残り香

pear

残り香

蒸し暑い夜。

じわじわと滲む汗の不快感と蚊取り線香の沁みる匂いに目を覚ます。

起き上がったはいいものの、動く気力すらない。

虫の寂しい鳴き声だけが耳に残る。

隣で寝ている君は私より汗をかいているけれど、気持ちよさそうに寝ている。

(喉、渇いたな)

君を起こさないようそっとベッドからでてコップに水を汲む。

今日は空が明るい。満月だろうか。

ベランダに出て、月を眺めながらぼーっとする。

蚊取り線香とはまた別の、夏特有の不思議な匂いが鼻の奥に漂う。

扇風機をつけてひとり涼む。

汗が冷えて気持ちいい。

目を閉じてまたぼーっとする。

「……どうしたの?」

君は目を擦りながらむくりと起き上がる。

「なんか目が覚めちゃって。ごめんね、起こしちゃった?」

「ううん、大丈夫」

大きな欠伸をした君は後ろから私を優しく抱きしめる。

「……暑い」

「んー……」

君は私の首元に顔をうずめる。

ほのかに私と同じシャンプーの匂いと汗の匂いが香ってくる。

「暑いねぇ……」

「あんたがくっついてるからでしょ」

「ふへへ」

「アイス食べたい」

「じゃあコンビニでも行く?」

「…うん」

二人で手を繋ぎながら静かな通りを歩く。

「もうノーマットにしようよ。蚊取り線香飽きちゃった」

「えー。風流だよ風流。夏って感じするでしょ」

「わかんない。じゃあせめてエアコン生活にしようよ。扇風機じゃやっていけない」

「えー。そしたら蚊取り線香の匂いわかんないじゃん」

「私暑いの苦手なんだって」

「うーん、考えとく」

「考えといて」

溶けかかったアイスを食べながら歩く夜道は少し特別な感じがする。

世界に二人しかいない感覚。寂しいけどどこか嬉しい。

溶けたアイスの雫が温かいアスファルトに落ちて染み込んでいった。


ふと目が覚めた。

ゆっくりと起き上がる。

涼しい。蒸し暑さも滲んでくる汗もない。なんて快適なんだろう。

蚊取り線香の匂いも独特な夏の匂いもしない。寂しい虫の声も聞こえなければ、喉の渇きも感じない。

外は暗い。今日は新月だろうか。

なんとも言えない無機質な空間。

隣にある枕に顔をうずめる。

私は未だに君の匂いが恋しくて堪らないのだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

残り香 pear @kanna1220

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ