国家社会主義の台頭
1939年12月4日 南ドイツ共和国 アウクスブルク
この日、数々の政策の失敗により、社会民主党と中央党の連立政権は不信任案決議がされたことで崩壊した。次の政権を決める選挙は1940年1月に行われることになり、各党はそれぞれの演説を行っていた。中でも注目を引いたのは国家社会主義ドイツ労働者党、通称ナチスと呼ばれる極右政党であった。その党首のアドルフ・ヒトラーの巧みな演説は当時の政権に失望しきっていた民衆の心を見事につかみ取った。
そして、選挙当日、多くの人々が投票所を訪れ、それぞれの支持政党に票を入れた。直ぐに集計され、5日後に結果が発表された。結果は196議席のうち、109票をナチスが獲得し、また、他の右翼政党も大きく票を伸ばし、特に最大派閥の国家人民党は48議席まで勢力を伸ばした。一方、旧政権側は僅か22議席にまで打ち減らされた。首相には最大政党となったナチスの党首であるヒトラーが任命された。
1940年1月20日 アウクスブルク 首相官邸
ヒトラーは執務室で秘書のボルマンを呼びつけていた。
ヒトラー「ボルマン、旧政権を貶める準備は終わったか?」
ボルマン「はい。現在、工作員が準備をしている所です。」
ヒトラー「そうか。それでは、成功の報告を待つとしよう。」
1940年1月22日、南ドイツ共和国の臨時国会として使われていたアウクスブルク市庁舎が突然、火の手を上げた。直ぐに消防隊が出動し、鎮火されたが、市庁舎は半焼し、国会として使えなくなってしまった。現政権ナチスはこれを旧政権である社会民主党及び中央党の仕業と断定。党員を次々と不正に逮捕し、両党の残党はスイスに亡命。旧政権の22議席分は他の政党の議席占有率で分割された。
臨時国会火災事件の後、ナチスは本格的に政務に取り掛かった。まず、軍の大改革を行った。それまで歩兵中心が主流だったが、ポーランド戦でそれは覆された。現在、世界各国は強力な戦車の開発を行っており、南ドイツもそれに続いた。また、レーテ共和国へのスパイ活動などを通じて設計図を入手。それを用いた機甲師団に徹底した厳しい訓練をさせるなど、他の国々よりも積極的に動いた。また、空軍もゲーリングの指導により、一気に精鋭になり、レーテ共和国機とも互角に戦えるようになった。また、一部のエースパイロットによる不定期的なベルリン襲撃はレーテ共和国の空軍戦力をベルリンに集中させる結果となり、他の空域では反共勢力が優勢になった。
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