第37話 前夜

 夜半、魔術師ギルドリュヴェルトワール支部。


 トワール伯爵家の屋敷から戻ったリュイはシャルロタと紙の追加納入で居合わせたマイアに事の次第を報告していた。


 三人は夕食のテーブルを囲んでいる。テーブルにはパンとサラミ、チーズにピクルス。それからパンに塗るためのラードとはちみつが並んでいる。この国の一般的な夕食だ。


「わたしは反対ですよ。アールマーさん」


「あたしも反対に一票よ。リュイ」


 話を聞いた二人は口を揃えてリュイの行動に反対した。


「あんたまさかそのナリで男なんだから女の子は助けなきゃ、なんて思ってないわよね」


 マイアはサラミをつまみながらリュイを睨んだ。


「別にそんなこと思ってないよ。大司教でも治せなかった病を魔術師が治した。この事実は政治的に大きな意味がある。この話が広まれば聖竜教の立場は――」


「あんたバカ?」


 マイアはサラミを水で流し込むとリュイを睨みつけた。


「政治ごっこに命かけてなんの意味があるのよ。大体ね、アンゼリカお嬢様って言えばエルクラッドの若様より評判悪いのよ? 目が見えなくなって以来わがままで使用人にも態度が悪くて――自分の治療にさえ非協力的だって」


 マイアはチーズをフォークに刺すとやけくそのようにまるごと飲み込んだ。


「理屈ばっかり並べて、結局あんたは善意でお嬢様を助けたいんでしょ? ええ、立派だわ。すごく立派! 胸やけがするぐらい素敵な心掛けだこと!」


「マイア――」


「でもね、考えなさいよ。あの子は目が見えなくたって生きていけるわ。伯爵様は田舎領主って言ってもお貴族様なの。貧民街や寒村には目が見えても明日の食べ物さえままならない子がいるわ。そんな貧しい家に目の見えない子供が出たらどうなると思う?」


 マイアはリュイにフォークを突きつけた。


「殺されるの。口減らしのためにね!」


 マイアはイライラとしながら大きなサラミにフォークを突き刺す。


「――とにかくあんたがアンゼリカお嬢様のために命を懸ける意味がわかんないわ」


「でもマイア、これは善意だけじゃない。打算だってある……こんな事例は滅多にないんだよ?」


「もう! ここまで言ってなんでわかんないの!? 危ないことすんなってだけ! あたしは、その――あんたが心配なのよ!」


 マイアが立ち上がってテーブルを叩く。


 リュイは目を見開いて――それからくすくすと笑い始めた。


「何がおかしいのよ!?」


「いや――すごく、嬉しいなって」


 そのリュイの言葉があまりに自然だったから――マイアの顔が不意を打たれたように真っ赤に染まる。


「この街に来る時――精一杯空元気を出してたけど、本当は不安だったんだ。ほら、僕は半分エルフチェンジリングでしょ? この街の人たちに受け入れてもらえないんじゃないかって」


 リュイはそう言うと膝の上に乗せた自分の手を見せた。普通の人間よりも発育が遅いリュイの手は、少女のように白くて柔らかい。


「でもそうじゃなかった。マイアは口は悪いけど親切、ジンクのおじさんも優しいし、他にもたくさん友達ができた。もちろん、シャルロタさんにも感謝してるよ」


 リュイは二人に向けて微笑んだ。それは、誰もが魅了されてしまうような、美しい――混じりもののない清水のような微笑みだった。


「だからね。僕は――本当は研究とか、政治とかどうでもよくてさ。『お客さん』じゃなくて、本当の意味でこの街の一員になりたいんだと思う。それはきっと――命を懸ける価値のあることだよ――ねえ、パッフ?」


「ぷう!」


 リュイは肩でおこぼれを待っていたリュイにはちみつとチーズの乗ったパンを一切れ差し出す。パッフは嬉しそうにそれをペロリと飲み込む。


 二人のやり取りを見守っていたシャルロタが深くため息を吐く。


 それからリュイの菫色をした瞳をしっかりと見つめ、言った。


「アールマーさ……いえ、リュイさん。あなたのお気持ちはしかと受け止めました」


 シャルロタはいつも事務的で、あまり自分の内心を表に出さない。だからこれはとても珍しいことだ。シャルロタは平静にしているように見えるが、その瞳には隠し切れない情動が揺らいでいる。


「でも忘れないでください。“天啓の”リュイ・アールマー。その名は多くの論理教徒の憧れであり――『夢』なんです。きっとあなたが目指し、描いているものは多くの人々を――世界を救うのだと……皆が願っている――いいえ、信じているのです。だから……」


 シャルロタはそこまで言うとフォークをテーブルに置いた。


「だから必ず無事に戻ってください。睡眠と食事は万全に。術式に臨む際には、準備を怠りなく――わたしも――ええ、とても非論理的ですが、あなたの傍らにいるに祈ります」


 そう言うと、シャルロタは始めて自分からパッフに触れた。恐る恐るではあったが、その手つきは優しい。


「あたしも祈るわ。論理教徒には通じないかも知れないけど――汝に竜の誉れあれグロール・ドラゴン


 マイアも手を組んで祈りを捧げた。


「ぷう!」


 パッフは任せろと言わんばかりに鳴いた。それだけで不思議と、その場に降りていた不安の帳が取り払われて行くようだった。

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