第15話:トネリコの槍


 隠れ酒場、【エルフ・ヘヴン】、支配人室。


「お会いできて光栄だよ――イリス・リフレイン王女」


 そう言って、三人を部屋に招き入れたのは、プラチナ色の髪に、碧眼の美しいエルフだった。大胆に胸元に切れ込みが入ったドレスと、しなりと動く肢体からは何とも言えない色気が漂っていた。彼女の周囲、そして扉の側には複数人のエルフが立っており、手には杖槍を携えている。


 彼女が手に持つ煙管から、細く長い煙が上がっていた。


「あたしは、ここの支配人兼〝トネリコの槍〟隊長のルイーズだ。生まれも育ちも外でね、リーフレイア……じゃなくて今はエルヘイムか、そうエルヘイムには一度も足を踏み入れたことがないんだ。だから礼儀作法と口調については許しておくれ」

「構わないわ。無礼極まりない奴がいつも隣にいるから。ねえ? ヘルト」


 イリスがそう言って鼻で笑ったので、ヘルトが霊体化を解除する。


「そう、アイシャを責めてやるな。彼女なりに頑張っているんだぞ?」

「あんたのことよ!」


 眉をつり上げて怒るイリスと、突然現れたヘルトの姿にも動じず、ルイーズは目を細めるだけだった。


「はあ……二人とも、こういう場でぐらいイチャつくのはやめてください……」


 深いため息をついたアイシャにイリスが食ってかかる。


「イチャついてない!」

 

 そんなイリスを放っておいて、ヘルトが煙草を生成すると火を付けて、ルイーズを観察する。


「……しかし、〝トネリコの槍〟か。まさか本当に実在して、しかもこんなとこに潜んでいたとはな。なるほど、見付からないわけだ」


 トネリコの槍――それは半ば伝説と化していた傭兵部隊だ。エルフの女性のみで構成されており、金さえ払えばどのような戦場にも馳せ参じて、多大な戦果を上げたという。


 しかしその実態や拠点は全て謎に包まれており、実在すらも怪しまれていた。


「そっちこそ、イングレッサ最強の魔術師〝赤錆〟ヘルト・アイゼンハイムじゃないか。処刑されたと聞いたんだけど……随分と愉快なことになっているな」


 ルイーズはチラりとイリスを見て、愉快そうに笑った。ヘルトに再び向けられたその眼差しには、若干の同情が込められていた。


「色々あってな……今は囚われの身さ。しかし、同じエルフとはいえ、お前らはリーフレイア森林国と何の縁もないはずだ。なぜ我々を助ける?」

「助ける? 何を勘違いしているんだ?」


 ルイーズがパチンと指を鳴らした瞬間、これまで無言で立っていたエルフ達が訓練された動きで一斉に杖槍をヘルト達に向けた。


 室内に、殺気が満ちる。


「ルイーズ様!? 話が違いますよ!」


 慌てふためくアイシャだったが、イリスはピクリとも表情を変えなかった。


「どういうつもりかしら、ルイーズ。無礼は許すけども……刃を私に向けることを許した覚えはないけど?」

「かはは……そうこなくっちゃ。トネリコの槍の魔術は是非とも見てみたかったんだ。さあ、見せてくれよ、お前らの持つ未知を」


 ヘルトが咥え煙草のまま両手を広げて、獰猛な笑みを浮かべた。


 イリスとルイーズの視線が空中で激突し、火花を散らす。


 だがルイーズがフッと表情を緩めた瞬間、殺気が嘘のように消えた。


「……だから言っただろ? 助けるなんて偉そうなことを言うつもりなんて毛頭なかったさ。あたし達は、最初からあんたに仕える気だったんだよ――。あんたがイングレッサへと牙を剥けたと知った時点でね」


 ルイーズが頭を下げると、周囲のエルフ達も杖槍を下げ、膝をつき頭を垂れた。


「……試したってところかしら。私があの程度の脅しで慌てふためいていたら……見限る気だったのね」

「その通りだよ、イリス女王。まあ、そんな強い護衛がいるようじゃ、無駄だったようだが。流石の私も何の策もなしに〝赤錆〟と事を構える気はない。そんな手札をここまで隠してきた時点で、あんたの勝ちだよ」

「そう。でも、一つだけ。女王って肩書きはあってるけども、呼ぶ時はイリスで良いわ。堅苦しいの、嫌いなの」


 イリスはそう言って笑みを浮かべた。


「かはは……良いね。気に入った。あたしに出来ることがあれば何でも言ってくれ」

「ふう……もう、ルイーズ様、そう言うことはせめて私には事前に伝えてください!」


 アイシャの訴えをしかし、ルイーズは笑い飛ばした。


「あはは、悪い悪い。わたしは間に入る人間は全て疑うクセが付いていてね。だけど、同時にお前も信用できることが分かったよ。悪かったねアイシャ。お前はエルフじゃないが……今は仲間だよ――ん? ちっ」


 ルイーズが舌打ちをすると同時に、スカートの裾に隠し持っていたナイフを目にも見えない速度で投擲。


「っ! ルイーズ様!?」


 アイシャが反射的にイリスの前へと飛び出すが、ナイフはイリスの手前の床へと深く突き刺さった。


 ヘルトがそのナイフを抜くと――べったりと刃には血と何かの毛が付着していた。


「……ネズミか? ふん、潔癖なこった」


 床に空いた穴から、床下にあるネズミの死体を見て、ヘルトが笑った。


「ネズミ? ここに?」


 それを聞いて、イリスとアイシャが眉をひそめた。


「考え過ぎでなければ良いが……イリス、あんたはここをすぐに出た方がいい」

「そうね。アイシャ、ヘルト行くわよ」

「なんだ? 急にお前らどうした」


 ヘルトが珍しく、状況についていけず、首を傾げた。


 たかがネズミが出たぐらいで、どうしたと言うのだ。そう思っていたのだが――


「ありえないのよ。あんたは知らないかもしれないけど――エルフは何よりも。それこそエルフの子供は、魔術を習う時に最初に覚えるのが、ネズミ専用の毒殺魔術だったりするぐらいには。だからエルフの居る場所にネズミがいることはありえない」

「あたしのアジトにネズミがいる時点で、それは異常事態だよ。どこから入り込んだ? まさか間諜か?」


 真剣に話すイリスを見て、ヘルトは考えを改めた。なるほど、先ほど路地裏でイリスが顔をしかめたのは――ネズミが走り回っていたせいか、と彼はようやく気付いたのだった。


「まあ、流石にここに踏み込んでくる馬鹿はいないと思うけど、念の為にここは出た方がいいね。アイシャ、必要な物は五番街の倉庫に揃えてる。行ってあたしの名前を出せば分かる」

「ありがとうございますルイーズ様。行きましょうイリス様。私達の目的地はまだまだ先です」

「そうね。ありがとう、ルイーズ。またゆっくり話しましょ」

「ああ。それと、気を付けて。今は何処もきな臭い。ま、そいつがいれば大丈夫だろうがね」


 ルイーズがネズミの死体を見つめ続けるヘルトへと視線を向けた。


「そうそう、強制収容所の襲撃、場合によっては手伝ってもらう可能性があるわ」


 イリスが部屋から出る前に、言い忘れていたとばかりにルイーズへとそう軽く言葉を投げた。


「はは、任せておくれ。そっちはあたし自ら動くつもりだから。現地で落ち合おう」

「期待してるわ、ルイーズ。それじゃあ」


 こうしてイリス達は早々にエルフ・ヘヴンを去って行った。



☆☆☆


 ラグナスのどこかの路地裏。


「ッ! まさかバレた?」


 そう言って右目を抑えていたのは、灰色の髪と同じ色の犬耳、そしてモフモフの尻尾を持つ狼の獣人――ウィーリャだった。

 その右目からは、血が流れ出ている。


「……まさかと思ったけど、トネリコの槍が関わってくるなんて。だけど……やっぱり予想通りの動きだ」


 ウィーリャが立ち上がると、静かに決意を固めた。


「やっぱり直接会ってみないと分からないか。仕方ないが……やるしかない」


 その言葉と裏腹に、ウィーリャはそれはそれは嬉しそうに――まるで獲物を見付けた肉食獣のような――笑みを浮かべたのだった。

 

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