第3話 03
*****
美和と付き合い始めて3か月。
毎日仕事を終えては、夜遅くまでメールのやり取りをしていた。
お互い仕事の愚痴をこぼしながら、将来の事など話し合ったりする。
「俺は今度、車を買い替えようと思うんだ」
「かつみっ! どんな車にするのかな?」
「800万円の限定車にしようかと思っているよ」
「ええっ!やめて! 私と一緒に家建てようよ!」
「そ……そうだな……800万円はちょっと高いもんな」
「そう……よ! そんなに高くなくても、克己と一緒なら安い車ならどんなのでもいいんだよ」
克己はいわゆる3Kと呼ばれる厳しい条件下で働いているのだ。
汚い、キツい、危険の三拍子揃った職種である。
ちょっと頑張れば、800万円の車を買って維持していける位は稼いでいたのだ。
でも「美和」という素敵な彼女が出来て、真面目に将来を考えるようになってきたんだ。
美和と一緒なら、3K揃った厳しい条件下でも頑張って働いてやってけると。
勇気と元気をたくさん貰って3か月が経とうとしていた。
美和はどちらかというと「可愛い」タイプで、癒し系の要素をたっぷり詰め込んだような彼女だ。
髪の毛は染めていない黒髪でセミロング。「惚れたらこの人についていく!」といった積極性を持っている。
最初は友人に人員埋めで連れてこられた手話サークルの飲み会で、一人寂しく飲んで食べていた所で声をかけられて付き合い始めたんだ。
ビックリしちゃうくらい積極的で、ドキドキしたのを今でも覚えている。
帰りがけにコッソリ渡された連絡先が書かれた番号入りのメモ。
「かつみの事がすごく気になったの。飲み過ぎていないか、心配で心配で」
という言葉から、意気投合して付き合い始めた美和と克己。
克己は耳が聞こえなくて、更に手話は出来ない。
世の中には聴覚に障害のある人たちの中で、手話を第一言語とする文化体系を
持つ者たちがいる。彼らを総じて「ろう者」と呼ぶ。克己は手話を学び始めて数ヶ月という程度で、手話を第一言語としていない。この為、手話での会話を読み取る能力は相当に低い。
だからなのか「ろう者」と呼ばれる者たちをを中心とする飲み会の集まりで溶け込めず、一人で飲んでは食べていた。
対して美和は健常者だった。手話をこれから覚え始める、という所でやはり他の聞こえない人たちと話が出来なかった。
だからこそ会話に入っていけない二人が、出会う形になったのだろう。
「あの二人手話出来ないってよ」
「耳が聞こえないのに手話出来ないとか、意味無いじゃん」
「手話は聞こえない人の誇りなのに」
「手話で会話もできないし面倒くさい」
「仲間外れしてるつもりは無いけど、話が出来ないと……」
これらの会話の内容は、美和と克己に届く事は無かった。
健常者たちと立場がそっくり入れ替わった状況下に陥ったのだった。
これが一般的な、健常者たちの集まりによる飲み会だとすると。
耳の聞こえない人が一人で会話に入って行けずに孤立していく。
それの逆パターンに陥ってしまったのだ。
もちろん配慮して優しく接してくる人たちもいらっしゃるのですが、飲んで食べて暫くするとあら不思議。意気投合する者たちで集まりだして、あぶれる人が出てくるわけで……
今回の飲み会では、美和と克己があぶれる形になったのだが。二人にしては出会うきっかけになって、付き合い始めたのだった。
この時ばかりは「手話が出来なくて良かった」「読み取りが出来なくて良かった」というイケナイ方に感謝した克己であった。
それからは克己は他の友人と会う事は止めて、全てを美和の為に使う事にした。
仕事が休みの週末にデートを重ねていく。
どこにでもいる、普通の恋人同士だった。
克己は美和との将来を考え始めて、その為に付き合う前に長年続けてきた格闘技を辞めてしまった。
ひょっとしたら「続けてきた格闘技を辞めた事」が問題?
別れる原因として心当たりとして弱い気がしたので、他の可能性を辿ってみる事にした。
まだ他にも原因があるはずなんだ! 空元気でも出さないと思い起こせそうになかったので、気合を入れなおす克己。
ふと、二人で占い師に占ってもらった時の様子を思い出してみた。
当初は占いコーナーへは二人の将来の助けになるものがあれば、という思いで踏み入れたのだった。
「美和さん、影のある彼女さんですね」
占い師に告げられた言葉が、後になってもずっと尾を引いていた。
俺の方は何が何だかわからなかったのだが、美和には結構深く心に来たんだと思う。
「影のある私でごめんね……」
申し訳なさそうに力ない笑顔で、心配をかけまいと返してきた美和。
「影?そんなの別にいいじゃないか。俺だってあるだろうし」
「そうだと良いんだけど……」
以降は占いの話はしない事にしたんだ。
占いは当たるも八卦当たらぬも八卦、参考程度に。という程度で俺は、深く受け止めていなかったと思う。思えば美和はきっと、心当たりがあって動転してしまったんだろう。
詳細を聞き出す事はせず、言い出すのを待つことにしたんだ……
占い師から言われた言葉は「原因」だったのだろうか?妙に引っかかる部分はあったのを覚えている。という事は心当たりがあったんだろう。
その「心当たり」について、もう少し掘り下げて思い出してみる事にした。
もう少しかな。「あの時……」という言葉の意図が汲めそうな気がしてきた。
辛い事だが、もう少し頑張って思い出そう。
克己が家族で住む家の自室。
手作りのパウンドケーキを持参して、母に挨拶に来た美和はとても可愛かった。
「お母さま。今日もお世話になります。パウンドケーキ作ったので、良かったら食べてください」
趣味のお菓子作りを満喫して欲しくて、前日の夜頑張って作ってきたそうだ。
ブランデーを少々と付け足した香りが上品さを醸し出し、しっとりと食べ応えのある味を楽しめた。
パウンドケーキに少々含まれていたブランデー効果なのか、ほろ酔い気分で明日の予定など、どんどん話し合って寝る事にした。
夜も更けてきた頃。シングルベッドに二人が横になって見つめ合う。
互いに手を絡めて、唇と唇が触れ合える距離にいる。
ドキドキドキドキ……!
互いの心音を感じられるほど、甲高く早鐘を打ち続けていた。
しかしながら隣の部屋では、健常者である克己の家族が寝ている。
今すぐにコトを始める勇気は無かった。
唇を重ね合い、体を寄せ合ってぬくもりを感じられる所までは出来たのだが……
気が付けば次の日の朝までずっと、くっついていただけだった。
両親や家族のいる家に残っていると窮屈な気がしたので、外出する事にした。
互い恥ずかしそうに朝の支度を済ませて、早朝のうちに外出。
外を見上げると曇りがかって、風もなく過ごしやすい気温だった。
美和と克己は車で、景色の良い堤防の近くまで来た。
堤防の上から見下ろすと、公園で運動したりしている人がちらほらいる。
美和と手を繋いで周囲の景色を見ていたが、側にいる互いを見つめ合う。
手を取り合っている互いは、ドキドキしたままハイテンションにあった。
「ねぇ、かつみ。 ホテルに行こうよ……」
「えっ…… うん……」
二人は付き合い始めた頃からのドキドキ感を維持したまま、朝からホテルに向かうのだった……
克己の赤いスポーツカーの色が示す通りの、燃えるような情熱の色が二人の心身を絡めていく。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます