第14話 14

ブォン……


男の繰り出した拳が空を切る。

克己は間一髪で避ける。黙って殴られる事はない。

西さんに殴られる理由は無い。

避けられた事に腹を立てた西さんは何を思ったのか、近くに置いてあった大スコップを手に取る。


「てめぇっ!避けるなっ!気に入らねえんだよっ!耳が聞こえない癖に会社に来るなっ!てめぇなんか、さっさと辞めてしまえっ!」


目前の西さんはスコップを振りかざして、わめきだす。

ふいに西さんが横を向いたので、克己も釣られて横を向くと……先程の現場監督が走ってくる。

西さんの大声を聞いて駆けつけてきた様子だ。


「やめるんだ!やめるんだっ!一体何をしているんだっ??」


現場監督は西さんに問う。


「コイツがよ。耳が聞こえねぇ癖にここに居るのが気に入らねえんだよ。さっさと辞めさせろよ!」


「おいっ!言い過ぎだ!お前の方がクビになるぞ!」


「構いやしねぇよ!この男が居るだけでムカつくんだよ!」


「それでも克己君は一所懸命にやっているんだ!」


「んなの認めねぇよ。耳が聞こえねぇ癖に頑張るとか、いらねぇよ!」


吐き捨てるように言って、大スコップを克己に投げつける。二人の会話は克己の耳に入らず、読み取りも出来なかったので理解は出来ない。

このやり取りの内容は今後も理解する事の無い克己であった……


スコップも避けた克己は距離を取ろうとするが、周囲は資材置き場で足場が悪い。

大きく避けられなかった克己は体当たりを喰らってしまう。

目前の男は自身のペルトに引っ掛けていたハンマーに手を取って、ヘルメットを被っている克己の頭を殴りつけてきた。


ドガッ!!


克己の被っているヘルメットが割れて一部が裂けて凹む。



〈ブチッ……〉



克己の堪忍袋の尾が切れる。

克己は一気に感情を爆発させて、反撃していく。

克己は西さんを両手で突き倒す。


『この、クソ野郎が!』


倒れた西さんに対して、溜め込んだ怒りに任せて殴りかかる。だが克己から放たれた拳が、男の顔に届く事は無かった。

現場監督、その他の作業員が騒ぎを聞きつけて集まってきていたのだ。


克己は取り押さえられる。


後から来た人から見れば、克己が殴りかかろうとしているようにしか見えない。

現場監督がたしなめる前に、克己の上司にあたる親方が目前にやってくる。


「バカヤロー!」


親方にも殴られた克己。


(くそっ!もうダメだ。こんな所でやってられねぇ!こんなクソ会社辞めてやるよ!)


克己は弁解しても無駄だと言うのを理解して現場を飛び出す。

現場までは自前のバイクで来ていたので、そのまま帰ることにする。


この後の事なんてどうでも良い。


もう知らねぇ!


こんなのって許されるのか!


克己は美和と付き合い始めてからは、男友達との関係が疎遠になっている。恋人が出来ると、嫉妬から交友関係を止めだす人たちがいる。

克己にとっての不幸は親友と呼べる存在が、高校を卒業してから遠距離になって疎遠になってしまっていた事だ。

克己の近くで、気を許せる友人など一人も居ない。

この状況を打ち明けられる友も居ない。両親も共働きで、家にいる時間がほとんど無い。


美和が居なくなって、一人になった克己。仕事を一心不乱に打ち込めば、時間が解決するだろうと思って全力で打ち込んできた結果がこれだ。

何もしていない時間は、美和の事ばかり頭に浮かんでくる。

女々しいと言われようと、好きになってしまったんだよ。そう簡単に気持ちを切り替えられるものではない。


克己は現場監督や親方などの制止を振り切って、作業着のままバイクに跨る。

何も考えずにアクセルのスロットを開けて、急発進していく。


(あのまま我慢していたら、いつの日か本当に殺されてしまう!これまで耐えてきたつもりだったけど、限界だ。もう戻る事は無いだろう)


もう会社に戻るつもりは無い。


会社の中ではいつも一人で食事をする。同僚とも会話はした事ない。こちらから声をかけたりしたが、筆記用具でのやり取りを面倒くさがって相手にされない。親方に対して思い出してみる。理解出来なかった点を尋ねたら、いきなり殴られる。同じことは二度と言わない。わからないのなら「帰れ!」とこれまでに何度も言われてきた。山奥の現場に置き去りにされた事もある。その時には会社の事務所まで歩いて戻ったが……。どう考えても嫌がらせにしか思えない。それでもどうにか4年耐えてこれたのは、バイクと車、美和の存在が大きい。昨夜には美和を失った。先ほどは理不尽な目に遭い、会社を辞める事にした克己である。


長い直線路を走行中、美和が持っているの同じモデルの車体を目撃する。それだけでも、美和の事を思い出してしまう。


『美和……』


克己は涙目になり、一瞬目を閉じてしまう。さらには右手のアクセルスロットルを開けて、スピードを上げていく。


グシャァァァァ…… ……


衝突音は何も聞こえない。


だが、身体が受けた衝撃ははっきりと覚えている。


どうやら車体操作を誤って、電柱に突っ込んでしまったようだ。

瞬間に目を開けていなかったので、目前に何があったのかは理解できていない。

気が付いたときには、克己は道路に横たわっていた。

乗っていたバイクは電柱に突っ込んだのか、前半分がひしゃげて潰れている。


……


……






ーーーーーーーーーー


 <あとがき>

 本日も音無を読んで頂き、ありがとうございました。

また貴重なコメントの数々、ありがとうございました。

克己と美和のコミュニケーションのやりとりと、手話に対する習練度の話を「閑話」として16話の次に公開する予定です!どうぞよろしくお願いいたします。


 疑問に感じた事など、現実世界での聴覚障害者と周囲を取り巻く人たち。実体験を元にした本作品を参考に出来れば幸いにと思います。

彼らは伝えたい事があっても、それを口にしたら社会的に抹殺される事を恐れている。また健常者たちへの劣等感からくる、自身の卑屈な姿勢。

それは健常者たち全てに問題があるわけではありません。健常者たちにどのように接していけばいいのか?聴覚障害者たちも、健常者たち同様にわからないものです。ですから遂には遠慮がちな対応になってしまう。

会話も通じにくく、意図もスムーズに汲み取れない。


 互いが壁を作り合っている状態。


 耳が聞こえないという事は、人と人の間に壁を作るもの。


それを取り除く努力を互いにしていかなければ、歩み寄っていくのは困難であると。

読者たちが本作品によって少しでも気付かされて、相互への理解へ踏み入れていけたらと願っています。

                             桜俊



ーーーーーーーーーー

 <予告>


15話は7月2日 公開予定です。

応援よろしくお願いいたします。














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