第3話 眠れぬ亡者、生ける刑事を襲う


「着いたぞケン坊。ここからは歩きだ」


 俺は立体駐車場の隅に車を押しこむと、助手席の後輩に言った。


「ここからその、殺害現場までは遠いんスか?」


「すぐ近くだ。この真上だよ。そこのエレベーターに乗って降りるんだ」


「えっ、この駐車場の中だったんですか」


 俺が目の前の小さな煤けた箱を指さして言うと、ケヴィンは「ひっ」と悲鳴のような声を上げた。本当は沙衣と三人での検証を予定していたのだが今朝、原因不明の腹痛を起こしたため、最初の現場は俺とケン坊の二人だけで赴くことになったのだ。


「どうして事件のあった階に車を止めなかったんですか、兄貴?」


「知りたいか?知りたければまず、エレベーターに乗れ。その後で教えてやる」


 俺はきょとんとしているケヴィンを促してエレベーターに乗り込むと、最上階のボタンを押した。


「狭いっスね……」


 閉所恐怖症なのか、扉が閉まり箱が上昇を始めた途端、ケヴィンが顔を顰めた。


「その狭い場所で被害者は殺されたんだ。最上階につくまでのわずか十数秒で監視カメラに目隠しして被害者の首を閉めた……と一課の連中は考えている」


 俺がわざと声を低めて言うと、ケヴィンは「こ、この中でですか?」と震える声で言った。


「そう、この中が殺人の現場だ。被害者は溝口裕美みぞぐちひろみ、当時二十歳。声優志望の女性だ」


 俺が失神寸前のケン坊を見てやろうと目線を動かした、その時だった。


「あ、兄貴、顔が、顔がっ!」


 突然、ケヴィンが絶叫すると、エレベーターの壁を目で示した。見ると煤けた壁の上に女性の物と思しき顔が浮かび、何かを訴えるように口を動かし始めた。


「残留思念だな。怖がらなくていい。これは強い恐怖の感情が物体に焼き付けられただけだ。霊の本体じゃない」


「本体って……どう見ても霊ですけど」


 壁の顔から目を背け、いやいやをするように首を振るケヴィンに、俺は「まあ霊の一種かもしれんがそいつに用はない。……最上階に着いたぞ、とっとと降りようぜ」と言った。


「降りていいんスか?この中が殺人現場だってさっき言ってたじゃないスか」


「殺害の現場と言われてはいるが、たぶんここに『証人』はいない。被害者はここから駐車スペースに運びだされ、放置されたんだ」


「運びだされた?犯人に?」


「そうだ。『ヒュドラ』と目される人物にね」


 俺はケヴィンと共に最上階に出ると、奥まった一角へと足を運んだ。


「当時の資料によれば、『ヒュドラ』はここで息絶えた被害者を車に乗せようとしたらしい。が、たまたま上がってきた利用者に見咎められ、遺体をここに放置して逃走したそうだ」


 俺は奥にある柱の脇に立つと、開いている駐車スペースを指さしながら言った。


「そいつが今、拘留されている人物なんですね?」


「わからん。だったら話が早いんだが、それをこれから霊に『面通し』して確かめるんだ」


 俺は手袋を脱ぐと柱に手を当て、目を閉じた。


 ――被害者を呼びだせるか?死神。


 ――やってもいいが、そっちの細いのは大丈夫なのか?驚いて新たな犠牲者になったりせぬだろうな。


 ――何事も経験だ。構わねえから呼びだしてくれ。


 ――ふむ、いいだろう。


 俺が『奴』への呼びかけを終えて目を開けると、駐車スペースの上にぼんやりと白い影が現れるのが見えた。影はゆらゆら揺れた後、やがてうずくまる若い女性の形になった。


『ここは……どこ?あの人は、どうしたの』


 女性の霊は顔を上げて不安げな表情を見せると、弱々しい声で言った。おそらくこれが溝口裕美の霊に違いない。


「ここは立体駐車場の最上階で、俺たちは刑事だ。早速だが、あの人ってのが誰のことか、教えてくれないか」


 俺は霊の正面に立つと、「この人かい?」と言って大垣が映っているタブレットを見せた。


「その人……うう……『男爵』……」


 俺は大きく頷くと裕美の霊に向かって「ありがとう。やはりな」と言った。


「兄貴、『男爵』って何です?」


「帰ったら教えてやる。それよりせっかく霊とご対面できたんだ。お前さんの方は何か聞きたいことはないのか?」


「え、俺ですか?いやその……は、はじめまして。刑事の犬塚です」


 ケヴィンが素っ頓狂な挨拶をすると、裕美の霊は「刑事……」と呟き目線を逸らした。


「兄貴、嫌われたみたいです」


 半べそをかいて訴えるケヴィンを、俺は「最初はそんなもんだ」と宥めて脇にどけさせた。


「出てきてもらったついでに、少し図々しいお願いをしてもいいかな、溝口さん。あんたの一部を切り離して、この『死霊ケース』に入れて欲しいんだ」


 俺がマッチ箱大のケースを取り出して見せると、裕美の霊は顔を上げ「うう」と呻いた。


「……なに、ちょっと捜査に同行してもらうだけだ。一区切りついたら元に戻す。あんたを成仏させるため、協力してもらえないかな」


『うううう』


 裕美の霊が宙を睨んで呻くと、やがて肩のあたりから小さなもやっとしたものが飛びだし、俺が手にしているケースに飛び込んだ。


「ありがとう。これで捜査がはかどるよ。事件が解決したら報告に来るから、それまでゆっくり休んでてくれ」


 俺が霊に礼を述べてその場を立ち去ろうとした、その時だった。突然、裕美の背後に黒っぽい影が揺らめきながら現れたかと思うと、触手のような物が裕美の霊に絡みついた。


「――なんだ?」


 俺が身を乗り出すと、俺の足元にも黒い水たまりのような影が出現した。危険を感じた俺が振り払おうと足を上げると、今度は黒い触手が現れて俺の足に絡みついた。 


「くそっ、邪魔する気か」


 俺は蛇のように体をくねらせる触手からどうにか逃れようと、必死でもがいた。


 ――こいつ……亡者の一味だな。


 俺は腰のベルトから対亡者仕様の特殊警棒を抜くと、足元の影に向かって突き立てた。


「ぎゅおうっ」


 影は苦し気にひと声、呻くと身をくねらせながら床に吸い込まれていった。


「兄貴、大丈夫ですか?」


 ケヴィンの声に我に返った俺は、裕美を見ようと顔を上げた瞬間「あっ」と叫んでいた。


「いない……」


 裕美の霊がいた場所には霊も黒い影もおらず、何もない駐車場の床だけが見えていた。


「畜生、奴め貴重な『証人』を連れ去りやがった」


 してやられたという無念さで俺が思わず歯ぎしりすると。ケヴィンが「兄貴、ケースを落としてます」と言った。慌ててケヴィンが示したあたりを見ると、先ほど浮遊霊を収めたはずの『死霊ケース』の蓋が開いて空の中味を晒しているのが見えた。


「なんてこった、せっかく同行を願おうと思った『参考人』までが消えちまった……」


 俺はがっくりと肩を落とすと、緩慢な動作でケースを拾った。


「兄貴、落ち込むことないっスよ。気を取り直して、次の捜査に行きましょう」


 ケン坊に慰められた俺は、軽口を叩く気力もなく「そうだな」と返して天井を見上げた。


 ――『ヒュドラ』と亡者の間に関係があるとしたら、簡単には片付かないだろうな。


 俺は特殊警棒をしまうと、不安げな顔のケヴィンに「行こう。もうここには何もない」と言った。


              〈第四話に続く〉

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