第6話:城壁の上で


 旧リーフレイア森林国西端――レフレス自治区。


「絶景かな絶景かな」


 ヘルトは、高さ約八メートルほどある城壁――彼が即席で作った大規模造壁魔術【ウォールオブイリス】の上に立って、壁の向こうに広がる荒原を、煙草――無理やり魔力で生前好きだった銘柄を再現した物――を吸いながら見つめていた。


 リーフレイア森林国はこの大陸の東端にあり、元々は険しい山々に囲まれた森林であった。そしてその国土の一番西側がレフレス自治区となったのだった。


「ふむふむ、北、東、南と山に囲まれているから良いとして――問題はやはり西か」


 人間領であるイングレッサ王国と唯一接しているのが、この西側の荒原だった。ヘルトはその荒原に面した部分に城壁を立てたのだ。これで一応、外からの侵入に関しては防げるようになっている。


「しかしまさか魔力を無限に使えるとはね……素晴らしいなハイエルフ」


 ヘルトはそう言って、自らの両手をまじまじと見つめた。


 彼は、生前であれば到底発動させることが出来なかったであろう大規模魔術を行使できて、内心ウキウキしていたのだ。どうやら【英雄召喚】によって召喚された英雄は、召喚者の魔力を使って行動できるようだ。ハイエルフの無限に近い魔力を使える事に興奮すると同時に、これまで考えも及ばなかった魔術の構想が次々と思い浮かんでいた。


「さて……我が祖国はどう出るかな? そろそろここが反乱を起こしたことが伝わって、ミルトンが慌て出す頃だろうしな」


 その様を思い浮かべ、ヘルトは薄い笑いを浮かんだのだった。おそらく、奴のお気に入りのヘンリック辺りを自分の後釜にして宮廷と魔導機関の両方を手中に収める気だったのだろうが……今はそれどころではないだろう。


 そして彼は同時に、性悪男二人に囲まれてさぞかしやりづらくしているであろうあの凜とした女騎士へと、想いを馳せたのだった。


「……こちらでしたか」

「ん? ああ、アイシャか」


 城壁の上に現れたのは、褐色に黒髪の少女――アイシャだった。


「イリスはどうした?」

「貴方に言われた通り、を各所に設置してもらえるように住民達に説明して回ってますよ」

「そうか。でも良いのか? 従者が離れて」

「……人間の私には、少し居づらい場所になりましたから。それにこの中にいる限り、イリス様は安全です」


 そう言って、アイシャはその長く綺麗な黒髪を耳にかける仕草をして、荒原の向こうを見つめた。

 反乱を起こしたイリスの姿を見て奮起したエルフ達は、魔杖隊を追いだし気炎を上げていた。いくらイリスの従者と言えど、彼女がエルフ達が憎む人間であることに変わりはない。


 居づらいと感じてしまうのも無理はないだろうとヘルトは察した。


「そういえば、聞いてなかったな。お前、ジプセンの民か? 砂漠を放浪する、戦と踊りの民」

「やはり知っていましたか」

「ああ。その腰の曲刀、アルヒラールだろ? それをしかも二本。んなもん飾りでも腰に差しているのはジプセンの民しかいない」


 アルヒラール。それはジプセンの民の誇りとも言うべき独特の曲刀であり、分厚い刃がまるで三日月のような形をしているから、彼らの言葉で三日月を意味する〝アルヒラール〟という名前が付けられたという。


「あとはその瞳だな。それ、魔眼だろ。ジプセンの民のみが持つ魔眼……遙かなる砂漠を見渡す力――【千里眼】」


 ヘルトが、アイシャの黒曜石のような瞳を見つめた。


 魔眼――それはこの世界で一部の者のみが持つ先天的な能力であり、名前の通り瞳に宿るという。そしてアイシャの瞳には【千里眼】と呼ばれる力があり、視界が通れば遙か先まで見通せる。


「魔術だけかと思いきや、そういった知識もあるのですね。ええ、仰る通りです」

「どんな知識も、魔術の糧になるからな。建築、経営、政治、美術、歴史……無駄な知識など何もない」

「流石はイングレッサ随一の大魔導師ですね。〝赤錆〟の名前は伊達ではない、か」


 またそのあだ名を言ったなこいつ、とばかりにヘルトが顔をしかめた。


「そのあだ名、嫌いなんだよ」

「そうですか? ぴったりだと思っていましたよ? 合理と効率を追求した、冷徹と論理の権化。そこに人の感情はなくまるで鉄のような男。あと赤髪」


 アイシャがビシッと、ヘルトの赤髪を指差した。


「赤要素が無理やりすぎる!」

「でも、意外でした。貴方がイリス様にまさか逃げずに戦えと助言するなんて。とても合理と効率を追求していた人の言葉とは思えませんでした」

「あん? 悪かったな。あれは俺も驚いているんだよ」

「ふふふ……貴方にも――人間らしいところがあったんですね」


 そう言って、アイシャがにこりと笑ったのだった。


「はん、死んでから言われても嬉しくねえよ。でもアイシャ、お前はもうちょっと普段から笑ってた方がいいな。そっちのがずっと可愛い」

「死んで頭だけでなく目まで腐ったんですか?」

「辛辣だな! ったく、褒めてるのに……」


 ヘルトが頭を掻きつつ、年ごろの少女の扱い方はいくつになっても分からんな、と心の中でため息をついた。


 しかしそんなヘルトをよそに、アイシャは荒原の遙か向こうを見て声を上げた。


「ヘルトさん……


 それは常人であれば当然見えないほど離れた位置だが、【千里眼】を持つアイシャの眼からは逃れられない。


 ヘルトが言われて、視力強化の魔術を掛け目を凝らすと――土煙を上げながら荒原を進軍している一団を見付けた。魔杖隊と思われる集団と、その背後には複数の竜車――地トカゲに牽引させる乗り物――が続いている。


 何より、その竜車にはとある紋章が刻まれていた。


「あ、あの紋章は――」


 アイシャの声が微かに震えている。


 だが、それも致し方ないことだった。その紋章が先の戦争で、このリーフレイアに運んだのは……〝〟だ。それを彼女は嫌というほど、視たのだ。その千里眼によって。


 そして、その紋章について一番良く知っているのが――ヘルトだった。


 杖を噛み砕く赤い竜の紋章。


「くくく……いきなり来やがったか、


 それこそが――ヘルトが造り上げた、合理と効率を突き詰めた軍用魔術を研究開発することだけを目的とした、狂気の集団とその産物によって構成された組織――に他ならなかった。


「さて、いよいよ始まるな……戦争が」

「はい。勝てるでしょうか?」

「当たり前だろ? 俺を誰だと思ってる」


 ヘルトがそう言って、遙か先にいる一団へと拳を向けた。


「俺亡き今、あいつらがどこまでのもんを造り上げたか……はん、楽しみだよ」


 その顔には――獰猛な笑みが浮かんでいた。


「イリスを呼べ、作戦会議だ」

「はい!」


 ――第一次レフレス防衛戦が、始まる。

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