第42話 夢魔との戦い
普段は体力のないリュイだが、ここは夢の中だ。人込みをかき分けてパッフの跡を追うのはそう難しいことではなかった。いつものように息が切れるというようなこともないし、人々も現実の世界と違ってリュイに非難の目を向けることはなかった。
サーカスのテントをくぐり抜けるとそこには大きな舞台が用意されていた。篝火が炊かれ、薄暗さが奇妙な興奮を呼び起こす。
「アンゼリカ嬢……!」
アンゼリカは恐ろしくわかりやすい場所にいた。それは舞台上に設置された檻の中だ。檻の中で八歳のアンゼリカが格子を掴んで必死に何かを訴えている。だがその声がリュイの耳に届くことはない。
リュイがアンゼリカを檻の中から助け出そうと足を踏み出した瞬間、舞台上にいるもう一人の人物が両手を広げ、高らかに声を上げた。
「ようこそ! シルヴィア・プラーシカのサーカス団へ! 特等席でご覧の坊やもお立合い! 我がサーカス団一番の見世物をご覧に入れましょう!」
男のような様相と振る舞いをしているが、声や名前からすると女性のようだ。男装の奇術師はリュイに向けてウィンクし、茶目っ気たっぷりの礼を取るとステッキをくるくると回し始める。
「今からご覧に入れるはおとぎ話に語られる太陽を食らうドラゴンでございます! ドラゴンがどこにいるのか? ええ、すぐにわかりましょう!」
そう嘯くと、シルヴィアはアンゼリカを閉じ込めた檻を赤い布で覆い隠した。
「それではご覧ください、3、2、1――」
とん、とん、とん。シルヴィアが檻をステッキで叩く。
「出でよドラゴン!」
シルヴィアが赤い布を取り払う。中には変わらずアンゼリカが――いや違う。
アンゼリカの全身が慄き震え始める。牙が伸び、背中からは黒い翼が生え、体がむくむくと大きくなり――やがてアンゼリカは檻を突き破って大きなドラゴンに姿を変えた。
観客たちが悲鳴をあげ、我先にとテントの出口に殺到する。リュイは逃げ出そうとする観客に突き飛ばされ、尻もちをついた。
しかしリュイはあくまで冷静に考えを巡らせる。
「これが
男装の奇術師――シルヴィアは『おとぎ話に語られる太陽を食らうドラゴン』と言った。経緯はわからないが、アンゼリカはそのドラゴンと自分を重ねているのだろう。
「目が見えなくなったのはそういうことか――アンゼリカ嬢は
いずれにしてもあのドラゴンが悪夢の元であることは変わりない。その悪夢を取り払ってやれば、かならず
だがアンゼリカには悪夢を見ているという自覚がない。
これがどうにも引っかかる点である。
とにかく、目の前の『悪夢』に対処しなければ話が進まない。悪夢への対処となればドラゴンを退治することだが、ドラゴンはアンゼリカ自身だ。当のアンゼリカ本人に危害を加えるわけにはいかない。夢から覚ますという方法もあるが、それは根本的な解決にはならない。
リュイは思考を切り替える。ここは『ドラゴンを退治する』方法ではなく、『ドラゴンになったアンゼリカを元に戻す』方法を考えなければならない。
ドラゴンとなったアンゼリカは完全に理性を失っているようで、唸り声を上げながらリュイに向かって歩を進める。それだけでぐらぐらと地面が揺れる。踏みつぶされたら一巻の終わりだろう。
夢の中で死ねばどうなるか――普通の夢ならどうともないだろうがこれは魔術による意識の接続だ。精神に致命的な傷を負うか、二度と目覚めないなんてことは十分に考えられる――というか、リュイはそのように想定している。
それはともかく――ドラゴンになったアンゼリカを元に戻す方法について考える。
さきほどの人探しの魔術は正常に発動しなかった。ここはあくまで夢の中だ。魔術的常識はすてて思考しなければならない。
自分がドラゴンになってしまう悪夢。これはあくまで八歳の女の子が見ている夢だ。
では八歳の女の子はどうすればドラゴンになる『呪い』が解けると考えるだろうか?
「――それって一つしかないよね」
リュイは小さく頷いた。だがそれを実行するには――リュイ・アールマーという少年は少しばかり見た目が幼い。
イメージする。想像する。より男らしく、美しく成長した自分の姿を。服もこれでは駄目だ。
もっと『王子様らしい』ものでなければ。
リュイは『王子様』に変身した。きっと女の子が誰もが一度思い描くであろう王子様――まっすぐな金の髪に青い瞳。尖った耳も丸くなり、従えていた白いふかふかは白馬へと変じた。
「さあ、
リュイは『王子様らしい』微笑みを浮かべ、ドラゴンに向けて手を差し出した。
「ぐるぅ……?」
ドラゴンがもじもじし始める。姿は竜でも思考は乙女らしい。
「さあ、呪いを解く『誓いのキス』を……」
リュイは白馬になったパッフにまたがると、その腹を蹴って高く飛び上がる。そしてドラゴンの顔のすぐ側まで近づくと、その口にやさしく口づけをした。
リュイが地面に着地すると、ドラゴンは恥ずかしそうに顔を覆う。同時にしゅるしゅるとその体が縮んでいき、あっという間に元の少女の姿に戻った。
八歳のアンゼリカはその場にへたり込む。同時にリュイの姿も元に戻っていく。明晰夢と言っても魔術に頼らず本来の自分と違う姿を維持するのは難しいのだ。パッフも白馬から元の白いふかふかに戻っている。
「さあ、出て来い――
そうリュイが呟くと、へたりこんでいたアンゼリカが大きく口を開いた。その目もまた見開かれている。白目を剥いて明らかに尋常ではない様子だ。
リュイがワンドを構えていると、アンゼリカは顎が外れるほど大きく開いた口から暗紫色の炎を吐き出した。炎は渦を巻いて、燃える鬣を持つ黒馬の姿に変わる。
アンゼリカも暗紫色の炎に包まれている。リュイの予想通り、アンゼリカの意識と
今後二度は使わないものだろうが、そのための術式はすでに組み上げてある。
リュイはワンドを剣のように構え、呪文を唱える。
「――ロザリオ、水晶、銀の匙!」
リュイが構えていたワンドが、透き通った水晶の剣の形に変わる。
リュイは地面を駆けると、唸りを上げる
『Brrrrrrrr!』
宿主との繋がりを断たれた
「まずい、逃げられる――!」
リュイが地面を蹴る。現実世界では到底出せないような身体能力を夢の中では発揮できる。だがそれでも限界はある。
これでは仮にアンゼリカの視力が戻っても、他の人間に呪いが降りかかる可能性が高い。
リュイが歯ぎしりをした瞬間――。
「ぷう!」
パッフが一声鳴いて、大きく口を開いた。
パッフの爬虫類めいた瞳が、大好物を見つけたかのようにキラキラと輝いている。パッフが大きく息を吸い込むと、テントの中に大きな風が巻き起こり――あっと言う間に天幕ごと
「え、ええ……」
残ったのはリュイと、横たわったアンゼリカとパッフだけ。
なんというか、あまりにもあっけない幕切れであった。
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