第4話 04


 美和と克己。


ふたりは出会った時からの気持ちを維持し続けてきた。

日々会いたい気持ちを抑えて溜め込み、週末に注ぎ込むスタンスをとっていた。

とても疲れていても、好きな相手の「心の声」が聞きたい。

(もっと触れ合いたい!)


「克己!克己!克己!」

「美和!美和!美和!」


二人は普段はやや大人しいはずなのに、互いの事になるといてもたってもいられなくなる。




「ホテルに行こうよ」




と美和の方から誘い出すあたり、克己は好意を寄せる異性への経験値に乏しかった。

とはいえ「ホテル」の名称を出された時点で、何を求めているのかくらいは理解できている。

かといって気持ちが舞い上がっている訳でもない。

ホテルの客室で、くつろぎ始めた美和と克己。

美和は克己の目前で、そわそわしている。

この後どのような会話が飛び出してくるのか何も知らない克己は、特に気にした訳でもなく美和からの返事に期待していた。




「ねぇ、言わなきゃいけない事があるの」




美和は何かを決心したように、克己の目をじっとみつめる。




「みわ……」




後に続く言葉が想像できなかった克己は、たどたどしい発音のせいか言葉少なに語彙が少なくなる。




「あのね……」




恥じらっている訳でもなく、心なしか悲しみを隠せないまま、美和は上着を脱ぎ始める。


(えっ?)


克己は普段の恥じらいの表情ではなく、不安や悲しみの入り混じった表情を感じ取る。克己はこれから、どのような言葉が発せられるのかと不安になってくる。

(ど……どうしたんだ?何か体にまずい問題でもあるのか……?)


「そんな顔をしないで……」


克己の不安を感じ取った美和は、最後まで伝える決心が鈍ってくる。

(克己…… こんな私を許して。 あなたならきっと私を……)


一度決心した気持ちを最後まで貫き通す事にした美和は、ぎゅっと拳を握りしめて最初の言葉を紡いでいく。

上半身の裸身が露あらわになった美和は一つずつ言葉を……


「私ね、フィアンセが居るの」


「え……」

「……」

「……」

「……」


克己は発せられた言葉を聞いて、驚きのあまり呆然とする。


「みわ……」

「ごめんね……克己……」

「そんな……嘘だろ……?」

「ごめんなさい」


裏切られたという気持ちが、克己の感情が急激に全身を渦巻きだす。


「これまでの気持ち、言葉は全部嘘だったんだ……?」


美和はハッとして目頭を押さえて、フォローの言葉を重ねていく。


「違う!! それでもわたしは、克己の事を好き!」

「でもフィアンセが居るんでしょう? そっちはどうするの?」

「私は……

「何故俺なんだよ?」

「だってかつみは…… かつみは……」


言葉が続かなかった美和は、唇を大きく引いて言い淀む。

畳みかけるように、克己が問いただしていく。




「どういうつもりなんだ?」




「だ……だって……好きになっちゃったんだもん。それ以上に理由なんてみつからないよ」




好きになってしまったから好き。という感情。

言ってしまえば至極当たり前の言葉なのかもしれない。でも恋愛経験値が絶対的に低い克己にとって、どうするのが一番いいのかわからない。

良い選択肢が思い浮かべられない。

言葉を続けられなかった美和は、スカートに手をかけて全部脱ぎだしていく。




「みわ……」




克己は目の前で起きている事が理解出来なかった。

フィアンセが居るのに、違う男である俺の前で服を脱ぎだしている。

それほどまでに俺の事が好きなのか?

俺は……どうすればいい?


「なんでそこまでするんだ……?」

「克己は……私の事が好きじゃなくなったの?」

「……わからない。 何もかもわからなくなったんだ」


目の前には一糸まとわない美和がいる。

それなのに、克己は手を出すことが出来なかった。


「俺は……」


克己はどうしようもない気持ちを必死で抑える。次にどうすればいいのかわからず、うつむいてしまう。

克己の様子から辛い気持ちを察した美和は、言葉より先に行動に移していく。

美和はそっと、克己の腰に手を廻して抱き寄せていく。

二人は暫く、そこから動けない。


「克己!克己!……あのね!」


思わず美和は、うつむいたままの克己に声を洩らし始める。当然、克己からは何の反応も返って来ない。

ハッとした美和は、耳が聞こえない為に声が届いていない事に気付く。

力なく膝をつく克己の頭に、手を乗せて撫で始める美和。


(そっか。克己は耳が聞こえないんだったね。このようにして顔を見合わせていない時には、言葉が届かないんだ)


美和はフィアンセの時は互いに顔を見ずとも、言葉を交わし合える。

それが出来ない現状、自分の気持ちを。言葉を伝えられない苦しみが襲ってきた。


(克己。ごめんなさい。全部わたしのせい。フィアンセが居るのに、黙ったままズルズルと続けてきた関係。それでも私は克己の事を愛したいから……)


美和はようやく今になって、自身のしてきた行動を後悔した。

男性なら、裸になった私を放っておくはずがないと。

そうすればきっと、克己も私を求めるだろうと。




でも、そんな事は無かった。




克己は美和の事を本気で好き。これから愛し始めて行く所だった。

恋愛経験が少ないのは理解していた。それでも、私は浅はか過ぎた。


(どうすればいい。このままでは克己が居なくなってしまう)


自分の行動によって生じた「選択肢」。

今更無かった事に出来ない。あとは克己が、どういう選択を採っていくのか?

美和自身もわからなくなってきた。

美和も克己も互いが本気で好きで。冷静に考える事が出来ずにいた。

少しでも冷静に考えられるだけの余裕があれば、この先の未来は違ったものになったのかもしれない。

美和は少しでも寄りを戻そうと、涙で濡れた唇で克己の唇を塞いでいく。


「んっっ!」


克己はキスを拒否しなかった。いや、出来なかった。

克己だって美和の事が好き。だからこそ受け入れたかった。


「みわ……本当に俺の事を好きなんだ?」

「ごめんね、克己。確かにフィアンセは居るけど、わたしは克己の事が好き」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る