第2話 02
眼を閉じればいつでも思い出される、次の言葉。
「最後まで私を抱いてくれたら、あなたを選んでいた」
どういう事なんだ?
じゃあ……あの時無理矢理、美和を引っ張って行けばよかったのか?
後になってやれば良かったのかよ?と自問自答する克己。
やるせないこの気持ちを。どうにかして整理したいのに、嫌な思いが次から次へと湧いてくる。
しまいには自分が悪かったのか、と責め立てていく。
俺が好きになった「美和」という女を美化したいのかもしれない。
それでもいいんだ。そうでもしなきゃ自分の気持ちがドロドロになって闇に染まっていきそうだ。
解決への光明が見えないこの状況を、どうにかして打破していこうと必死になるが……
(俺はもう、どうなっても良いんだ)
ふと、克己は熱をおぼえた顔面をまさぐる。熱い!と感じた部分が、人差し指と中指の二本指に触れた時。
そうだ……この熱の元は夕方ついたばかりの傷だった。
右眉から少し離れた所に縦に五㎝ほど線引く傷跡が、パックリと開いて血がにじみ始めた。
夕方出来て塞がったばかりの傷から、一筋の鮮血が下方へ紅い線を引く。
克己が昨夜、美和に別れの言葉を告げられた。翌日の仕事帰りの途中に気が動転して、二輪車で電信柱に突っ込んだ際に出来たものだった。
暫く目を閉じていたので確認は出来なかったが、かなりの速度が出ていたと思う。二輪車の方は廃車になるほどひしゃげたのだが、自身はヘルメットの淵からぶつかった際に出来た傷と、打ち身による打撲だけであった。
そんな精神状態で仕事に行った俺もどうにかしている。全く冷静ではないのだから……
人様や公共の器物を破損させたわけでもないのが、社会的にも救いであるが……
自爆願望と言ってしまえばわかりやすい。 正常な判断が出来ないときに「起きるべくして起きた事故」だったという事だろう。
こんな時に乗るなよと自分を殴ってやりたいと思えるようになったのは、まだ先の話。
綺麗にバックリと裂けて出来た縦傷。
この時はまだ、数年乗り続けてきた二輪車を失った悲しみは微塵も感じ得なかった。
……
……
二輪車で自爆した事を悔いる余裕も無く、頭の中で繰り返される思考。
「あなたとの子供が欲しかった」
また思い起こされる言葉のうちのひとつ。
俺との子供が欲しい?それなのに何故別れなきゃいけない?その言葉はその場しのぎの言葉に過ぎなかったのか?
結論付けられないマイナスが思考がグルグルと、繰り返されるように襲い掛かってくる。
「子供が欲しい」という発言。
婚前。それも付き合い始めて数か月程度であれば、重い言葉なのだろう。
数年間、コツコツと愛を育んできた二人であれば自然な言葉だったのかもしれない。
出会って数日で意気投合して、子作りするツワモノもいるかもしれないが……
この二人。美和と克己はそこまで進んだ関係でもなかったのだ。
それが何故「子供が欲しかった」になるのか。
今は、わからない答えを求めて苦悩し続ける克己。懇々と悩める心身に優しくあてられている背中の手。
仕事で辛かった時。友人関係で悩んでいた時。美和は頭を優しく撫でてくる。
温もりと優しさが溢れて、克己の落ち込んでいた気持ちが情報へ向けられて「頑張ろう」っていう気になれる。
しまいには別れを言い渡された後になっても、変わらず包み込むように撫でてくる。
どっちなんだ?
別れると言ったんだろう?
それでも何故、優しく包み込むんだ?
わからない。
美和の気持ちがわからない。
自分の気持ちもわからない。
まだ美和の事を好きでいいのだろうか?
「俺はこれから、どうすればいい?」
終わりなき不安と疑問、悲しみが克己の心身を一層追いつめていく。
美和はどういうつもりで、優しくしてくるんだろう。
「あの時……最後まで私を抱いてくれたら、あなたを選んでいた。あなたとの子供が欲しかった」
あの時……?
あの時って一体?
一生の選択を大きく決めるほどに大きな出来事だったのか?
思考が中々定まらない中で、ぷっつり切れそうなほどに非常に細い糸を手繰り寄せていく感覚。
思い起こすんだ。
あの時美和は何をしていた?
何と言っていた?
俺は何をして、どんな言葉を返したんだ?
少しでも思い出せるよう、背中に当てられている優しい暖かさを感じ取りながら……
克己は少し前までの記憶を遡っていった。
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