第30話:ワインとチーズ


 商業都市ラグナス、一番街。


 レーン・ドゥ共和国大使館。


 迎賓室にイリスとアイシャ、そしてレーン・ドゥ共和国の大統領であるティリアが向かい合って座っていた。


「いやあ、流石は世界一と謳われるハイエルフのだ。噂に違わぬ美しさ」

「ありがとうございます、ティリア大統領。レーン・ドゥ共和国一の色男という噂は良く聞いておりますよ? ふふ、実は従者からも気を付けろと言われまして」


 イリスが口元を手で隠しながら優雅に微笑んだ。しかし、内心では開幕一番に牽制をされたことで、あまり穏やかではなかった。どうやら、交渉はそう簡単にはいきそうにない。


「っ! イリス様……! それは言わない約束では!?」


 慌てた様子のアイシャを見て、ティリアが微笑み返す。


「良いですね。ユーモアのある女性は好きですよ。さて、どうですか、ケラー産のワインとそれに合う料理を用意しました。ご一緒に昼食でも?」


 その言葉に、しかしイリスは微笑みを浮かべたまま否定する。


「ご一緒したいところですが……とワインだけで結構です」

「……どうやらうちの流儀をご存知のようだ。では、一緒にチーズを楽しみましょう」


 ティリアがそう言うと、イリスの前にチーズとワインが運ばれてくる。


 ふう……とイリスは心の中でため息をついた。とりあえず第一関門は突破できたとホッとしていた。


 レーン・ドゥ共和国は、表向きは芸術と美食、そしてワインの国という風に謳われているが、その裏には強烈な軍国主義が見え隠れしている。そして、そんな国の大統領が曲者じゃないわけがなかった。


 もしイリスが本来の礼儀作法に則って食事の誘いを快く受けていれば、おそらくただの昼食会になって終わりだっただろう。


 しかし、それは望んでいないと伝える事に成功した。


 レーン・ドゥ共和国において、ワインとチーズは――には欠かせないものだと言われているからだ。


「さて、回りくどい話はやめにしましょう。まず、このラグナスで真っ先にこのレーン・ドゥ共和国に声を掛けたことは、賞賛しますし、光栄ですよ」

「ありがとうございます。なんせ我がエルヘイムとレーン・ドゥ共和国は隣国同士ですから。隣国同士がいがみ合う時代はもう終わりだと私は考えています。まだ――そういう前時代的な発想を持っている国がいるようですが」

「くくく……可愛らしい顔をして中々のことを言いますね。よほど祖国を亡ぼされたのが不服だったと見受ける」


 その言葉にアイシャがピクリと反応するが、イリスがテーブルの下でそれを抑えた。


「ティリア大統領もきっと、同じ気持ちになりますよ――レーン・ドゥの素晴らしいワイン畑と牧草地が全て焼き払われれば」

「……仰る通りです。これは大変失礼いたしました」

「我が国は――イングレッサによる不当な侵略と軍事行動に断固として抗議をする所存です」

「彼らの施設を自ら兵を率いて襲撃した王女様の言葉とは思えないですね」

「自国の民を救うために軍を動かすのは――国として当然ですが?」


 イリスが当然とばかりにそう言い切るとワインを口に含んだ。正直、全く味がしないが仕方ない。


「なるほど、不当ではないと。確かに、かの鉱山はエルフを労働者として強制的に働かせていたとか」

「だけではありません。人としてすら扱われていませんでした。証拠は全て揃えて、既にラグナス裁判所に提出済みです」

「ははは、流石に手が早い。なるほど。それで? 君はチーズをどうしたいのです?」


 ティリアがそう言って、チーズを摘まんだ。


。勿論、それぞれの量は、それぞれの働き次第ということで」

「そもそも、君がその四人の中に入っていると、皆が認めるかどうかですね」

「ティリア大統領なら、きっと認めてくださると思っています」

「ふむ……正直言えば……そう簡単に独立国を認めるわけにはいかないんですよ。例え正統な後継者でもあっても。国は……そんな軽い物ではない」


 ティリアの低く重い言葉が響く。それは、長い歴史を誇るレーン・ドゥ共和国のトップに相応しい言葉だとイリスは感じた。


「勿論、それは重々承知しております。ですが、どの国も――必ず始まりはあったのです。レーン・ドゥ共和国の建国者もまた……祖国を亡ぼされた結果、その魂を継ぐ国を作りあげた。違いますか?」

「……良いね。君は、凄く良い。ねえ、どう? 僕と結婚しない?」


 急に砕けた様子のティリアを、しかしイリスは一蹴する。


「ご冗談を。こちらとしては、我が国を認めてくださるならば、それ相応の対価を支払う用意はしております」

「ほう……それは?」

「レーン・ドゥ共和国とのを結ぶ用意をしています。それと、同時に、軍事同盟を結びたいとも思っています。もしそちらが正当な理由を持って行動されるなら……微力ながら力添えいたしますよ」

「くくく……あはははは!! 君は凄いな!! まるで――大国の元首のような物言いだ! 可愛い顔をしてやるね! 初対面で銃を突きつけながら交渉する奴は君が初めてだよ! その条件が君達ではなく僕達にとってメリットになると思っている時点で……我らレーン・ドゥ共和国を舐めている証拠だ」


 笑いから静かな怒りへと変えたティリアに対して、しかしイリスは平然とした顔をしていた。


「どう、捉えていただいても自由です。ですが、ファス山脈の二の舞は避けたいのでは?」


 ファス山脈。それは、数年前にレーン・ドゥ共和国がイングレッサによって奪われた領土であり、そしてイングレッサの軍用魔術が初めて表舞台に出た戦いでもあった。


 結果はレーン・ドゥ側の大敗であり、それ以降レーン・ドゥはイングレッサに負け続けであった。


「ふん、たかが一人魔術師を抱え込んだ程度で、随分とつけあがる」

「そのたかが一人の魔術師の魔術に、領土を奪われ、〝ワインと剣〟と謳われたレーン・ドゥ共和国がただのワイン産出国になったのは記憶に新しいのですが?」

「随分と強気だ。何を焦っている?」


 ティリアの言葉をしかしイリスは鼻で笑ったのだった。


「焦っている? いいえ。私は平和的に事を済ませたいだけです。領土を広げる気はありません。他国の資源を奪う気もありません。ただ、我々を認めてほしいだけです」

「話は以上か?」

「ええ。色よい返事をお待ちしておりますわ。ティリア大統領」


 イリスが立ち上がり最後にこう言って、部屋を去ったのだった。


「チーズ、今度はご一緒できると良いですね」


 扉が閉まり、しばらくしてから、ティリアはワインを一口含み、にやりと笑ったのだった。


「くはは……いやいや、流石はあのイングレッサに弓を引いただけはある。昔見た時はただの小娘と思っていたが……中々どうして策士ぶるじゃないか。しかし、あの強気な態度……やはり軍用魔術を揃えていると思って間違いないな……ハイエルフに軍用魔術なんて歴史上最悪の組み合わせじゃないか。この時代の大統領になったことを恨むことになるとはね。さて……どうするか」


 口ではそういうものの、ティリアの中で半ばどうするかは決まっていた。


「あとはまあ……イングレッサ王次第か」


 それは、もはや――エルヘイム側につくと言っているのと同義だった。

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