第10話 湯気の異界にたたずむ女


「こりゃひでえ。もう少し手こずっていたら、渡し守どころか俺があの世行きになってたところだ」


 俺は遥か向こうまで続く燭台の列と、手前から数本しか灯っていない蝋燭の火を見て呟いた。これから俺は左右の蝋燭に一本づつ火を灯してゆかねばならない。このプロムナードは俺の心の中にあるチャージ室なのだ。


 俺は蝋燭に一本づつ火を点けながら、赤いカーペットの上を歩いていった。この蝋燭は俺の身体に入っている『フェイクソウル』のエネルギー残量を意味している。


 俺を生かしている『フェイクソウル』とは、死神が本物の魂を預かる代わりに俺に移植した仮の魂だ。言わば偽物の魂だが、その代わり死神を呼びだしたり冥界の力を借りたりできる特性がある。


 プロムナードの奥に横たわっている俺のところまで火が灯ればエネルギーのチャージは完了だ。逆に手前までの蝋燭が全て消えると魂は枯れ、現実世界の俺は死ぬ。エネルギーの残量は俺の手首に現れ、黒い手首が真っ白になるとエネルギー切れなのだ。


「やれやれ、一度の戦闘でここまで減るとなるとこの先が思いやられるな」


 火を灯す作業が半分を超えたあたりで俺は立ち止まり、深呼吸をした。この作業は細心の注意が必要なため、起きている時には行えない。つまり現実世界の俺は今、アパートで文字通り死体のように横たわっているというわけだ。


「さて、それじゃあ続きを始めるとするか。今行くから待ってろよ、死にかけの刑事さん」


 俺はプロムナードの奥にいる『自分』に呼びかけると、左右の蝋燭に火を灯し始めた。


                  ※


「ふうん、霊虫の幻覚ねえ。特異時空を作るほどのエネルギーとなると、相当な使い手が後ろに控えてるね」


 惣菜とモツ煮が売りの小料理屋『釜ゆで屋』の女将、お加世さんはモツ煮の小鉢と焼きサバ飯を俺の前に並べながら言った。


「しかしわけがわからないのは、仮に連続殺人の背後に亡者たちがいるとしても、どうせ大垣は有罪になるってことだ。終わった事件で大きな陰謀もない。捜査の邪魔をしたところで奴らには何のメリットもない」


「そうだねえ。あるいは冥界がらみじゃないのかもしれないね」


「なんだって?そりゃどういうことだいお加世さん」


 俺はふくよかな女将の意味深な台詞に、思わず喰いついた。


「霊虫を扱う妖魔は限られてるけど、どれも下級の妖魔で現実の人間を襲うレベルじゃない。特異時空をこしらえるだけのエネルギーを冥界から持って来たら、自分が消滅しちまうってことさ。あんたがお相手した妖魔はこっちの世界で誰かがこしらえたもんだろうね」


「現世の人間が霊虫を作るだって?ばかな、そんな人間がいるものか」


「わからないさ。妖魔と人間、あるいは亡者と人間のハイブリッドかもしれない。あんただって死神と人間のハイブリッドだろう?ひょっとしたら初めて出会う『同類』かもしれないよ」


 俺はぞっとした。もしそんな奴が現世にいるのなら、俺の対亡者用装備では戦えないかもしれない。とにかく大垣の一件をさっさと終わらせて、敵の目的を突き止めなければ。


 俺がもつ煮の味を楽しむのもそこそこに、忙しく頭を働かせて始めた、その時だった。


「――よう、久しぶりだなオカルト刑事」


 湯気の中からぬっと顔をつき出したのは捜査一課のやり手刑事、百目鬼仁どうめきじんだった。

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