第9話 09


「美和……」

「美和さん!」

「美和ちゃん……」


皆が美和の名前を呼ぶ。

智洋から克己へと繰り出されようとした拳は途中で止まる。


克己はその拳から目を逸らさず、身構えていた。

いつまでもやって来ない拳。何故拳が止まったのか?

皆の視線の先を追うと、そこには美和が立っていた。


『美和……』


美和が智洋の動きを止めたのだ。

美和はそのまま克己の元へ走って行く。


その場にいた全員が敵対した克己に対して、抱きつく。


「美和!」

「美和さん!」

「美和ちゃん……」


克己を含めてその場にいたみんな。美和の行動に驚き、あっけにとられる。


「なんで?」

「何故そんな事を?」


周囲から様々な反対の声が挙がる。

流石に智洋も、どうする事も出来なかった。

この状況の原因を生んだのは克己ではなく、美和である事を再確認させられる行動だった。


「そこまでして、その男を好きになったのか」


と、智洋が力なく尋ねる。

放心状態になった智洋を察し、周囲から声がかかる。


「美和さん。智洋さんの事はもういいの?私は智洋さんとたくさん話し合うべきだと思う。私たちとも過ごしてきた二人の関係は悪くなかったと思うんだけど?」

「そうだ。智洋に何か不満があったのかわからないが、嫌いでもないんだろう?何故智洋につらく当たる?」


智洋を擁護する声が挙がってくる。

うなだれた智洋は顔を上げて、強い意思を表明していく。


「みんなありがとう。やはり俺は美和とよりを戻したい。だから、美和と話をする時間が欲しい。克己。お願いだ!美和と話をさせて欲しい!」


智洋は克己に対して、勢いよく頭を下げてくる。


克己は考える。

(ここで拒否する事も出来る。しかし、俺は堂々と行く)


心を決めた克己は承諾し、返事する。

『智洋さん。美和との話し合いはするべきだと思います。俺は美和を信じて待ちます』


側に居る美和が、克己の発した言葉の通訳をしていく。


「ありがとう」


智洋は手短に感謝の気持ちを述べて、再度頭を下げる。



精神的に冷静になりきれていない美和は、今の状態で智洋と話し合いをしたくなかった。冷静になれないからこそ、正常な判断が出来ないのである。

それでも克己は美和と智洋を話し合いさせる事を承諾した。


承諾しなければ、克己と美和は別れる事にならなかったかもしれないというのに!


この時克己は。格好をつけていたのかもしれない。

どうしても美和と一緒になりたいのであれば、どのような手を使ってでも手に入れる。

しかし克己自身の目指す生き方への、矜持が許さなかった。

克己自身、器用な生き方をしてきたわけではない。我がままな選択をしたくても、美和を見ていて同じ選択がとれなくなってしまった。

別れた後になった克己がこの場に居たら、未来の自分自身に殴られているであろう。

それでも克己は、譲れなかった。

<美和と智洋の間で決着をつけて欲しい>と願ってしまった。



素直に克己が応じると思わなかった、智洋や美和の友人たちは自身の口を押えたり顔を逸らしたりする。

克己さんと美和さんを別れさせようとして言った言動に対して、克己は堂々と対応している。

各自の言動を恥じて、これ以上口を挟めなくなる。

ハッとした千佳さんは思わず頭を下げてしまう。

釣られるように、智洋と美和の友人たちも頭を下げていく。


「克己君。思った以上に大人な対応で申し訳なく思う。私の出る幕じゃない様だ。後は残る皆で話し合う事だと思う。どのような結果になっても……」

美和の父と母は最後に言い残して、別室に引き上げて行く。


『ありがとうございます』


少なからず話を聞いて頂いた事に対して、美和の両親に感謝する克己。

残った若い人たちで、今後の進展を話し合う事となる。


(克己は私の為に、こんなにも頑張っている。でも……私本当に釣り合っているんだろうか?克己に、私はふさわしくないのかもしれない)

克己の誠意とは裏腹に、美和のマイナス思考が加速していく。


<時間を置けば良かったのではないか?>


だが克己には、時間を置くという選択は採れなかった。不安げな美和の表情を、くみ取った克己は「今しかない!」と強く感じている。

ここで一度時間を置くという事すら、思いつけない程に克己も追いつめられている。

美和や智洋の友人たちからも、別れを推奨される。

克己の味方は美和だけで臨んだ話し合い。元から勝ち目はない。

あと一押しで美和と一緒になれる未来もあった「のかもしれない」。

ここでいくら「if(もしも)」の話をしてもキリは無い。


誰一人して発言していない、沈黙の続いている空間。ついに一人の女性によって、均衡を破る一声が発せられる。

智洋擁護派としての気持ちを固めている千佳だった。


「美和さん。智洋さんと話し合いしませんか?」

「えっ?」

「千佳さん……?」


第一声に驚くも、当初の目的を思い出す部屋に居る若人たち。

美和は問題を解決する為には逃げちゃダメ、と自らを奮い立たせる。


「わかったわ……千佳さん。私、智洋と話してくる」


美和は智洋と千佳に向けていた視線を、克己に移す。


「克己。これから智洋と話をしてくるね。また待たせちゃうけれど……」

美和が克己に説明していく。


『うん、わかった。待っているよ』


克己は最後まで毅然とした態度でいよう!と自身に言い聞かせる。

美和と智洋は克己の返事を聞いて、話し合いをする為に余計な事は言わずに部屋を退席していく。

二人が退席して行っても気が動転する事無く毅然としている克己の様子を見て、美和や智洋の友人たちも互いに小言を挟んだりする事はしなくなる。


(この人は本気で美和さんの事が好きで、ここにやってきているんだ……)

(克己さん耳が聞こえないっていうけど、そんなの言っていられないわ。私たちは見守る事しか出来ない)


周囲の人たちもまた、美和と智洋が戻ってくるまでじっと待つことしか出来なかった。



ーーーーーあとがきーーーーー


 初めまして、桜俊(おうしゅん)です。

処女作「音無(おとなし)」を読んで頂き、ありがとうございます。


当作品のジャンルは「異世界ファンタジー」であるものの、序章という事で未だに現世の世界に居ます。

この第9話まで読んで来られた方々の印象としては、「別れのシーンしか書かれていない恋愛物」というジャンルがじっくり来る事でしょう。


前回は、「主人公がどの様な人物なのか、わかりにくい」という指摘を頂きました。𠮟咤激励ありがとうございます。書いている自分自身でも、どのように表現して言ったら良かったのか?と思う所です。

現在予定しているのは、「序章」として美和と克己が別れる描写を終えた所で一度区切りたいと思います。改めて主人公である克己視点での紹介話を持って行きたいと思います。

もしかしたらこの紹介話が一番最初になるかもしれないですし、今後の展開次第ではありますが応援頂けたら幸いに思います。


もうひとつ、今作品は「聴覚障害者」にスポットライトを当てて描写しています。

時には不愉快な描写が出てくるかもしれません。作者である私自身がこれまで関わってきた、聴覚障害者たちとの経験を元にしています。寝食を共にし、様々な出来事に出くわしました。その際に感じた事、伝えたいと思った事など。本作品を通して描写していけたらと思います。

あくまでも「フィクション」作品でございます。

克己にはこれからも辛い事、悲しい事。様々な災難に見舞われます。それでも逆境に立ち向かい続けます。

ここでお話と言うか、お願い?希望があります。

皆さんのコメントが、もしかしたら作品に反映して「音無」の世界で活かされる事になるかもしれません。全てとは限らないですが、参考に出来るものは吸収していく所存です。

今後とも応援のほど、よろしくお願いいたします。


                           桜俊



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