第9話 呪わしき魔物よ、己の天敵を知れ
「オヘヤノゴリヨウジカンガ、ジュップンヲキリマシタ……エンチョウシマスカ?」
霊虫に取り憑かれた店員は、それでもマニュアル通りの言葉を俺に向けて吐いた。
「こちとら持ち合わせが六文しかないんでね。亡者に頭を下げてまで延長する気はねえよ」
俺は妖魔と不毛なやり取りを交わしながら、この手の霊虫は火に弱いはずだと思考を巡らせた。残りのエネルギーを考えれば『業火』で勝負すべきだろうが、まだ沙衣の居場所を聞いていない。それに店員を殺さずに霊虫だけを倒せるかどうかもわからなかった。
俺が首に絡みついた糸をどうにかして緩めようともがいていると、ふと「この糸の先に奴の『本体』があるとしたら?」という想像が浮かびあがった。
――死神、糸を逆にたどって体の中の『本体』を引っ張りだせるか?
――ふん、お前さんは死にかけると何やらひらめくようだな。……ではやってみるとするか。
俺は身体を半回転させると、糸を掴んで両手で手繰り寄せはじめた。霊虫との距離が縮まるにつれて首を閉める力が強まり、俺の両肺が酸素を求めてあえいだ。
「よし、今だっ」
俺が糸を掴んだまま床に腹ばいになると、「がっ」という声と共に霊虫の口が大きく開いた。
――それっ、ゆくがよい。
死神がそう叫ぶと、骸骨の口から黒い鼠が現れて霊虫の口の中へ飛び込んでいった。
「――ぎゃあっ」
霊虫の喉から呻き声が迸ったかと思うと、俺の首を縛めている力がふっと緩んだ。おそらく霊虫の体内にいる『本体』を幻の鼠が襲ったのだろう。俺は糸を振りほどくと特殊警棒を霊虫につきつけた。
「言えっ、本物のポッコはどこにいる」
「が……が……」
体内で鼠に『本体』を襲われているにも拘わらず、霊虫はしぶとく抵抗を示した。畜生、このまま膠着状態が続けばエネルギー切れでこっちが危なくなっちまう。俺がどうにか居場所の手がかりだけでも掴めないものかと室内を見回した、その時だった。
がたっという音が聞こえ、音のした方を見ると、コの字型に続いている長椅子が目に飛び込んできた。
――そうか、あの下か!
俺は特殊警棒のスイッチを入れると、先端を座面の継ぎ目に突き立てた。次の瞬間、特殊警棒から迸った電流が継ぎ目を走り、座面の一部が音を立てて開いた。
「――ポッコ!」
椅子を使った収納庫の中に、横たえられている沙衣の姿が見えた。
「う……カ……ロン」
俺が沙衣を椅子から引っ張りだそうと近づいた、その時だった。キイッという甲高い声が聞こえたかと思うと、霊虫の口から幻の鼠が飛びだしてくるのが見えた。ネズミは床の上でぶるりと震えると、そのまま黒い煙となって消滅した。
――死神!どうなってるんだ?
――手を見るのだ。わしを呼びだすのにエネルギーを使いすぎたようだな。わしはもうすぐ消える。あとはうまくやるがいい。
俺は白くなった手首を見て思わず歯噛みした。昼間に死神を呼びだすと、夜の倍近いエネルギーを消耗するのだ。
「店員さん、ちょっとの間、我慢してくれよ」
俺は霊虫の口に特殊警棒を向けると、「頼む、一発で決まってくれ」と叫んで火を放った。
「――ぎゃあっ」
口許に火炎放射の直撃を浴びた霊虫がひるんだ瞬間、俺は口から出ている糸の端を掴んで力まかせに引いた。
「……えぐっ!」
霊虫の口から飛びだしたのは、芋虫のような胴体に人間の顔を乗せた二十センチほどの妖魔だった。
「――ポッコ、鳩にそいつを食わせろ!」
俺が叫ぶと、目を丸くしている沙衣の身体から透明な鳥が抜け出すのが見えた。鳩の霊は床の上を這って逃げようとする『本体』を鋭い爪で鷲掴みにすると、嘴を突き立てた。
「ギャ―ッ」
霊虫の『本体』は耳を塞ぎたくなるような声を上げると、黄色い煙となって消滅した。
敵が消えると、それまで部屋を覆っていた幻も同時に薄れ始めた。元に戻ったパーティールームに残されたのは、上体を起こした姿勢で放心している沙衣と俺の二人だけだった。
「カロン……今のはなんだったの?」
「さあね。とにかくただの連続殺人じゃないってことだけははっきりしたな。見てろ亡者ども、必ずとっ捕まえてこの手でふんじばってやる」
俺は崩れ落ちる寸前の手首に目を遣ると、霊虫がぶら下がっていた天井を睨み付けた。
〈第十話に続く〉
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