第7話 07

 美和と克己、それから智洋。

当事者である3人以外となる、第三者からの声があった。


「どっちを選択するの?」


という選択肢に対する決断を委ねられるのは、美和において他ならない。

克己を含める部屋にいる者たち全員の、視線が強まる。

口を一文字にして固唾を飲む者、手をぎゅっと握りしめて答えを待つ者。

美和は、集まる視線から逃れるようにうつむく。


(私は克己が好き。克己を選択したい。でも……でも……)


答えも出てこず、微動しない美和に憤りをおぼえた智洋が口にしていく。


「美和!何故そこで直ぐに答えを出せない?」

「それは……」


図星を指され、口噤つぐむ美和。

この家に来るまでに決めていたのに、揺らいでしまう心。

結果的に婚約者が居る状態で、他の男を好きになってしまった美和なので立場的には弱くなってしまう……


(克己。ごめんなさい。もっと早く婚約者の事を打ち明けておきたかった)


どのように答えを切り出そうかと迷う美和が、結論を出す前に口を挟まれる。


「美和。あなたの気持ちは決まっているんじゃなかったの?そんな中途半端な気持ちで二人を振り回してるの?」


と横のソファに座っている美和の母から声がかかる。


「わ……私の気持ちは決まっているわ。でも、でも……」

「でも、じゃない!」


智洋からの叱咤が入る。


「何が言いたいんだよ?俺と美和は婚約しているんだろう?それなのに他の男を捕まえて連れてきて。ここへ何をしに来たんだよ?」

「私は……私は。克己と一緒になる為に来た。でも、お父さんお母さん。それから友達のみんなの顔を見ると……ずるいよ。私強く言えないよ」

「ずるい?それは美和の方じゃないのか?」

「……私が克己を好きになったの、本気だよ。克己と一緒に居ると、生きるという事。それから相手を好きになる気持について考えるようになった」

「それは俺と考えて行けばいいじゃないか!俺の方を愛しているんじゃなかったのか?」


美和と智洋が、矢継ぎ早に意見をぶつけあう。

美和の横にいる克己は、この時ばかりは美和から通訳を受けられていない。この為、現在いまどのような話の流れになっているのか把握出来ずにいる。


(美和もあの男も、必死に会話している。どういう状況なんだ?俺は何も出来ないのか?いったん止めるべきか、黙って待つべきか?)


克己は拳を握りしめ、美和と智洋の言葉が発せられている唇の動きを必死で読もうと身を乗り出して、より集中していく。克己は耳が聞こえないので、人の会話は唇や顔の表情から読み取る事にしている。それでも100%理解出来るという訳でもなく、人によって読みにくかったりする。克己にとって智洋の唇の動きは非常に読みにくいものであった。単純にゆっくりと唇を動かせば言い訳ではない。智洋は克己に言っている事を理解して欲しい、と願うつもりも無い。そのうえ耳の聞こえない人に対する理解など無く、どのように対応したらいいのか等知るはずもない。

それも当然だろう。これまでに耳の聞こえない人と接した事が無いのだから、理解しろ!と言う方が無理があるというものだろう。

さておき……克己は目前にいる二人の顔の表情や唇の動きだけで、何とか割り込めるタイミングを見計らっている。


「私は……智洋の事はもうずっと、好きっていう気持ちが無かったの」

「なんだと?これまでの言葉は嘘なのか?」

「ごめんなさい。強く言い出せなくて」

「それでも婚約の話をしたんだろう?これまでに築いてきたものはどうするんだよ!」

「私克己と一緒になりたい」

「それは認められない!」


二人の語彙が少なかったタイミングで、克己が割り込む。


『ちょっと待って欲しい。さっきから二人が何を話しているのかわからないんだ』


これを聞いた美和は口を押えて直ぐに通訳の為のフォローに入る。


「克己、ごめんなさい。まとめると、私が智洋の事は好きという気持ちが無くなった。でも私は強く言い返せなくて、ズルズルいってしまいました。克己と一緒になりたいっていう気持ちを伝えたっていう話です」


『ありがとう』


「この野郎!」


智洋は克己に会話を横やりされたうえに、美和からの代弁の言葉を聞いて逆上する。

この動きを美和や智洋の友人たちが一斉に止めにかかる。


「待て智洋! ここでお前が手を出したら不利になるぞ!」

「ちっ!わかったよ!」


智洋は力を抜いて、友人たちが抑えに来た手を軽くどける。

そのまますかさず、克己に向かって指差す。


「おいお前!美和のどこが好きなんだ?美和の良い所も、悪い所も言えるか?」


指差された克己はどのみち、敵地に立ち入ったものと考えている。

それでか逆上したりせず、冷静に答えていく。


『それをここで話す必要があるんですか?』

「くそっ!」


冷静に言い返された智洋は、ドカッと座り込む。

ここで最初から沈黙していた人物が口を開く。


「さっきから聞いているが、美和の行動や言葉に筋は通っていない。それではそこの男。克己君といったか。それと智洋君。美和が二人を振り回している事になる。お前は何がしたい?」


と厳しい言葉を発したのは美和の父であった。


「お父さんっ! ……克己は悪くないの。克己にはこれから伝える所だったの」

「それにしても順番というものがあるだろう?」

「それは……」

「お前の安易な行動がこの様な行動を招いたんだ。それでも、そこの男はここに来たんだな?」

「はい……。克己はそれでも行くと言い出したので、連れてきたんです」

「そうか……」


美和の父は、考えをまとめるように少し考える。


「悪いが、美和とお母さんと三人で話をしたい」

「お父さん……」


美和の父の横に座っている母が頷く。

美和は克己の方へ説明していく。


「お父さん、お母さんが三人で話をしたいって。克己はここで待って……。何か飲む?」

『俺はここで美和を信じて待つよ。飲み物は大丈夫。行ってらっしゃい。』


美和と父、母は別室へ消えていく。

残された克己はその場を動かず、先ほどまでの会話と部屋にいた人たちの行動を思い起こす。


「おい!克己」


目前に居る智洋の、短い言葉は理解出来た。


『……』

「ま、待って」


時々フォローしてきた美和の友達が感情の高ぶりを残す智洋を制止して、克己に話しかける。


「久しぶり。私の事は覚えている?」

『えっ?』

「あの飲み会で美和と一緒に居た千佳ちかです」

『すみません。あまり覚えていないです』

「克己さん、いいのよ……」


確かにあのサークルの飲み会で会ったと思う。それでも克己は殆ど美和と二人で話していたので、目の前にいる美和の友人である千佳の事はうろ覚えだった。

ただ目前の千佳は美和より手話に馴染んでいたので、多少のやり取りは出来る。

この3か月間、少しでも多く会話してきた美和ほどではないが……耳の聞こえない人に対する接し方など少々理解出来ているのがわかる。克己自身は手話はあまり出来ないので、基本的で簡単な単語が主だった。対して千佳はある程度手話を勉強している。ちょうどいい速度で、大き過ぎず小さ過ぎない口の動き。


耳の聞こえない人たちに接していくうえで多く見られるのが、「ありえないほど大きく、ゆっくりと口を動かしている」話し方。

かえって分かりにくくなる事もある様子。その点、千佳は話し慣れていたのか自然な速度だった。この為、「なんとか会話が成立している」克己と千佳である。


「美和と本気で付き合い始めるようになったんだね」

『はい』

「でもこの人(智洋)の事は聞かされていなかったんだ?」

『はい』

「なるほどね」


目前の千佳は智洋に話しかける。


「今回、美和はちょっとやり過ぎね。私も智洋さんの事は知らない仲ではないし。私は美和の応援したいけど、それでもこの3か月何も聞かされなかったからね」

「そこまで千佳さんにも言ってなかったのか。じゃあ、この男を責める訳にはいかないか……」

「多分だけど、私は智洋と美和が話し合いするべきなんだと思う」

「そうだな。そうしないと何も進まないと思う」


智洋と話していた千佳が目前にいる克己に、ちらりと目を向ける。


(克己さんには悪いけど、最初は智洋さんにチャンスを出すべきだと思う)


「じゃ、ちょっとお茶用意してくるね。克己さんも飲む?」

『ありがとうございます。いただきます』


千佳は立ち上がって、キッチンへお茶の用意に向かう。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る