第11話 毒蛇の牙と五人の沈黙する女


「呼びだしてすまない、仁。ちょっと昔の話を聞きたくてな」


「わかってるさ。『ヒュドラ』事件の再捜査をしてるんだろう?とにかく容疑者がまったく捜査線上に浮かび上がらなかったという意味では、えらく難儀した記憶しかない事件だよ」


 仁は俺と同じものをお加世さんに注文すると、電子煙草を取り出した。この男は俺の数少ない同期の一人で捜査一課を代表する切れ者であると同時に、変人としても有名な人物だった。


「大垣の犯行ではないと目されている五件目までには確か、共通点があったよな?メッセージみたいな奴」


 俺が記憶を頼りに尋ねると、仁は「ああ、そのメッセージが『ヒュドラ』という名の元になっている。そもそもは、犯行現場に誰にも読めない奇怪なメモが残っていたことが始まりだ」と言った。


「誰にも読めないメモ?」


「そうだ。蛇がのたくったような記号がびっしりと書かれたメモで、最初は捜査員も落書きだと思ったらしい。だが後日、捜査本部に同じような意味不明のメモが届き、二枚を重ね合わせると文字になるということが判明した。これが何を意味するか、わかるか?」


「二つ揃わないと意味をなさない……つまり、現場にメモを残した人間と捜査本部にメモを送った人間は同一人物ってことだ。犯人しかその『蛇文字』は書けないわけだからな」


「その通りだ。その後の四件の殺人現場にも同様のメモが残されていた。模倣犯の線も一応は考えられたが、マスコミにメモのことを漏らしていない以上、同じものを作れるのは犯人しかいない」


 仁は記憶を探るような素振りを一切見せず、すらすらと三年前の捜査内容を語り続けた。


「最後の二件の現場にはメモがなく、『蛇文字』とは似ても似つかないワープロ書きの告白文が捜査本部に送られてきた。これは六件目と七件目が『ヒュドラ』を模倣した犯行である証拠と言ってもいい」


「大垣はSNS上で『男爵』を名乗っていた。『ヒュドラ』に罪を被せたのは、連続殺人鬼の容疑者として『男爵』の名が上ることを恐れたためだろう」


「最後の二件が模倣犯だということを示す手がかりがもう一つある。それは殺害方法だ」


「殺害方法?」


「ああ。最後の二件は絞殺だが、実はそれまでの五件はすべて毒殺だ」


「毒殺だと?」


 俺が訝しむと、仁は「やはり喰いついてきたか」という顔になった。


「この特異な殺害方法は『ヒュドラ』事件にひとつの仮説をもたらした。それは五件の殺人が被害者女性による、連続殺人を装った自殺ではないかという説だ」


「自殺……」


「毒なら一人で飲むことができるし、最初の被害者が何らかの方法で二番目以降の被害者に『蛇文字』の書き方を伝授すれば、あたかも同一人物がやったかのように偽装できる」


「ふむ、一応筋が通ってるな。さっき容疑者が一人も捜査線上に浮かばなかったと言ったが、結局、自殺ってことで蹴りがついたのか?」


「ところがそう簡単にはいかないんだ。五人を殺した毒が特殊な神経毒で、科学的に分析することができない、早い話が素人には作ることも購入することもできない物だったんだ」


「特殊な毒……」


「毒は犯行現場に残された牙のような容器に入っていたそうだ。仮にネットで入手したものだとしても、そのような特殊な毒を若い女性に提供した人間がいるということになる」


「全部同じ成分なら、同じ提供者だろうな。その場合、殺人鬼と言うよりほう助だろうが」


「どちらにせよ、その人物を炙りださないことには事件は解決したとは言えない。捜査本部は解散したが、俺たちの間で今だに燻り続けている一件であることに変わりはない」


「大垣が毒や『蛇文字』と無関係だとしたら、前の五件も再捜査の可能性が出てくるな」


「まあそうなったら五人の女と話してみるんだな。案外、すぐわかるかもしれないぜ」


 仁はそう言うと、焼きサバ飯に箸を伸ばした。俺はふと、沙衣に預けてある朔美という浮遊霊のことを思い浮かべた。まずはあの霊とでも話してみるか。


 ――大垣の件が片付いても、お加世さんの言う妖魔や亡者を操れる現世人の謎が残っている。こいつは簡単には片付かない気がするぜ。


 俺は現世の苦労を顔に刻んだ仁に「いい話が聞けて助かった。今日は奢るぜ」と言った。


             〈第十二話に続く〉

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