第15話 15

<14:00>

 空模様がどんよりしていて、今夜にでも雨が降りそうな雰囲気だ。



 ……




『やってしまった……』




 美和と別れて気持ちが凄く落ち込んでいる。そのうえに仕事先で殺されそうになる。これで平気でいられるようなら、人としてどうかしている。


目前でスクラップと化したバイクの残骸を前に、意外にも落ち着いている自身が居る。


(バイクはあんなにひしゃげているのに、意識ははっきりしている。痛みは感じない。このまま立ち上がれそうだ……)


この時点の克己はバイクを大破させて惜しい、という気持ちが何故か湧いてこない。

失恋と会社での出来事の方が大きくて、事故を起こした現実を受け入れられずにいる。

もっともバイクを破損させて後悔するのは、ずっと後になってからの話だが……


克己はバイクから放り出されて道路に横たわっていたが、動けそうだというのを理解して起き上がる。

被っていたフルフェイスヘルメットを着脱して手に取ってみる。


『これは!』


被っていたフルフェイスヘルメットは日本製の規格ヘルメットなのが幸いして、バイザー部分が吹き飛び、多少の傷はついているものの大きな凹みや破損は見られない。だが、バイザー部分となる開口部が鮮血で染まっている。

ハッとした克己は、どこか異常が無いか?と自分の顔を両手でまさぐる。

両手は鮮血で紅くなっている。どうやら、鼻の下の部分が切れているようだ。持っていたハンカチを取り出して、傷口を押さえる。

これからどうしようか、と考える間も無く即断行動していく。


走行や通行の邪魔にならないよう、破損した大きな破片を道路脇に集める。


<15:00>


 それから近くの店まで行き、スクラップとしたバイクを運搬する手配をお願いする。お世話になっているバイク店のメカニックマンが迎えに来たので、バイクを預ける事にする。


『私はこのまま歩いて帰ります。後日に伺います』


と、克己は手短に後処理を筆談でお願いする。

美和や仕事の事で気が動転して、バイクという足を失った克己。

まともな精神状態ではないので、とても仕事が出来る状態ではない。数日間は休むべきだったのかもしれない。

だが今更、殺意をぶつけられた会社に戻る気は無い。

もうどうにでもなれと、ヤケになる。考えをまとめられない克己は、このまま歩き続ける事にする。



……



……



<21:00>


 気が付けば夕方だったのが、真っ暗な夜になっている。

しかも雨が降り出してきて、一粒一粒が肌を刺すように冷たい。

泥で汚れた作業服の上に大きい内ポケットがついている厚手の袖無しベストを羽織って、安全靴を履いている。

作業服は薄い生地なので、袖無しベストの腕部分が雨に晒されて肌寒い。



ザァーザァー……




歩き続ける道路の街灯を頼りに進み続けている。時折対向車からのヘッドライトの光が目を突き刺す。


今何時なのだろうか?


今どこを歩いているのだろうか?


何もかも、わからない。


俺はどうすれば良いんだ?


……


ただひたすら歩き続ける。

黙々と歩き続けて足が棒のようになり、疲労が極度の限界に達した克己はもんどりうって倒れる。

 



「あの時……最後まで私を抱いてくれたら、あなたを選んでいた。あなたとの子供が欲しかった」


目を閉じれば真っ先に思い出される、心の中に一番強く残る言葉。




(……)


気が付くと克己は、白黒モノトーンの世界にで横たわっている。地面が白く、天に行けばいくほど黒い闇の気配がする。ここは意識と現実の世界の狭間なのだろうか……?




ふいに背中から熱を帯びた暖かさを感じる。倒れ込んでいる克己の背中に優しく触れる、暖かい手が天使のよう。

だが実際そこに、美和が居るわけではない。



(……)




(……)



 一時間ほど気を失っていたのだろうか?

暫く倒れていた分、いくらか体力が回復する。


(まだ歩けそうだ。それなら気の済むまで歩いてみようか……)


ゆっくりと立ち上がった克己はまた、足を進めて歩みだす。

うわ言のように美和の言葉を思い出しながらも、歩みを止めることはない。


(確かに、ホテルでは美和を抱く事が出来なかった。それが理由になるのか?あの時の俺では、どうにも出来なかった)


克己は同じような内容を繰り返し自分を責め続ける。自分を責めれば責めるほど、己を見失っていく。

職場でぶつけられた殺意や、美和と別れることになったら悲しみからやり場のない感情が、ふとしたきっかけでぶり返して来る。

美和の乗っていた車を見かけた時、元同僚の西さんに似た風貌の年配の男性を見かけた時に感情の起伏の波が大きく上昇する。

この感情がアドレナリンを分泌させているのか、脚などの痛覚を感じないまま歩み続けられるのかもしれない。



<5:00>


 次第に、対向車からのヘッドライトの眩しさが気にならなくなる。

あたりが薄ら明るくなって来る。

どうやら歩いているうちに朝がやってきたようだ。


(そういえば俺はどこに向かっているんだろう?)


人の多い都会ではなく、山を切り拓いて造られた道路が続く。

進んでいるのは、果てしなく続く主要道路。

田んぼや、マンションに民家と言った日本ならではの郊外の風景が次第に、山に覆われていく。

あたりには家など、ほとんど見かけない。


当てもなく歩き続けて、気が付けば県を跨いでいた。


ここ日本において、森といえば山と切り離す事は出来ない。日本の土地の約七割が森林で山岳地なのだから……

克己は意識して山の方を選んでいるわけではない。気が付けば山に向かっていただけの話。




現在の克己は自殺願望があるのか?と聞かれたら「そうかもしれない」と答えるだろうし、「それは無い」と答えるかもしれない。

この時点でハッキリと「それは無い」と言えるだけの意思力は無い。

下手をすれば最悪の事態を迎える可能性は十分にあった。



<13:00>


 太陽は正午を回り、午後になる。

もう少しで丸一日歩き続けた事になる。

克己自身は気付いていないのだが、朝出来た足の裏のマメは破れているし、筋肉や腱は極度の疲労で痙攣している。普段からこれほどの距離を歩いている訳ではないのだから、慣れない距離で身体にくる。



やがては歩みを止める克己。

続いていた山を抜けた先に見え始めた住宅地。

ここにきて一気に気が抜けて、歩くスピードが落ちていく。

克己は体力が限界近く尽きかけて、寝転がりたい気分だった。

周囲を見廻しながら、何処か休めそうな場所があればと歩みを再開する。






ーーーーーーーーーー


あとがき


こんにちは、桜俊です。

延々と道路を歩き続ける克己。時間描写が分かりにくいと思い、演出効果も狙って時刻を刻んでみました。

(それは無くても問題ないよ)

という声があるかもしれません。

試行錯誤重ねながらの執筆です。

ひょっとしたら「時刻描写」は無くなるかもしれません。その時にはお知らせします。


引き続き、展開を楽しんでもらえたらと思います。

ありがとうございました。

                桜俊







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