第4話:英雄だからこそ


「ここは……」


 外へと出たヘルトが、ようやく現在地を把握する。


 その場所の名は――レフレス自治区。

 敗戦し、国を失ったエルフ達が唯一住む事が許された……地獄だ。


 そこは、何とも荒れ果てた土地だった。だがそれも当然、元々は緑豊かな森であったが、それらは全て――イングレッサ軍が燃やし尽くしてしまったからだ。


 通りと呼ぶにはお粗末な道沿いには掘っ立て小屋が立ち並び、周囲には緑一つない。いるのは、生気のない老いぼれたエルフや、絶望した表情を浮かべる痩せぎすのエルフの男達だけだ。


 だが一本だけ大樹がその中心地に残されており、その荒涼とした光景に癒やしを与えていた。それは霊樹と呼ばれるエルフにとっては魂とも呼ぶべき木であり、そしてそれはリーフレイア国、最後の一本だった。


 その霊樹に作られた隠し扉から、あの魔法陣があった空間に繋がっていたのだ。


 道理で、自然界に流れる魔力の素と言うべき存在――マナが豊富なわけだとヘルトは納得した。あの場所でなければ、例え無限の魔力を持つハイエルフでもあの召喚魔術は成功させられなかっただろう。


 であれば、ここならばあるいは……そこまで思考しつつヘルトは口を開いた。


「まさかここに潜んでいたとはな。確か、イリスだけ生死不明で軍部も必死に捜索していたようだが。まさか素直に自治区にいたとは」


 灯台下暗しとはまさにこのことだ。というか真っ先に捜索されて然るべきところだが……戦争に勝ったからと気が緩んだ魔杖隊の仕事だ、見逃しもあったに違いない。


「……でももう居られないわ。あの場所が見付かってしまったもの」


 ローブを深く被ったイリスが小声でそう呟いた。


「イリス様、行きましょう。さっきの奴らが帰ってこないことを不審に思って、やがて増援が来ますよ」


 同じくローブを被ったアイシャがそう言うと、イリスはこくりと頷いた。


 ヘルトはというと、霊体化しているのでそもそも姿も声も、任意の相手にしか認識できないようにしていた。


「んで、これからどうする気だ。言っておくが、いくら俺でもイングレッサの王城に突撃するお前を護り切る自信はないからな」

「分かってるし、そんな馬鹿なことはしないわ。あんただけを特攻させて自爆を命令すれば話は早いのだけど……」

「おい、サラッと恐ろしいことを言うな」

「冗談よ。あんたは私の魔力で動けているから、私から離れれば魔力の供給が止まって消滅しちゃうし。だから残念ながらさっきの案は無理なのよ。残念ながら!!」

「二回言うな」


 ヘルトはそれを聞きながら、問題が山積みなことに頭を悩ませていた。使役の呪縛を解除したとしても、今度は魔力供給の問題が出てきた。


 これは当分の間、この王女と行動を共にしなければならないと分かり、ヘルトはため息をついた。


「まあ、悪い面ばかりでもないけどな……ん? ああ、あいつらまた来たぞ」


 そうヘルトが呟いたと同時に、通りの向こうから赤い制服の一団――魔杖隊がこちらへと向かってきていた。だがその前を、通りにいたエルフの老人達が阻む。


「どうか……どうか水を……せめて緑化の魔術を」

「食料を……」

「ところで晩飯の配給はまだかのお?」

「なんだ貴様ら! 邪魔だ!!」


 老人達と魔杖隊が口論している間に、一人の老婆がイリスへと駆け寄ってくる。


「イリス様……どうか、どうかお逃げください。イリス様は昔からお優しい方ですから、私達のことを思ってここに留まってくださっていたことは皆が知っております。ですがそれでは――何も取り返せません」

「ですが、それでは皆さんが」

「なあに……あんなひよっこ共は、エルフ三千年の歴史一捻りですよ」


 そう言って老婆はニコリと笑い、残り少ない歯を見せ付けた。


「イリス様……! 行きましょう! イングレッサ領との境に位置する街、ラグナスに味方が潜伏しています。そこでまずは戦力を蓄えましょう!」


 アイシャの言葉と老婆の眼差しにイリスは、複雑な表情を浮かべた。


「どけ!! 言っとくがお前らはいつでもぶっ殺して良い許可をこっちは持っているんだぞ!!」


 向こうでは魔杖隊が業を煮やし、老人達に暴行を加えていた。

 

「っ!! イリス様、早く!」

「でも……!」


 ヘルトはそのやり取りを見つつ、青臭い正義心だとイリスを笑いかけた。いくら、対抗できる力――つまり自分を手に入れたとはいえ、向かってくる敵を毎度毎度倒していては、いつまで経っても目的地には辿り着けない。


 特に王と呼ばれる者は、時に傲慢に、己の為に民の命を投げ捨てさせる覚悟が必要だ。その覚悟がイリスには足りてない。


 ヘルトとそう思い、口を開いた。間違いなく、ここは老人達を、否、このもう終わった土地を見捨てて逃げるべきだと。


 だが彼の口から発せられたその言葉は、合理と効率を神と崇める彼らしくない――そして彼自身もまた予想外の言葉だった。


「イリス……おいおい、まさか逃げるのか? あんなのにビビってたら国の奪還なんて、夢のまた夢だと思うが。お前が取り戻すべき誇りは、。イングレッサの玉座か? いや違う。ラグナスのその味方とやらのところか? いや違う。お前は誰だ。お前の立つべき場所はどこだ」


 その挑発的な言葉にイリスが目を見開いた。


 そしてヘルトまた、俺は何を言っているんだと驚いていた。それぐらいにその言葉はヘルトらしくなく、本人は気付いていないが、それは彼がとっくの昔に捨てたはずの……それこそ彼が言う、青臭い正義心によるものだった。


 だがその言葉は、確かにイリスの心に響いていた。


「私は――リーフレイア森林国第一王女イリス・リフレインよ!!」


 イリスがそう大声で叫び、ローブを脱ぎ捨てた。


「イリス様!」


 アイシャの悲痛な叫びと同時に――


「いたぞ!! 王女だ!! 捕らえろ!!」


 魔杖隊が老人達を無視してこちらへと駆け出す。


「ここは我が国、我が領土……貴様らのような者が踏み込んで良い場所ではないわ! ヘルト、手伝ってくれる?」


 イリスが杖槍を構えながら、真っ直ぐにヘルトを見つめた。その紫の瞳を見て、ヘルトはフッと笑ったのだった。


 そうだった。俺はもう……イングレッサの魔術師でもなければ、虐殺者でもない――イリスの英雄なのだ。


「使役の呪縛を使わなかったところに免じて……あえてこう言ってやるよ――、とな」

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