第11話 疾風怒涛 ~下~

「……やべ、舌噛んじまった」

 口を覆う手から血が滴っている。

 明らかな吐血、相変わらず欺くことが不得手な風吹を前に颯は動揺した。


 忍の里を出て一年、より遠くへ。

 そうして小国を流浪した結果、疾風怒濤の名は鳴りを潜め、里の追っ手、賞金稼ぎの気配は消え去った。

 二人で生き延びるのが天狗翁から与えられた任務なら、それはずっと続けることが出来ることだと思っていた。

 二人に初めて訪れた平穏な日々。

 そんな矢先、風吹を襲った病魔。


 小国の医者程度に治せる病であれば、とうに風吹自身で快方に向かう。

 大したことないと言い続ける風吹の言葉が、かえって不治の病であることを颯に告げていた。


——万病皆無、創世の術——


 噂に聞く万創世ならば、風吹の病を治せるのではと一縷の望みを抱く颯。

 互いに各地を流浪する身、いつか出会うであろうにも時間は限られていた。


 日に日に痩せ細る風吹を残し、万創世に繋がる情報を辿る颯。

——二人で生き延びよ。

 亡き師から与えられた任務を完遂することが絶対である颯、その強い気持ちに感情の芽生えがあることなど気づくはずもなかった。


 遺宝操者ハンドラーとまで言われる万創世は、二大王朝にとって最も警戒される人物だ。

 どちらに味方するでもない中立的立場でありながら、パワーバランスを左右しかねない強力な存在。

 所在の不明さも相まって、その存在は乱世の抑止力ともなっていた。


 ある日、依頼人不明の任務が颯に舞い込む。

 リスクを冒し、情報屋に自分——疾風怒濤の颯を売り込み、万創世に関する情報を探ってすぐのことであった。

——万創世を暗殺せよ。

 この任務を受けることで、万創世の所在を掴むことが出来る。

 考えるまでもなく颯は任務に就いた。


 任務は混迷を極めた。

 万創世に近づくほどに、実感はあるがその実体は無いような感覚。

 雲を掴むような存在に集中を切らせば、途端に命を失うような気がした。


 数度、颯は任務中にミスを冒した。

 忍の里を出て一年、平穏は颯の忍としての感覚を鈍らせていたのかもしれない。

 冒したミスは野良猫の登場に助けられることもあれば、突風に舞う枝葉に紛れることさえ。

 いずれにせよ、幸運なことであった。


 風吹は眠っていることが多くなった。

 眠りを妨げてはいけない、かといって見守っているだけでは少し気恥ずかしい。

 独り言のように昔話をした。

 そうすると、風吹の眠り顔が少し穏やかな気がした。


 冠雪間もない白根山しらねさん

 山越えを急ぐ万創世に忍び寄る影。

 それも一つではない。

 颯の他に、万創世暗殺の命を受けた忍十数名も迫っていた。


「創世は俺が殺す。そして疾風怒濤の颯、お前もな。手柄は二つだ」

 天狗翁に仕込まれた忍、すなわち暗器殺手インビジブルである颯は伊達ではない。

 言葉を発した直後、自分が死んだことさえ気づかぬまま斜面へと転げ落ちる骸が一つ。


——俺の素性がバレている。この白根山においては万創世、賞金首の俺も標的か。

 一刻も早く創世の元に向かい、何人いるかも分からぬ忍と対峙せねばならない苦境。


 颯は不思議に思った。

 万創世を暗殺するのが与えられている任務のはずなのに、これから万創世を助ける。

 そして風吹を助ける。

 自分も生き延びる。

 そこで確信した。

 風吹と二人で生き延びる。

 これ以上の任務がこの世には無いのだと。


——万創世、一体どこにいる?

 これで何度目だろうか。

 近づくほどに、実感はあるがその実体は無いような感覚。

 だが、この日の颯の集中力は鬼気迫るものがあった。

 この機を逃せば、風吹を助ける機会を得られないと感じていた。

 研ぎ澄まされた感覚は常人では獲得出来ぬ六感となり、ついに創世の居場所を探り当てる。


「……そこに、いるのか?」

 吹雪く山頂、景色が一瞬揺らいだ気がした。

 一点を凝視する颯。

 すると、景色が破られるような空間の違和となり、そこから眼鏡を掛けた男が現れた。


「一手間加えた迷彩衣ステルスなんだが。見破る者がいるとはね」

 得意気に脱いだ迷彩衣を掲げ、微笑を浮かべている。

——万創世!

 膝下は迷彩衣の機能を有したブーツを履いているのか、創世の姿はまるで足の無い亡霊のようだ。

「私を殺しにきたか?」

「いや、助けに来た。お前に助けて欲しい者がいる」

 どうしてか、腑に落ちる表情を見せる創世。

「この山を無事に下りられればの話だが……」


 迷い無く一直線、創世の眼鏡内ディスプレーが迫り来る忍を映している。

「視認出来ない距離から確信を持って迫る者が一人。君はおそらく発信器を付けられているね。どうやら、私と君を葬りたい者がいるようだ」

 直後、全身に電撃が走り思わず膝をつく颯。

「悪いね。発信器を探すより、壊すほうが善手だった」

 暗器殺手の颯に手口を見せない創世の早業。

「君が私を探り出す、その前提で敵は動いている。なかなか厄介な連中だ」

 続けざまにリボルバーが火を吹き、迫る忍の急所を正確に打ち抜いた。


「下山ルートは限られる。ある程度場所を把握された以上、敵は全て退けないとね」

 出会って数秒、万創世という一人の人間が、二大王朝から警戒される意味を知った。


「君の名は?」

「颯」

——噂に聞く疾風怒涛。

「弾薬が残り一発。近距離戦となった場合、私の対応も限られる。索敵、戦闘支援は私がやるから、交戦は君に頼む。颯、君は何度も私に近づけた手練れとも記憶している」

——何度も俺を殺せる機会はあったということか……。

「共に下山出来た暁には、君の望みに応えよう」


 迷彩衣を纏って一人で下山するほうが、創世にとって都合が良いに違いない。

 誰も見つけることは出来ないであろう。

 颯自身、再び創世を見つけることは不可能だと思っているし、創世から出てきたというのが実際のところ。

 何より、所持する弾薬の数が創世の自信を物語っている。

 しかし、助けを求める声に応えようと、颯と協力して下山する道を選んだ創世。

 あるいは、颯をも助けようとしているのか。

 先ほどの腑に落ちた表情が意味するもの。

——全て見透かされている。

 既に敬服に近い気持ちを創世に抱く颯であった。


「百メートル先、北東の岸壁に一人」

 山頂において吹雪く視界不良の中、創世の索敵は正確であった。

「直進七十メートル先に一人、座標がおかしい。おそらく土中に潜んでいる」

 敵の位置を事前に知るだけで、先手必殺の颯。


 敵影は無いものの、物質の構成を見分け罠の仕掛けをも瞬時に嗅ぎ分ける創世の索敵はもはや正確というより完璧であったが、それでも岩場に身を隠しながら慎重に進む二人。

 やがて積雪もまばらな樹林帯をひた走ると、背後に雪を被った白根山の山頂を捉える。


 山容は濃霧に覆われ、山頂の一部だけが空を背景に露出している。

 先ほど創世と出会った場所はまるで天空の頂であったのかと思うと、万創世が雲をも掴む存在であったことに納得を覚える颯。

 その神々しさを前に思わず立ち止まる。

 それは、颯が見せた白根山における一瞬の油断。


「危ないっ!」


 創世の声が響いた直後、颯の右側頭部が吹き飛んだ。

 倒れる颯を抱き止め、創世は颯を大岩の影に引き込む。

 頭蓋骨をも砕かれた損傷部にスプレーを噴射、凝固する泡で傷口を覆う緊急処置を施す。

 颯は意識を失っている。

 創世は即座に迷彩衣を纏い全方位索敵開始、大岩から駆け出した。


 半径百メートル以内、敵影無し。

 半径二百メートル以内、敵影無し。

 半径三百メートル、敵影四。

——待ち伏せかっ!

 敵影は分散し、三人は颯を残した大岩に向かい一直線。

 残る一人は後方に位置したまま動かない。

——後方は颯を撃った狙撃手スナイパー


 急いで颯の居る大岩に戻ろうとするが、狙撃手の弾丸が今度は創世の至近を通過。

 木々の合間に逃れる創世。

 両足に颯の大量の血が付着、これでは景色を欺く迷彩衣の機能は果たせない。

 三百メートル先から颯の頭部を狙う精度を考慮すると、血痕から身体の位置を導き出し急所を狙うことなど造作も無いであろう。


 迂闊うかつに動けぬ状況、残された弾薬は一つ。

 数瞬の間に思案する創世。


 およそ三百メートル先、一発必中で狙撃手を仕留めるには、正確な座標の計算(既に精度七十パーセントほど算出中ではある)が必要。

 敵の三人が颯に到達するタイミングとほぼ同時に百パーセント。

 狙撃手を殺してからでは間に合わない。


 創世のリボルバーから発射される弾丸は金剛石ダイヤモンドをも貫く。

 敵の忍が横一線に並ぶタイミングがあれば、三人を一発で撃ち抜ける。

 だが、それは運任せの希望的観測。

 潜む木々の合間からでは、三人が重なる角度も相当に限られる。


——弾薬がせめて二つあれば……一つ無いだけでこの様か。

 こんなことは何度もあったな。

 シリンダーやポケットにうっかり弾薬が残っている。

 そんな偶然すら私には訪れない。

 全ては必然、因果なのだろう。

 私の助けようとする命の全て、助けられるわけないのは分かっているさ。


 大岩に三人の忍が迫る。

 また一人、救えぬ光景が広がっている。

 それでもリボルバーを構える創世。

 敵三人が横一線に並ぶ瞬間に向け銃口を向けている。

 あるいは、座標計算の終了と共に狙撃手を撃ち抜き、間に合わぬ颯への救出に向かうのだろうか。


——唯一点。

 一人目の忍が通過してしまった。

 二人目、三人目の忍の姿は重なったが、二人を撃ち抜いたところでもはや意味は無い。

——座標計算九十パーセント……これまでか。


一日千秋いちじつせんしゅう


 先頭を駆ける忍が突然後方を振り返る。

 瞬く間、その忍の纏う衣が内から切り裂かれ、展開される鎖分銅が二人の忍に襲いかかる。

 吹き荒れる嵐のように。


——……俺は……この風を覚えている……。


 忍の一方は肉片となって散り、もう一方は左半身を吹き飛ばされる。

 が、半身となった忍の右足は地面を蹴り上げ、右手に握る刀が後方に弧を描いた。

 振るう最期の一太刀。

 鎖分銅を放った忍は、嵐の後の静けさの如く。

 その身をも刻む諸刃もまた最期の舞。

 その場で立ち尽くし、一太刀を受ける覚悟をとうに決めているようだ。


——待っていることに不安だった。


 あなたは帰って来ない、アタシは帰りを待てないかもしれない。

 残された時間は少ない。

 気づけばあなたの後を追っていた。

 時に欺き、アタシはいつも側にいた。

 側にいたかった。

 そして、何事も無かったようにあなたを待ち続けた。

 布団に入るとまるでスイッチが切れたかのようで……。

 すると優しい声が聞こえた。

 あなたが昔話をすると、記憶が駆け巡る。

 死の際に見るという走馬燈は何だか怖い気がするけれど、あなたの語る思い出は死とはほど遠い穏やかなもので。

 ……。

 アタシはもう生きられない。


「風吹っ!」


 無意識下、瀕死の颯を動かすもの。

 暗闇の中、残る風の足跡が颯を導いている。

 二人で疾風怒濤。

 吹き荒れる嵐の後には、必ず一陣の風が吹き抜けるのだ。

 大岩から最短最速で敵の懐に飛び込む颯。

 放つ一閃は、半身となった忍の一太刀を砕き、首をはね上げる。


——百パーセント。

 響く銃声。

 リボルバーから放たれた弾丸が、正確に狙撃手の急所を打ち抜いた。

 膝射姿勢の狙撃手はその場で倒れる。

 一発必中を決めた創世の表情は曇ったままだ。


 助けたい者同士の想いは実ることなく。

 創世は知っていた。

 いや、颯との出会いで全てが腑に落ちたのだ。

 己の側にいつも潜む二人の忍の存在を。


 忍んで守る者がいる、その名は風吹。

 助けたい者のために己を探す忍、その名は颯。

 二つの命、一つを失い一つを得る。

 それはプラスマイナスでいえば意味のない事象、まるでゼロ地点の今を繰り返すように。


 死してなお狙撃手の手に握られたライフル、その銃口から硝煙が立ち上っている。

 庇うように、颯に覆い被さり倒れる風吹。

 その背中は深紅に染まっている。


 欺くのは不得手と思っていた。

 そんな風吹に欺かれ、助けられた。

 側にいるなんて気づきもしなかった。

——俺は何のために……。


「……アタシのこと、忘れないで」

——……何を言う……。

「そうすれば、アタシは颯の中で……生き続けられる」

——風吹、お前も一緒に……。

「二人で……疾風……怒濤…………」

——二人で……生きる……。

「生きて」

——いかないでくれ。


 意識が朦朧とする中、覆い被さるのが風吹だというのは分かっている。

 こんなにも軽いものかと驚いてしまう。

 身体を湿らす温いものが風吹から溢れる血であり、それが広がると共に冷たくなるのを感じる。

 風吹が冷たくなるのを感じる。


 風吹の声はもう聞こえない。

 耳元には微かな呼吸、合わさる心臓の鼓動は力なく。

——颯、やっぱり別れるのは辛いね……悲しいね……。

 もう声も発せぬ死の際、風吹の頬を伝う涙。


 颯の震える手。

 精一杯、風吹の顔の輪郭を右手でなぞる。

 その手が涙を拭う。

 

「……風吹、俺は生きる」

 微かに開く互いの目で見つめ合う。

「風吹も俺の中で生き続ける」

 頷くように、穏やかな表情のままに。

「二人で疾風怒濤、いつも一緒だ」


 響く鼓動の余韻。


 力一杯、風吹を抱きしめる颯。

 その命を繋ぐものは、風吹との記憶をこの世に留めようとする想いだけなのかもしれない。

 風吹の瞳にもはや光は無い。

 見開いたままの瞳はただ、颯だけを映していた。

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