第6話 06

 =矢崎やざき家=


美和の家の玄関で靴を脱いで、リビングに向かう。




この先にどんな修羅場が待ち受けているのだろうか。

美和と克己は力強く手を握り合い、顔を見合わせて頷く。

克己にとって初めて踏み入れる領域。


「行きましょう」

「うん」


美和と克己は、ぐっと気持ちを引き締める。


克己は美和に手を引かれて奥へと進む。

リビングではソファーの椅子が半円を描くように並べられ、ソファーが足りない分は数名が床に座っていた。




「た……ただいま……?」




美和はソファーや床に鎮座している人たちに挨拶する。

部屋にいる人たちが美和を、克己をじっと凝視してくる。

互いの視線が交錯する。




「……」




想像していた3人とかでなく、8人居た。

見たところ美和の両親らしい人物を除くと、みんな克己や美和と同じくらいの年齢に見える。

美和やフィアンセの友人たちなのだろうか。

美和は予想外の人たちの集まりに、顔面蒼白となる。




「なん……で……?」




美和の力無い声に、反応が返ってくる。




「……美和。まずは二人とも座れよ。それから、その男の事を紹介してくれ」




中央のソファーに座している男が真っ直ぐ美和に問う。

美和はチラリと克己の顔を見て頷く。

美和がそのまま置いてあった座布団に座ったのを見て、克己も隣にあった座布団に座る。


「私たち、3ヶ月前から付き合い始めたの」

「……」

「ちっ!」

「……」


吐き捨てるように目前の男が、顔を紅潮させて舌打ちする。




「おいおい。なんだてめぇは?自己紹介も出来ないのか?この野郎が!」




目前の男が立ち上がって、美和と克己を見据えながら怒鳴り始める。

克己は、ただじっと立ち上がった男の目を見据える。

耳の聞こえない克己には、目前で逆上しているこの男の言っている事が読み取れなかった。

ハッとした美和は我にかえり、克己のフォローに入る。


「待って! 紹介するわ。彼はとも克己。 彼は耳に障害があって、誰とも自然にコミュニケーションが取れるわけじゃないの」

「……」

「……」


耳が聞こえない克己に言葉が伝わっていなかった事を理解した周囲が沈黙し、空気が凍りつく。

美和は克己にアイコンタクトをとって頷く。

克己は一歩踏み出して、ゆっくりと挨拶していく。




『初めまして。美和さんとお付き合いさせて頂いているとも克己です。言葉は上手く伝わらないかもしれないけど、今日は2人の関係について挨拶に来ました。よろしくお願いします』




克己は発音は拙くても、ゆっくりと最後まで挨拶していった。


「……」

「……」


返事に困り、再び凍りつく周囲。

克己の渾身の挨拶がどれほど伝わったのだろうか?

少なくとも目前の男には、半分伝わったかどうかであった。




「なんだよこいつ。まともに話せないのか」




と何と言っていたのか理解できず、吐き捨てる目前の男。


「ま、待って。私には言っている事大体分かったわ。智洋ともひろさん。あなたも自己紹介する所じゃないかしら?」


と、ソファーの横で座っている同年代くらいの女性。

おそらく美和の友人なのだろう。どこかで会った気がするが……


「分かったよ」


智洋ともひろはここで美和と克己の方へフォローが行くと思わず、バツが悪そうにソファーでなく、すぐ前の床に座る。

深く息を吐きだして気持ちを落ち受けた智洋ともひろは、自己紹介を始める。




「俺の名前は智洋ともひろだ。今言った事は理解出来たか?」と克己に向ける。




しかし克己には、目前の智洋の言葉が理解出来なかった。




『すみません。よくわからなかったです』




この発言も智洋には伝わらなかった。

ぎりり……と智洋は唇を嚙みしめて、続けて話そうとする。

そんな智洋のいきり立とうとする姿を見て、先ほどフォローを入れた女性と美和が口を揃えて制止の声をかける。


「まって、智洋」

「智洋さん待って!」

「ちっ!わかったよ!こいつどうしたらいいんだよ!」

「落ち着きなさい!それでは話し合いにならないから」



今、智洋が「耳が聞こえないのが悪いんだろう」と発言した言葉に反応した美和が立ち上がる。




「耳が聞こえないからって、それが悪い理由になるの?言っていい事と悪い事があるよ!今の智洋は言い方がぶっきらぼうだし、言葉を伝えようっていう気持ちが見られないわ」




美和が「聞こえないから悪い」という言葉に対して、智洋に反論していく。 

美和の横で正座している克己は、二人の間でどのような話が交わされているのかわからない。

それでもどのような心情なのか、感じ取る事は出来た。




「智洋からの言葉は私が克己に伝えるわ。だから克己の発言も私が話します!」




美和は克己の方へ向いて、通訳のやり取りをする事を伝えていく。

美和と克己は出会って3か月なのだが、それまでの会える時間にたくさん会話した。

最初は互いに読み取れなかった発音が「理解し合える」ようになり、二人の間にコミュニケーションの壁は無くなっていた。

このやり取りが、二人の恋愛感情を持ち上げた部分はあるのかもしれない。

会話を重ねていくうちに互いの気持ちが通じ合う。この部分だけでも、フィアンセの智洋以上に分かり合えていたのかもしれない。


「私は克己と結婚を前提とした付き合いをしたい」と、美和から切り出す。


この時克己は美和が発した言葉を横からでも理解出来て、感謝の気持ちをおぼえる。


「そんなのは認められん!俺と美和は婚約している。美和の両親とも約束している。それに何年付き合っていると思うんだ?そっちはたかが3か月だろう?」


怒気を隠せず顔をしかめた智洋は、話を続ける。


「こっちは5年だよ。5年。これから結婚式の準備をしていく所だったんだ。それがたかが3か月程度の男に負けるわけがねぇ!俺の方が美和の事をよく知っているっ‼」




「待って! 克己に説明するから!」 




美和は話を一度止めて、克己に智洋が話した事を伝えていく。


『確かに付き合い始めて3か月。それでも美和とたくさんの話をしてきた。こっちも将来どのようにして生きていくか話し合ってきた』

                   ※『 』は克己のセリフを代弁


と、克己が美和に智洋への返答を口にする。

美和はそのまま、この部屋の皆に向かって代弁していく。


「くそがっ!なんでいきなりそんな関係になるんだよ!そういえばこの3か月間、美和は仕事が終わって帰ってきた後は疲れている様子だったじゃないか?それなのに夜遅くまでメールのやり取りを?はんっ!俺ならゆっくり休ませる為に、早めに寝かせるね!」


『それは美和も承知している。美和と少しでも多くの言葉を交わし合いたい。本当に辛い時は早く寝る。それ以外の時は仕事へも辛い事へも頑張ろうって、お互い励まし合ってきたんだ』


「お前は美和の事が心配じゃないんだろう?」


『そんな事は無い!』 と克己はハッキリと答える。


美和も続けて発言していく。


「智洋!私が克己と話したいの! 確かに疲れている時もあったけど、たくさん応援もらったんだよ。克己の事を悪く言わないでっ!」


「でもよ……」


智洋は口をつぐむ。


「……」


沈黙が再び部屋中に訪れる。


「……」


暫くして、この場を打ち破る言葉が発せられた。




「美和。これからはどっちを選択するの?」













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