第12話 12
「あなたの子供が欲しかった」
後々になって克己は美和との子供作りたかったな、と意識するようになる。
この事が克己自身を苦しめる事になるのだが……。 現時点はまだ、子供の事を想像すら出来ずにいるのだった。
ーーーーー
美和にとっては克己と肉体関係を持つ事で、より強い精神の結びつきも得る事が出来る。そのつもりでの、美和なりの覚悟だった。だからこそ智洋たちに打ち明けるのはもう少し待って欲しかった。
そうでなくても朝ホテルに行った時に、関係を持つことが出来たら強く押し通すつもりだった。
悪く言えば、卑怯。ズルい行為。でもそれでも克己と繋がりたい、という気持ちが勝っていたからこその行動。
何かにすがりついてでも、克己と一緒になりたい。
美和はどちらかというと気が少し弱く、智洋にリードを引っ張られてばかりだった。「嫌だ!」と思っても中々言えない事も少なくなかった。数年間付き合っていた時の不満が、少しずつ鬱積していった結果である。だからこそ飲み会で克己と出会って、すぐ意気投合して付き合いだす。
克己なら、互いに気持ちを交わし合ってやっていけると思っていた。
美和の、心の奥底に秘めたる心情を早いうちに打ち明けられたらと思うけれど。
そんな勇気は無かった。お互い傷つくのが怖かった。もっとゆっくり克己と付き合っていきたかった。
克己の事はこんなにも好き。愛している。
でもそれは叶うことはない。この辺で関係を終わらせないと。
そうしないと、立ち直れないと思ったんだ。
……
……
ーーーーー
そうこうしているうちに、薄暗い夜の雨の中からうっすらと、克己の自宅が見えてくる。
遂に、二人の恋愛の終点に着いてしまう。
出来る事なら永遠に辿り着かずに、美和と一緒に居たい。だがそれは叶わぬ夢。こうなるのは分かっていたのかもしれない。美和の家へ話をつけに行ったのも、時期尚早だったのかもしれない。それでも!克己は自分の気持ちに嘘はつけない。むしろ行動せずにいられない。
先行した赤い車が駐車場に停車すると、少し離れた後方に智洋の車も同様に車を停める。
克己はこのまま美和を連れ去りたい衝動に駆られて、車から降りる気持ちになれない。
それは美和も同じである。
美和と克己は手を組んだまま見つめ合っている。
『もう、やり直せないのか……』
「ごめんなさい……。ホントは克己のところに戻りたい。でも、もう難しいの……」
互いに詰んだ状態で、次第に希望を繋げられる言葉を思い浮かべられなくなる。
二人は抱き合ったま視線をそらさず、互いを離そうとしない。
……
……
車のガラスの上を、大量の雨水が毛細血管のように無数の網状線を作って流れる。
一時間ほどの時間が流れた頃には、くっついている二人の熱気が車内に充満している。
二人の乗る赤い車の周囲のガラスが真っ白に曇って、車内の様子が伺えなくなる。
それでもなお後方に停めている車の車内で控えている智洋たちは、様子を見にこない。
普通なら白く曇るほど時間が経過した現在、心配になって様子を見に来てもおかしくない。
数時間前の出来事を思いだすと、たった一人で美和の家に挨拶に来た勇気ある男だったなと感心する。そんな男に智洋も負けていられないと、「最後まで待つ」という寛容さを見せるのだった。
……
美和と克己は流石にこのままでは、待たせている智洋たちに申し訳ないと思い始める。どちらが先にでなく、ほぼ同時に身体を離して頷く。
『美和……』
「克己……」
そしてまた唇を重ねていく。
(ガチャリ)
二人はドアを開けて車を降りていく。
これで最後だ。もう後戻り出来ない。互いが最後に選んだ道。
克己は傘を差して美和を傘の中に入れて、智洋の車へ足を進める。
決して強くないが、冷たい雨雫が二人の肌を刺す。
雨の冷たさに一歩一歩と歩くたびに、身も心もズタズタに引き裂かれる。
冷たさを凌ごうと、身を寄せて片手は傘の柄を二人で握る。もう一方の手は互いの手を強く握り合う。
智洋の車のドア目前に着いた二人は、最後の別れをする。
「克己……さようなら……」
『美和……さようなら……』
瞬く間に、美和が克己に飛びついて唇を重ねる。
克己は飛びつかれた驚きで傘を落とす。頭上にあった傘が無くなった事で雨が降り注ぎ、美和の髪の毛と顔がしたたる雨と涙で濡れる。
意を決した美和が、最後の言葉を発する。
「克己……わたしが子供だった。克己との子供が欲しかった。これからはあなたの事、胸にしまっておくわ……。愛している……」
美和の言葉に何も言えなくなった克己は、歯茎から出血しそうになるほど歯を食いしばる。悲しさのあまり身を震わせて動けず、顔を伏せて突っ立つ。
辛いけれど、二人は共に前に進む事は出来ない。これからは智洋と遠くに行ってしまうだろう。
失意に包まれた美和も克己のように、力なくうつむいて車の後席に乗り込む。
智洋が走らせる車のテールランプの赤い光が、降り続く夜の雨にかき消されるように次第に薄れて見えなくなっていく……
……
一人取り残された克己は吠える。
『美和ぁぁぁあああ!』
『美和ぁぁぁあああ…………』
これで美和と克己の関係は、儚く終わりを迎えるのだった……
……
……
ーーーーー
<あとがき>
こんばんは、桜俊です。
聴覚に障害を持つ主人公である克己の生き様を描く、異世界ファンタジー物語。「音無(オトナシ)」は応援を頂ける皆さまのお陰様で、現在12話公開する事と相成りました。
この12話で「美和と克己」の恋愛パートは終わります。
次話は引き続き1,2話の時系列である、美和と別れた後の克己の話に戻ります。
この後の克己の動向に目が離せないところ。乞う期待ください。
更新頻度について
勢いに乗っている時には、一日一話目標で次話公開していきたいと考えています。
最近は聴覚に障害をお持ちの読者さまに本作品を読んで頂けた事を知り、今後も彼らの共感を得られるよう努力してまいります。当事者たちの実体験は大きな題材に繋がると考えています。誤字脱字、それから団体名称などの誤りなど気になる箇所があれば、ご指摘くださると幸いです。鋭意執筆に励みますので、今後とも応援のほどお願いいたします。 桜俊
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