第14話:エルフ・ヘヴン
エルヘイム首都レフレスより北東。
イングレッサ領――商業都市ラグナス。
その街はイングレッサ王国と西の旧リーフレイア森林国、現エルヘイム、そして北の岩国グルザンとの境に位置する街で、各国の多種多様な民族や種族が集まる一大都市だった。
またその特殊な立地から、イングレッサ領とはいえ自由都市の色が強く、各国の外交の場になっていた。一年に一度開催される国際会議――通称〝円卓〟もまたこの都市で行われる。
ゆえに、この街は各国の情報を集めるにも、また素性を隠して隠れ潜むにも丁度良い場所だった。
「どうしましたイリス様?」
ローブを目深に被ったイリスに、同じ格好をしたアイシャが問いかけた。
「……なんだかずっと見られているような気がして」
イリスが何度も後ろを振り向くが、むしろ通りには往来が多過ぎて、誰もが怪しく見えてしまう。
「気のせいだろ。周囲を警戒しちゃいるが、特別怪しい奴はいない。いや、言い方を変えよう――この街は怪しい奴が多過ぎてもはや選択肢が多すぎる。気にするだけ損だ」
イリスの後ろを歩くヘルトがのんびりとそう助言する。霊体化しているので、その姿も声も二人にしか聞こえない。
「そうかなあ」
釈然としないイリスだったが、確かに、この街にはそういう雰囲気があった。大通りには商店や土産物屋、それに食事処が軒を連ね、雑多で明るい雰囲気を出しているが、一歩路地裏に踏み込めば、怪しい職業の者達や後ろめたい過去を持つ者達がたむろしている。
だからこそ、見るからに怪しい格好をしているイリス達も受け入れられ、誰もその格好を気にしない。
この街はそういう場所なのだ。
「ま、心配しなくても、まさか新国家を樹立した女王様がいきなり国を留守するなんて誰も思うまい」
「まあね。とにかく、まずは同胞に会いましょう。アイシャ、アジトに案内してくれる?」
「はい、こちらです」
アイシャが頷くと、路地裏へと入っていく。
もう少しだけ大通りの店――特に魔術用の触媒を扱っている――を見ていきたかったヘルトだが、主人を放っておくわけにもいかず、無言でついていく。
路地裏のあちこちに酔い潰れた男や物乞い、孤児達が座っており、ネズミが走り回っていた。
「光あれば影ありね……ネズミが沢山いるわ」
表通りの明るさが余計にこの都市の影を濃くしているような気がして、イリスは悲痛な表情を浮かべた。
「少なくとも、今はそれを気にしている余裕はお前にはないぞイリス」
「分かってるわよ」
「ならいいんだ」
しばらく路地裏を三人が無言を進んでいく。
すると路地裏の先にある小さな広場に辿り着いた。周囲を建物が囲んでいて中央には井戸があり、おそらく市民の洗濯場として使われているのだろう。
「ここです」
アイシャがその広場の脇にある小さな扉へと近付くと、三度その扉を叩いた。すると、小さな覗き窓が開く。
「〝イリス様は――」
覗き窓の奥の人物がそう呟いたので、素早くアイシャにそれに言葉を返した。
「――年上好き〟」
「……入れ」
扉の鍵が開く音が響く。
「ちょ、ちょっと待ちなさい。何よ今の暗号!!」
「三日に一度変えていますが、いい加減ネタが尽きてきたので、最近は〝イリス様の実は……〟が暗号になっています」
「何よそれ!! そそそ、それに別に年上なんて好きじゃないし!!」
あくびをしているヘルトを盗み見るイリスを見て、アイシャが珍しくにやりと笑った。
「……そうですね。さ、入ってください」
「ちょっと!! この件については後でじっくり聞かせてもらうからね!! あとこれまでどういう暗号だったかも全部!!」
「イリス様のファンが増えたのは間違いないですよ」
「そういう問題じゃない!!」
扉の奥は狭い通路になっており、先導するエルフに付いていくとその先にまた扉があった。その両脇には杖を持ったエルフの女性が二人、門番のように立っている。
「イリス様……よくご無事で」
「イリス様……歓迎しますよ」
「……ありがとう。私もまた同胞に会えて嬉しいわ」
二人の女性がイリスの返答に嬉しそうに笑顔を浮かべ、扉を開けた。
「こりゃあまた……凄いな」
思わずヘルトがそう漏らしてしまうのも無理はなかった。その扉の先は酒場になっており、綺麗に着飾ったエルフの美女達がテーブルに座って、客らしき男達を接待していた。
店内には明るい音楽が鳴り響き、まだ昼間だというのに、酒杯が行き交っている。
カウンターに立っているのも、給仕を行っているのも全てエルフの美女であり、客達は皆、顔を真っ赤にして鼻の下を伸ばしていた。
その光景に呆気に取られていたイリスに向かって、扉を開けた二人のエルフが何とも魅惑的な笑みを浮かべ、声を合わせてこう言ったのだった。
「ようこそ――【エルフ・ヘヴン】へ」
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