第8話 魔界おひとり旅は戦い放題


 沙衣が閉じ込められているカラオケ店は、署から車で十分ほどの場所にあった。


 店の前に立った俺は、建物全体がすでに現実から切り離されていることを察知した。


「くそっ、特異時空の繭に包まれていやがる。これじゃ中に入るのは至難の業だ」


 ――死神、霊力の薄そうなところを狙って破れるか?


 ――相変わらず無謀なことを頼んで来るな。……まあ、やってやらんこともない。


 死神はいつもの億劫そうな口調で言うと、俺の前にぬっと姿を現した。ちなみに死神の姿というのは多くの人が想像する通り、鎌を携えた黒い服の骸骨だ。死神は灰色のもやに包まれた建物の前を二、三度行き来すると「ふむ」と言って動きを止めた。


 ――どうやらこの辺りが手薄のようだな。どれ、ひとつ破ってみるか。


 死神はドアに見える箇所の前に立つと大鎌を振り上げ、ためらうことなく打ち降ろした。


 次の瞬間、空間がビニールのように裂け、中から嫌な臭いのする気体が噴き出した。


 ――開いたぞカロン。閉じる前に飛び込むのだ。


「やれやれ、今回もあっちの世界にご招待か」


 俺はため息をつくと、不気味に震えながら口を開けている異界の裂けめへと飛び込んだ。


 中に足を踏みいれた俺は、極彩色の世界に一瞬、めまいを覚えた。目が慣れてくるとそこがカラオケ店のロビーだとわかるのだが、人の気と冥界の邪気とが入り混じっているせいで無数の欲望を混ぜた色になっているのだった。


「いらあしゃいませ」


 壊れたスピーカーのような声と共にカウンターに姿を見せたのは、若い女性だった。


「どこかの部屋に女性刑事が一人で入ってるはずなんだが、どこか教えてくれないか」


 俺が尋ねると、女性は「おひとりじぇすか……おじかんわ」と噛みあわない答えを寄越した。目が黒い穴のように見えるところを見ると、半分亡者に取りつかれているのだろう。


「用件はすぐ終わる。刑事を連れて帰りたいので部屋を教えてくれ」


「かいいいんしょうわおもちもちもちですか」


「あいにくと警察手帳しかもってないんだ。カードもない。割引も一切、必要ない」


 俺が手帳を掲げてみせると、女性店員は「ごきぼうの……キシュッ!」と言って口から黒い液体を吐いた。俺は咄嗟に交わすと特殊警棒を抜いた。


「本性を現したな。教えてくれないのなら、勝手に探させてもらうぜ」


 俺は店員から離れると、カウンターの脇の通路と思しき空間に飛び込んだ。ぐにゃぐにゃした廊下をバランスを取りながら進んでゆくと、奥の方に明らかに他の場所とは違う闇が吹きだまったような一角があるのが見えた。俺は慎重な足取りで近づいてゆくと、闇の中に浮かぶドアに思いきって手をかけた。


「――ポッコ!」


 沙衣の名を呼びながら飛び込んだ俺が中で見たものは、パーティールームの天井に貼りついている巨大な繭状の物体だった。


「な、なんだこれは……」


 ――霊虫の繭じゃな。恐らくお前さんを呼びよせるため、お仲間を捕えたのだろう。


 ――つまりあの中にポッコがいるってことが。……くそっ、なんてこった。死神、ポッコを傷つけないように鎌で切り裂くことはできるか?


 ――ふむ、やってみるか。だが責任は負えぬぞ。


 死神は一回り小さいサイズになると鎌を取り出し、巨大な繭を切り裂くように振った。

 

 ――ぬ?


 刃先が繭の表面に食いこんだ瞬間、大量の白い泡が現れて刃の上を流れ始めた。泡は瞬く間に鎌全体を包みこむと、霊的物質である鎌を消滅させた。


 ――わしの力では無理のようだな。カロン、『業火』を使ってみろ。


 ――仕方ない、危険はあるがやってみるとするか。


 俺は特殊警棒の先を繭に向けると、身体のエネルギー残量を確かめてグリップのスイッチを押した。次の瞬間、警棒の先から青白い炎が噴き出し、繭の表面を焼いた。


「くっ……長時間は無理だ、死神。エネルギーが足りねえ」


 俺は警棒を握っている自分の手首が灰色になるのを見て叫んだ。手首の色が完全に白くなると、仮の魂によって生かされている俺の身体は霊的な死を迎えるのだ。


 俺が警棒を握る手にありったけの力をこめていると、やがてじゅっという音がして繭の表面から煙が出始めた。


「よし、どうやら効いているようだ」


 俺がほっとした瞬間、べりっという音がして繭の中から人間の身体が現れ、落下した。


「――ポッコ!」


 粘液のような物に全身を覆われた沙衣は、床の上で苦し気に身もだえした。俺が近寄って抱き起こそうとするとたちまち沙衣の身体は崩れ、先ほどの白い泡になって消滅した。


「な……なんだ?」


 ――偽者だ、カロン。気をつけろ!


 死神の声が耳元で響いた直後、背後から何かが俺の首に巻きつき、強い力で締め上げた。


「……うぐっ!」


 痛みをこらえて振り返った俺が見たものは、芋虫のような体に人間の上半身がくっついた化け物が口から大量の糸状物質を吐いている姿だった。


「くそっ、店員に霊虫が取りつきやがったな。ポッコは……本物のポッコはどこだ?」


 俺は首に絡みついた糸を引きちぎろうともがきながら、化け物に向けて問いを放った。


              〈第九話に続く〉

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