、それでも彼は自分を想って心配してくれている。
復讐をやめるつもりはないけれど、できるだけ彼の心情にも応えてあげたい。不思議とそんな気持ちを抱いたペティアは、それだけ言うと、静かに彼の瞳を見つめ返した。
広々とした談話室に、何とも形容しがたい微妙な空気がゆっくりと流れていく。
「……なぁ、お前ら…なんかあった?」
「えっ」
そんな彼らのやり取りを向かいのソファに座って見ていたアルクが、しばらくして耐えかねたように問いかけた。
目のやり場に困ったように視線を彷徨わせた彼は、人差し指で頬を掻きながら、微妙な表情をしている。
「目の前でいい雰囲気しやがって、見てるこっちが恥ずかしいんだけど……」
「こらこら、アルク。野暮なことを聞くものではありませんよ」
「だって気になる……」
唇を尖らせて二人に詰め寄るアルクをよそに、同じくやり取りを眺めていたオリヴィエは小さく笑うと、目の前にいる二人を見遣った。どうやら二人ともアルクたちの存在を完全に忘れていたようで、慌てて態勢を元に戻しては、その場を取り繕おうとしている。
「そう言えばコルザ、ペティアにはどんなご褒美をもらったのですか?」
「エッ。あー、その………」
そんな彼らを交互に見つめたオリヴィエは、不意にコルザに向かって問いかけた。
完全に不意を突く質問に、隣のペティアはそれ以上動じた様子を見せなかったが、一方のコルザは赤面すると口ごもった。今思い返しただけでも顔から火が出そうなご褒美の内容を言えるわけはないが、何かしら説明しなくては……。
「フフ、いいえ、やっぱり何でもありません。話を戻しましょうか」
「ア、うん」
しかし、彼の表情から大体の状況を察したオリヴィエは、微笑ましげに口元を緩めると、コルザが何か言う前に話を終わらせてしまった。そして、これ以上誰かが何かを言う前に、先手を打って話し出す。
「まずは先程申し上げたようにラスターをどうするかですね。ペティア、何か考えなどはありますか?」
「んと、そうね……」
突然話題を戻され、意見を求められたペティアは一瞬、虚を突かれた表情を見せた。
直前までのコルザとのやり取りのせいで思考が一時停止していたのも事実だったが、今日二人に集まってもらったのは、報告と対策を練るためなのだ。オリヴィエの勘繰りはさておき、話を進めなくては。
「おそらくラスターは、ナルシア嬢から私たちがドニーク家を訪れたことくらい、聞いていると思うの。そしてそれを疑問に感じていると思う」
「……調査が目的だと言うことに、気付いていると言うのですか?」
「いいえ、まだ確信までは持っていないと思うわ。滞在時間中私は屋敷の外に、コルザはずっとナルシア嬢の傍にいたことになっているから、調査する隙なんてなかったと思うのが普通ね」
考えをまとめるように顎に手を当てたペティアは、対ラスター対策にしっかり頭を切り替えると、鋭い反応を見せるオリヴィエに相槌を打ちながら、意見を語り出した。
そして、真剣な表情で話を聞く三人を見つめ、この二日で考えていたことを話し出す。
「……でも、招待されたとはいえ、そもそもコルザがナルシア嬢の誘いに乗ること自体、疑問に思われても不思議じゃない気がして……。コルザが婚約に乗り気じゃないことくらい、傍にいれば分かると思うもの。だからこの先、探りを入れてくる可能性が高いと思う」
「探り、ですか……」
「ええ。みんなならどうする? もし、自分に絶対知られたくない秘密があったとして、それを親しい友人に気付かれてしまったかもしれない。確信はないけれど、友人は自分の秘密を知っているかもしれない、そう感じたとき、みんなならどう行動する?」
自分の考えを裏付けるように、意見を求めるように問いかける。
すると彼らはしばらく悩んだ後で、
「ん~、本当に秘密を知られたかどうか確かめたい、だな。どっちか分かんないままでいんのは不安だし、万が一秘密を知られてたときの対処もできねーからな」
「そうですね。相手に気取られないよう探りを入れる、と言うのは心理として妥当かと。もしラスターが疑問を抱いているとしたら、次ペティアに会ったとき…いえ、あなたを誘導するのは難しいでしょうから、秘密を共有しているコルザに探りを入れる可能性は高いですね……」
「え、俺?」
自分の考えをそれぞれ口にしたアルクとオリヴィエは、そう言うと、未だ答えに悩んだ様子のコルザを不安そうに見遣った。眉根に皺を寄せたままうんうん悩むコルザは、突然自分の名前を出されたことに心底驚いた顔で視線を上げ、目を瞬いている。
「私も、そう思う……。そして、運の悪いことに今夜、宮殿で殿下の誕生日を祝うパーティがあるでしょう? 貴族の大半は出席するはずだから、きっとラスターも来ると思う。探りを入れるなら、コルザが一人のときの方が容易だし、私は同席できないから、今日にも何か仕掛けてくるんじゃないか、とても心配だわ……」
ペティアであればラスターに何を言われても、上手くその場をやり過ごせるだろう。
でも、天然記念物級の素直さを持つ正直者コルザではきっと、馬鹿正直に全部を話しそうだ。そのことがどうしようもなく不安で、ペティアは一瞬、未だ分かっていない様子のコルザを見遣ると、向かいに座る二人に真剣な声音で言った。
「だからお願い、アルク、オリヴィエ……。今日のパーティの間、コルザを守ってほしいの」
「!」
「コルザはこういう性格だから…質問されたらたぶん、ラスターの口車に乗せられて、秘密を知ったことを話してしまうと思う。私たちが彼らの闇を知ったと言う事実が漏れるのもまずい状況だけれど、もっと不安なのは、彼らが秘密を知った者を生かしておくとは思えないということ……。たぶん、私の家族を殺したときと同じように……」
五年前の出来事を思い出したように、ペティアは一瞬言葉を詰まらせると、唇を噛み締めた。
ドニーク伯爵は秘密を知った幼馴染みを屋敷ごと葬るような、内なる非道を抱えた男だ。なら、同様に秘密を知られたことを耳にすれば自分たちを、コルザを殺しに来るだろう。
ペティアはそれが不安で仕方ないのだ。
「……私はもとより、密告者と闇の大物貴族を見つけるためなら命だって惜しくない覚悟でここまで来たけれど、コルザは違う。彼を危険な目に遭わせたくない。だから…お願い。コルザがラスターと二人にならないよう、守ってあげてほしい……」
ペティアが一番心配しているもの、それが他ならぬ自分だと言うことにコルザは意外な顔をすると、真剣な眼差しを二人に向ける彼女を見つめた。
彼女にとって一番大切なものは、復讐を成すことだと思っていた。
でも、復讐を成し遂げたい気持ちと同じくらい、彼女は今、生きて傍にいてくれる彼を失いたくはないのだろう。大切な家族を失ったからこそ、もうこれ以上、自分の傍にいる誰かに傷ついてほしくない、そう願っているのだろう。
「……分かりました」
彼女の態度からそう感じたオリヴィエは、優しく微笑むと力強く頷いた。
「コルザのことは、我々にお任せ下さい。必ずやあなたの願いに応えてみせますよ」
「ああ。しっかり面倒見といてやるから心配すんな!」
「えっ、ちょ……っ」
綺麗な顔立ちに柔らかな笑みを浮かべるオリヴィエと、力強くもあどけない笑顔を見せたアルクは、そう言うと快くコルザのことを引き受けてくれた。
この二人が傍にいてくれれば、ラスターもきっと慎重になって下手に探りは入れてこないだろう。それに、彼らの正体を知る三人が固まっていてくれれば、誰かが闇の手の者に捕まって自白を強要されたり、人質にされたりする可能性も少なくなるはず。
もちろん一番心配なのはコルザだが、他の二人の安全もきちんと考慮したかった。
「……なぁ、俺ってそんなに心配……?」
心の中でそんなことを思いながら、ペティアが彼らの言葉を聞いていると、不意に不安要素認定をされたコルザがどこか不満げな声をあげた。
どうにもコルザは、自分がラスターの標的になりそうだという三人の見解をあまり理解していないようで、勝手に盛り上がる彼らに食って掛かっている。
「なんか俺、すっごいお荷物みたいじゃん……」
「いや、お荷物だから。ばっちり大荷物だぞ」
「まったくです。いいですか、これ以上ペティアに心配をかけないためにも、コルザはとにかく余計なことはしゃべらないよう、細心の注意を払ってパーティに臨んでくださいよ」
「んー、分かったよ」
しかし、結局は二人に言いくるめられ、とりあえず今日の報告会はお開きとなった。
「コルザ…本当に気を付けてね」
「分かっているよ、安心して待ってて」
その日の夜。煌びやかな正装に身を包んだコルザは、心配の眼差しを浮かべるペティアに見送られ、両親と共に王都の西側に位置するエルディット宮殿へやって来た。
会場である豪華絢爛な大広間には既に王族や大臣を始め、王国全土から名だたる貴族たちが集い、今年で齢七つになられる殿下の生誕を祝っている。
そんな桁違いに豪奢な会場を歩いていると、不意に共にいた父が、前方の紳士に声を掛けた。
「これはジャスター公爵! ご無沙汰しております」
「……!」
父が呼びかけたその名に、思わず顔が強張るのを感じながら視線を向ける。
と、そこには、告発すべき黒幕と位置付けたラスボスが、柔和な笑みを浮かべていた。
(……ど、どどうしよう。ジャスター公爵だ。こんなところで会うなんて、どうしよう、俺。いや、どうもしない。自然に、してなきゃ……)
「もうこちらにいらしていたとは、お早いですね」
「おや、トレフィーヌ公爵。秋の紅葉狩り以来じゃな?」
「ええ。お会いできて光栄です。おっ、ルイーゼ公爵も……」
緊張した面持ちを見せるコルザの心情など露知らず、トレフィーヌ公爵は陛下のはとこにあたる財務大臣・ルイーゼ公爵など、王家傍流の親族たちと笑顔で挨拶を交わしていった。
その一方で、ジャスター公爵の存在にコルザは変な汗が出て、落ち着かなかった。
彼の裏を知らない父たちが普通にしているのは当たり前なのだが、一度真実を知ってしまうと近くにいるだけで変な動悸がする。もう本当に、一刻も早く、この場を去りたい……。
「……コルザ、我々は陛下へ挨拶に参る。お前ももう自由にしていいぞ」
「はい、父上」
そんなことを思いながら、自分の意志に反してドクドク鳴る心臓をなだめていると、しばらくして、一通りの世間話を終えたらしい父が声を掛けてくれた。
嫡男としてこの場にいる以上、勝手に逃げるわけにいかなかっただけに、父の采配に感謝だ。
そう思いながら彼らに挨拶を告げたコルザは、半ば逃げるようにその場を後にした。そして、ラスボスに出くわしたことで募る漠然とした不安を拭おうと一人会場を歩き出す。
「おーい、コルザ! こっちこっち!」
すると、そんな彼の元に、不意に聞き慣れた声が飛んできた。
そちらに目をやると、数時間前まで共にいた幼馴染みたちがいて、コルザに向かって軽く手を振っているのが見えた。
「アルク、オリヴィエ~。あぁなんか、お前たちの顔見るとほっとするよ……」
「なんだ急に? 変な奴だなぁ」
こちらに歩み寄りながら言うコルザらしからぬ感想に、アルクもオリヴィエも一瞬戸惑った表情を見せた。自分たちを見て安心するなんて、何かあったのだろうか。
首を傾げながらそう尋ねると、コルザはひとつ息を吐いた後で心底疲弊したように言った。
「いやぁ…父と挨拶回りをしていたらジャスター公爵に会ってさぁ……」
「え、まじか!」
「……それはご愁傷様ですね。ちなみに、勘付かれるようなことはしていませんよね」
「そもそも緊張しすぎて声も出なかったよ。……ところで、ラスターはまだ来ていないの?」
今しがたの体験を話し終え、ようやく心が落ち着いてきたコルザは、辺りを見回しながら気にしたように問いかけた。すると、それとなく貴族たちの出入りを見ていたらしい二人が首を振りながら分かっていることを教えてくれた。
「ああ。まだ見てねぇ。でもま、貴族も七割方集まってきたし、そろそろ来んじゃね?」
「そうですね。招待状に記載されていた開始時刻まであと……おや、噂をすれば」
「……!」
凝視しない程度に会場の入り口付近を見つめ、人の出入りを把握しながら話をしていると、ついに件の一家が会場にやって来た。
病気がちな身体を労わるため車椅子に乗ったドニーク伯爵と、それを押す夫人、そしてラスターとナルシアの兄妹。ほんの少し前までは友の来場を喜んでいたはずなのに、今ではその姿を見ただけで、本心を悟られてはいけないと言うような、妙な緊張感が生まれる。
そんな感情を懸命に隠しながら、三人は一家の動向をそれとなく窺った。
「伯爵と夫人は向こうに行ったぞ。妹はどっかに消えたな」
「ここまではいつものパーティと差異はありませんね。それで、ラスターは……?」
「……こっちに気付いたみたいだよ……」
嫌な緊張を感じながら、小声で話し合っていると、オレンジジュースを飲みながらラスターの動向を窺っていたコルザが短く告げた。入り口付近であたりを見まわしていたラスターは、しばらくして自分たちに気付いたように視線をこちらに向け、歩いて来ている。
「まじか。あっちも俺たちを探してたのか?」
「んん。コルザ、とにかくあなたは極力しゃべらずにいて下さいね」
コルザの報告に、それまで伯爵を目で追っていたアルクとオリヴィエは、ピクリと反応を見せると、押し込むように緊張をしまい込んだ。自分たちのところに来た彼が、どんな話題を振ってくるかは分からないが、とにかく、うわべだけでも冷静を保たなければ。
「こんばんは、ラスター」
「ああ、オリヴィエ、みんな。久しぶりだな」
「そうですね。伯爵もいらしていたようですが、傍にいなくてよいのですか?」
「………」
そう言って、まるで先手を打つように声を掛けたオリヴィエは、自然な笑みと共に、いつもと変わらない柔らかな口調でラスターを迎えた。
正直、目の前にラスターがいるこの状況で、ここまで平常心を保って会話するなんていうのは、オリヴィエかペティアにしかできない芸当だろう。さらに、さりげなくラスターをドニーク伯爵の元に戻そうとしているあたり、さすがとしか言いようがない。
内心の動揺を抑えつつ、軽く手を上げて挨拶するのが精一杯のコルザとアルクは、心の中で感心しながら、黙って二人の会話に耳を傾けていた。
すると、そんな二人にも視線を向けたラスターは、いつものぶっきらぼうな調子で言った。
「問題ない。母上がついているし、許可は得ている。……それより、先日は悪かったな。アルクの茶会と話し合いに参加できなくて」
「あー、気にすんな。仕事だったんだろ?」
「ああ。だが、話し合いはどうだった? 何か進展したか?」
こちらも普段通りに見えるラスターの、自然な流れでいきなり核心を突くような質問に、その場に微かな動揺が走った。彼女の名が出ていないとはいえ、こんな大勢の貴族が集まる会場で、ペティアに関わる話をするなんて、探りだろうか。それとも純粋に加わり損ねた話し合いを気にしているのだろうか。
態度に不審な点がないだけあって判断が難しい。
それでも、下手に嘘をついて疑われることになっては元も子もないと思いながら、オリヴィエは言える範囲でグランディア家での話し合いのことを口にした。
「……とりあえず、グランディア侯爵家は関係ありませんでした。結果、見定めていた家がすべてはずれだったことから、新たな判断基準を設けねばと考えています」
「そうか…はずれだったか。それは残念だったな」
「い、いや。だからさぁ、全然残念じゃねーからな、お前らどいつもこいつも……」
普段の自分を演じようと一応突っ込みを入れるアルクをよそに、表情を曇らせるラスターの様子は、本当にいつもと変わらないように見えた。
もしかして彼はまだ、コルザたちがドニーク家を訪れたことを知らないのだろうか。
そんなことを思って、警戒心が緩みそうになるのを我慢しながら様子を窺っていると、ラスターは声を落としながら、なおも話を続けた。
「新たな判断基準…それが容易く見つかるとは思えないが、今後どうするつもりなんだ?」
「ええ。何とも決め難い現状で…何か手がかりのきっかけでも掴めればよいのですが」
「そうだな……。コルザ、彼女は何か言ってなかったか? きみになら、彼女は何でも話すだろう? 次集まるときまで僕も考えておきたい」
悩むように顎に手を当て、まるで会話に入ってこないコルザに目を向けながら尋ねる。
すると、突然の問いかけに、ジュースを飲んでいたコルザは微かな動揺を見せた。
だが、すぐに気を取り直した彼は慎重に言葉を選びながら、ゆっくりと言った。
「あー、うーんと……(今日屋敷で)話し合ったこと以外は、まだ何も、かな。でも、彼女ならきっと、突き止めるのも時間の問題だよ。ウン……たぶんね」
「そうか。つまりそれは……」
「あっ、みなさん。陛下と殿下がいらっしゃいましたよ」
コルザの答えに、ラスターはふと顎を引くと、何かを考えながら質問を重ねようとした。
しかし、口を開いた彼の声にかぶせて、出し抜けに言ったのはオリヴィエだ。
周囲にも目を向けていた彼は、これ以上二人だけでの会話をさせないよう前方を見据え、意識をそちらに向けようとしている。
「陛下のお言葉くらい、我々もきちんと聞いておきませんとね」
「そうだな。拝聴~」
「……」
爽やかな笑顔で促すオリヴィエの言葉に同調するように、アルクは不意にコルザの肩へ手をまわすと、視線ごとラスターから分断して目線を陛下へと向けた。
会場の前方に立った陛下は、今まさに集まった貴族たちを見まわし、何やら話をしている。
(……とりあえず、ひと段落でしょうか……)
そんな陛下のお声を聞きながら、二人の会話が終わったことを確認したオリヴィエは、心の中でほっと息を吐いた。ちょうど陛下がお姿を見せたからよかったものの、もし、このまま二人の会話が続いていたらと思うと、正直かなりぞっとする。
敵意が潜んでいる可能性を知りながら、それを真に見抜けない状況が心には大きな負担だった。
(それにしても、やはりラスターの行動は気になるところではありますね。探りと言うにはあまりにも堂々としている…しかし、こんな場でする話ではないのも事実。我々が固まっていれば問題ないかと思っていましたが、もしかしたら我々が思う以上に、彼らは周到で場合によっては手段さえ選ばない気なのかもしれません……)
「オリヴィエ? どうした、難しい顔して?」
「……!」
疑惑の状態がいかに心労であるかを感じつつ、ひとり思案していると、不意にアルクが心配そうに声を掛けてきた。気付くと、いつの間にか陛下のお言葉は終わり、会場はまた思い思いの話し声に包まれている。
「いえ、何でもありません。それより……」
澱が積もるような僅かな違和を心に感じつつ、何も見せまいと振り返る。
と、こちらに向き直ったオリヴィエはここで、この場のある変化に気付いた。
「……ラスターは、どこへ行ったのですか?」
「え、あれ?」
会場の喧騒が戻ると同時に、気付くとラスターは三人の元から姿を消していた。
途中で離席することは以前にもあったが、無言でいなくなるなんて、今までにない状況だ。これが何を意味するのか、オリヴィエは不安ばかりが募るのを感じていた。
ラスターを探してきょろきょろと辺りを見回すアルクは分からないが、コルザも少し不安に思っているのか、グラスを手に俯いたままだ。
「……もしかして、俺、なんかまずいこと言ったかな……?」
すると、しばらくして表情を曇らせていたコルザが小さく呟いた。
ペティアをこれ以上心配させまいと頑張ったつもりだったが、失敗してしまったのかもしれない。そんな不安が漂う顔でこちらを見るコルザに、オリヴィエは首を振ると優しく言った。
「いいえ、今回は特に問題になるようなことはなかったかと」
「ん…でも、じゃあなんでラスターは……」
「……分かりません。しかし、もしかすると彼らは、我々が思っている以上に、大変危険な相手なのかもしれません」
「……?」
いつになく険しい顔でそう告げたオリヴィエは、同じように表情を曇らせる二人を見つめると、考え得る事態を静かに説明していった。
適当な理由と共に会場を抜け、人気のない場所で三人が話し合いをしていたころ。
ひとりトレフィーヌ家の屋敷に残ったペティアは、コルザの自室で彼の愛猫・エルヴの世話をしていた。モフモフの白い毛玉はペティアの膝の上に乗り、ごろごろとのどを鳴らしている。
「ブラッシング終わったわよ、エルヴ。ご飯も用意したから、食べておいで」
「にゃー」
猫用のブラッシングブラシを手にエルヴの長い毛を梳かしていたペティアは、そう言うと膝に乗った毛玉を抱え、餌を置いた部屋の隅に向かった。
白い毛玉はペティアに可愛がられて満足した様子で、今度は餌にかぶりついている。
「……雪、また降ってきたみたいね」
そんなエルヴの様子を微笑ましげに見ていたペティアは、ふと窓の外に目をやると、誰にともなく呟いた。漆黒に染まった闇夜には大粒の雪が舞い、積もる銀色をさらに濃くしていく。
(コルザたちは、今頃どうしているかしら……?)
ちらつく牡丹雪を視界に入れながらも気になるのは、やはり宮殿でのパーティに参加しているコルザのこと。
ラスターやドニーク家の人間に会ってしまわないか、それ以上に彼らの悪意に曝されて、大変な目に遭っていたりしないだろうか。傍にいられないだけで、不安は募っていく一方だ。
巻き込んだのは自分なのに、自分だけがこうして守られた場所にいるのは辛かった。
危険がいつ忍び寄ってくるとも知れない状況で、ただ待つことしかできないのは苦しかった。早く、帰ってきた彼の元気な姿が見たかった……。
「…………」
胸に疼く感情と葛藤しながら、ペティアはそれでも一人、仕事を続けた。
エルヴの食事を下げ、コルザが帰ってくるまでメイドたちと客間や書庫の整理をしたり、まるで、自分の感情を誤魔化すように、黙々と目の前の仕事に励んでいく。
そんな彼女の元に、ある知らせが飛び込んできたのは午後十時を回ったころだった。
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