第12話 電脳演算――ハイブリッドカウント――
「お前、名前は?」
「風吹」
「ん? 女みたいな名前だな」
脳内再生した時間は一刻とさえ感じるが、現実の時間は数瞬であった。
追憶、その全てを鮮明に覚えている。
——脳の半分を損傷していた。私の施術はかろうじて命を繋ぎ留めたにすぎない。失いたくない記憶、君の生きる意思が電脳と奇跡的に同期しただけだ……君の望みは叶えられなかった。すまない——
何一つ忘れないとは恐ろしいとさえ感じる。
同時に、その全てを記憶する自身の存在こそが、風吹と共に生きている証明とも思える颯。
——二人で生き延びよ——
天狗翁から与えられた任務を成し遂げることは出来なかったが、己だけが持つ記憶は一人のものではないことを知った。
この記憶を持つのは己だけ、故に簡単には死ねないのだ。
こうして疾風の颯、暗器殺手と恐れられた忍は表舞台から姿を消すに至る。
行軍に紛れながら離脱の機会を伺う颯。
——よし、集中出来ている。
強引にでも事態を打開しようとする風吹の声はもう聞こえない。
上空、メタリックな飛翔体——機工丸が降下を開始、拘束された逃走兵、忍衆が地上で待機する捕縛部隊へ次々と引き渡されていく。
捕縛任務を終えた機工丸がこの場を離れれば、空からの索敵は無くなり離脱の機会が訪れる。
先鋒が鞍馬大隊であることを考えると、一刻も早く行軍を離脱し情報を万創世に伝えなければならない。
——何っ!?
逃走兵、忍衆の引き渡しを終えた機工丸、再び上空へ戻るかと思えば、本隊への合流ではなく樹林帯の爆心地へと滑空を開始した。
——あそこにはもう誰もいないはずだが……この距離で機工丸に居座られたら動けない。どうする……。
颯の感覚が研ぎ澄まされていく。
正確には、錆び付いた感覚が強引に研がれていくように。
——誰もいないはずの爆心地……。ん?
愛する者の記憶が、復讐という呪いになってしまった市。
復讐を遂げるためには手段を選ばない、自身の命など最初から勘定に入っていない
任務が全てであった頃の自身と重なる、颯はそんな市を気にかけていた。
その命を失えば、愛する者の記憶を失うということを説きたいとも思っていた。
だが、市の核心に触れようとすれば自身の過去が強烈にフラッシュバックする。
未だ乗り越えられない気持ちがあることもまた、颯が市に対して背を向けてしまう理由であった。
——落ち着け。まずは任務の遂行だ。行軍から抜け出せないと伝達が出来ない。だが、上空には機工丸。奴の索敵がある以上、行軍から離脱出来るのは数分の間だけ、危険すぎる。奴の注意を引きつけるためには陽動が必要だ……。
颯の電脳が働いている。
人の持つ脳とは全く別次元のもの。
人が一生をかけて思考する時間を数秒で、絶えず五感から得られる情報が並列処理されていく力。
万創世に情報をいち早く伝達する。
生きてこの戦場を離脱する。
この二つを達成するために成すべきことを。
「お前、怪しいな。所属は? 身分証は?」
楽観的な行軍の中、独り颯の曇る表情はこの先待ち受ける困難な作戦を映していた。
「……」
「隻眼ってだけでそれなりに目立つ。それが風吹って女みたいな名前なら、なおさらなんだよ」
行軍の列が一部膨れ始める。
颯の周りを兵士が取り囲んでいるのだ。
——偽らざる己の心を刃にする。忍そのものだろ? ——
——そうだな、風吹。今なら分かる。
「無言を貫くか?」
——市にはいずれ説く必要がある。
「ならば斬る」
——だから死なせない。
「ちょうど殺しに飢えていたところだしな」
——もちろん
「飛んで火にいる夏の虫とはお前のことだな」
——風吹、お前と俺で疾風怒濤だ。
四方から刀を振りかざす兵士たち、うずくまる颯。
「びびって身動きも取れないか!? 死ねえぇ!」
颯の右目を覆う眼帯からは眩い光が漏れ出す。
——記憶には、傍らにはいつだってお前がいる。
記憶——電脳の指令が肉体を動かし正確に模倣する力が発動。
瞬間、颯の懐から展開される鎖分銅がその形状を尖らせながら直上へと跳ね上がる。
「とんでひにいるなつのむし」
肉片が散り血の雨が降り注ぐ中、眼帯を外す颯。
光を宿す右目が全方位を捉えた。
「
「貴様、何者だ!」
「俺の名は颯。疾風にして暗器殺手である俺を前にして、退くも勇気と讃えよう」
視界に映る者全て。
どこに誰がいて、その行動予測も瞬時に把握してしまう。
五感情報が並列処理され、絶えず颯の肉体は最適解を導くために動き続ける。
意識的に動かすようでは間に合わない、条件反射にも似た
通り名に戦意を失う兵士、それ以外の情報が優先的に取り込まれる。
最初にトリガーを引く兵士の銃身には、既に暗器が突き刺さり暴発による敵兵被害予測も計算済みだ。
迫る長創兵同士の突きに合わせ、立ち位置を四十センチほどずらし腹部を槍がかすめる。突かれる直前に回避行動をすることで、槍は空を切り突如として向き合う敵兵の同士討ちとなる。
地に露出した根に
この結果、領域内の敵兵は三秒怯むことになる。
生まれる先手三秒、絶え間なく生み出される数秒の未来を次々に制圧していく力に、兵士たちの成す術は残されていない。
——さぁ、もっと先に俺を導いてくれ。
正確な予測を積み上げながら、同時に最適な処理を実行していく能力。
それは、颯の存在自体が可視な未来へと誘われていくようだ。
「
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