第10話! 金剛道場

「ううむ……あの陣屋の小せがれがのう……よほどの鍛錬を積んだのじゃろうて……」


「はい……」


 ここは金剛道場。


 そこで、金剛正成と高野チヨが向かいあって座っていた。


 いや、チヨの方は平伏していた。


 傍目から見たら祖父と孫だが、その間柄は実質師匠と弟子であった。


「これ、チヨや。あまり気に病むでない……いずれ、わかったことだ……」


「ですが……このような時に……不始末です」


 金剛道場。


 金剛流武術。


 この流派が『武術』として成立したのは鎌倉時代とも、あるいは室町時代とも伝えられている。


 しかし、その前身となるとさらに時代を遡る。


 飛鳥王朝……つまり大和朝廷が成立する頃には、高野山一帯にその存在が居たらしい。


 厳しい修行を重ね、己の体躯を武器にして戦う者達。


 朝廷はその力を高く評価し、その武力を戦争に介入させた。


 そう、この高野山一帯の自治を補償し、金を与えたのだ。


『国家の狗』。


 金剛流が、格闘家たちから目の敵にされるのはその権力の手先となっていた歴史があるから、というのは大きい。


 そんな昔の事で毎日のように決闘を挑まれるのも、ハガネたちにとって甚だ迷惑な話ではあるのだが……。


 時が流れ平安時代になると、空海が高野山にやって来て金剛峯寺を建立し、山岳密教の祖の一人となった。


 この際に山に居た金剛一派も吸収されたものと考えられていた。


 しかし平安後期、国内に武士の力が強まると、「教えだけでなく、武の力なくば民は救えぬ」と旧金剛一派が血気盛んな武闘派を率いて山を下りた。


 それが現代にまで続く金剛流の興りだと言われている。


 ただこの頃はただの武闘集団であり傭兵のような存在だったが、その武の技を受け継ぐべく、鎌倉の頃には次第に流派となっていった。


 そして、さらに時は流れ、室町後期……いわゆる戦国時代に入ると、武の力だけでなく、間諜や要人の暗殺なども行う一派が現れた。


 あくまでも『武力』を重んじる金剛一派と、勝利の為には暗殺すら厭わない高野一派に分派していく。


 高野派は『武闘』ではなく『舞踊』を隠れ蓑に、暗殺者集団として代々受け継がれてきた。


 そして武術金剛流と舞踊高野流は互いに影になり日向になりとその存在を歴史の闇に潜めて来たのだ。


 その両派の現後継者候補が、ハガネとチヨなのである。


 つまり、ハガネとチヨは格闘の技、という点では完全に同門ということになる。


 チヨが金剛道場の鍛錬に幼い頃からついて来られたのも、毎朝ハガネと並んで登校出来るのも、そのような理由があったのだ。


 チヨがずっと実家でウケている厳しい修行とは、金剛流と同じ……あるいはそれ以上の過酷なものであろう。


 ちなみにチヨが料理が得意なのも、暗殺の際に毒を盛っても怪しまれない食材を熟知する為でもある。


 まったく恐ろしい男の娘であった。


 そしてその厳しい鍛錬の果てに現時点とはいえハガネの一歩上をいく実力を身に付けていたのだから、その努力が窺える。


 だがその継承者同士が、不信を抱くようなことになって、そのことも含めてチヨは頭を下げているのだった。


「いや……お前の強さに気付けないハガネが未熟なのじゃ……あまりそう自分を責めるな」


「はい……でも……ハガネちゃん……大丈夫でしょうか……」


 チヨは彼女の気持ちに気付いていないワケではない。


 しかし、自分は暗殺者、彼女は純然たる正義の武力……。


 目指すところが違いすぎる……。


 故に……。


 チヨ自身もハガネの心に応えられずに居たのだ。


 だから、チヨからの告白は……いや厳密に言えば『告白の予告』は純粋に嬉しかった。


 もしも、その告白を受けた時……その時にチヨはハガネに自分の事を告げようと、覚悟をしていた。


 ほんの半日……。


 敵の襲撃が遅ければ違う未来があったのかもしれない……。


 あるいはあの時、夕暮れの公園で、ハガネが伝えようとした時……。


 チヨが自分の事を話していれば、こんな事にはならなかったのかもしれない……。


 チヨの胸からは後悔の念が消えないのだった。


「それで……ハガネちゃんは一体どこへ……?」


 ハガネはまだ道場に帰って来ていない。


 だいたいなにかあったとしてもおなかが空いたら戻ってくる。


 それが金剛ハガネという少女であったのだが……。


 もう今日は火曜日の夕刻だ。


 大会は日曜日だったから、丸3日も帰って来ていない。


 それは奇妙な事だった。


「うむ……それなら調査しておる……」


「ああ、門下生の方々が……ですか?」


 道場はガランとしていた。


 道場主である正成とチヨだけだ。


 ハガネが居ないと、こんなにも静かなんだな、と痛感するチヨだった。


「うむ、弟子どもも心配してな……街を探して歩いておるよ……じゃが……おそらくはこの街には居るまい……」


「えっ……」


「まるで気配を感じぬのでな……」


「師匠がハガネちゃんの気配を感じ取れないとすると……ハガネちゃんは一体どこへ……」


「応、それよ……それを調査してもらっておるのよ……」


「調査って……一体誰に……」


「やあ、お邪魔しますよ」


 そこへやって来たのは……。


「はー、この階段、中年にはキツすぎますなぁ……まるで登山だ……」


 道場に上がり込んでよいっしょっと腰を下ろしたのはハガネたちの担任の徳山忠徳先生だった。


「と、徳ちゃん先生?!」


「おいおい、親御さんの前くらいは徳山先生って言うモノだぞ」


「なんで、徳ちゃん先生が?!」


「聞いて? お願い、先生の話を……」


「それで……ハガネの居場所は……?」


「いやあ、探しましたよ……半径200キロメートル……様々な手段で探したんですがねぇ……」


「半径200キロメートル……ってほぼ関東から中部全域じゃない?!」


「いやあ、はは……まったくその通りで……実際彼女の脚力を舐めてましたよ……おかげで消息を掴むのに丸2日も掛かった……」


「それで?! ハガネちゃんは? ハガネちゃんは一体どこに!?」


 そう言ってチヨは徳山先生の両肩を手で握った。


「いや……高野……お前とこの体勢はいろいろとあぶない気持ちになるから……もう少し離れてくれないか?」


 いかに性別を知ってはいても、チヨの可愛さは老若を問わない。


 それに、徳山はどうやらチヨの正体も知っている様子だ。


 つまり、暗殺者に至近距離で身体に触れられるというのはとても『あぶない』ことだと、そう言っているのだ。


「徳ちゃん……一体何者なの?」


「だからせめて徳山先生って言って……それくらいの威厳保たせてくれてもいいと思うのよ……」


「で、徳山殿……ハガネは?」


「ああ、見つかりましたよ……新潟の海岸で……」


「新潟っ?!」


「ええ……そこで日がな1日海を眺めて居るそうです……」


「ボク、迎えに行ってきます!」


「と、おいおい……」


「チヨ! 待ちなさいっ!」


 立ち上がってスカートを翻すチヨを、正成が一喝して止めた。


「でも師匠っ!」


「これはハガネの問題じゃ。ワシらが行ったところで、話し合いにもなりゃあせんわ」


「まあ……そうでしょうなぁ……」


「う……ハガネちゃん……」


 と思わず膝を落としがっくりとうなだれるチヨだった。


「で、でも……徳ちゃん……じゃなくて……徳山先生はどうやってハガネちゃんの行方を?」


「まあ……今更隠しても仕方ないか……まあ国家権力って奴を使ったわけだよねえ」


「国家権力ぅ? 徳ちゃんが?」


「お前、直す気ないよね。呼び方? いいよ、もう教えないもん!」


「子供か! ……じゃなかった……すみません教えてください徳山先生!」


 と両の眼をうるうるさせて両手を祈るように組んで見つめられては、さすがに断れない。


「べ、別に、泣き落としに弱いとかじゃないんだからな!」


「はいはい……わかったから……で? 先生は何者なの?」


「まあ、俺は内閣調査室の人間でね……」


「ないかくちょうさしつ……はぁ……」


「あ、信じてねーな……」


「いや、さすがに信じられないよ、そんな話……」


「チヨ。本当の事じゃ」


「えっ? 師匠は知っていたのですか?」


「うむ。金剛流は国家とは因縁浅からぬ間柄でな……この武を悪しきことに使用されないように、国家からは監視が付いておる」


「そこまで?」


「まぁ、信じる信じないは勝手なんだけどさ……金剛と高野……この二つの流派は国家としても放っておけないのよ……理由は……わかるよな?」


 暗殺組織やそれと繋がるとんでもない武術集団を野放しには出来ない……。


 それはチヨにも理解出来た。


「でも……こんな……監視みたいなこと……」


「あー……そりゃあな……悪いと思ってる……だけどもよぉ、俺ぁ一応教師として、ちゃあんとお前さんたちを生徒として見てるんだぜ? そいつはわかっていて欲しいワケよ……」


 そんな徳山の言葉にチヨは静かに頷いた。


「今はとにかく……ハガネの心が落ち着くのを……待つしかあるまいて……」


「ハガネちゃん……」


 遠くに駆けて行ってしまったハガネを思い、チヨは夕闇に覆われた空を見上げた。



 ちょうど同じ頃。


 こちらは最上邸。


「お嬢様……澄叡お嬢様」


「あら、朝倉。どうかして?」


「お嬢様がお探しの金剛ハガネの居場所がわかりました」


「あらそうなの?」


「どうなさいますか?」


「もちろん! 仕合いに行きましてよ! すぐに車を用意なさい!」


「それが……お嬢様……彼女は今、新潟にいると……」


「新潟? なぜ新潟に?」


「どうやら、先日の武術大会の朝に何者かの襲撃を受けたらしく……」


「まあ……それで? 怪我でもしたのかしら?」


「いえ……なんとか退けたそうですが……その後、彼女の友人となにかあったらしく……」


「ふぅん……友情などという不安定なものにかまけているからそうなるのですわ! よろしい! 私がその腐抜けた根性を叩き直して差し上げましょう! すぐにヘリの用意をなさい!」


「畏まりました……」


 初老の紳士朝倉はお手本のようなお辞儀を見せた。

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