第36話 ただ一つの治療法

 リュイたちはリュヴェルトワールに到着したその足でトワール伯爵邸に向かった。


 アンゼリカは相変わらず部屋に引き篭ったままで、玄関口で出迎えてくれたのは伯爵夫妻と長女のクローディア、若い執事のジャンだ。


「あれ、ジャンなのか? ボトンドはどうしたんだよ」


 屋敷の使用人を束ねている老執事のボトンドが不在であることに疑問を持ったエルクラッドが疑問を口にすると、ジャンが答える。


「あー、また持病の腰痛だそうです」


「あ、そ……」


 まあ仕事がうまく回っているのならどうでも良いことだろう。エルクラッドはそう結論付けてその話題を打ち切る。


「ボトンドのことはどうでもいい。それでエルフ族との接触は取れたのか」


「ああ。それと客人が増えた」


 そう言うとエルクラッドはムーンボウに視線を向ける。ムーンボウは小さく頷くと、一歩前に進み出る。


「ムーンボウと言います。里の者たちとは袂を分かった身ですが、呪いをかけた術士と縁があり、この件の行く末を見届けたく――恥を忍んで参りました」


 ムーンボウはそこまで言うと一瞬視線を下に落とす。


「術者はもう亡くなっています。彼の凶行を止めることができなかったこと――大変申し訳なく思います。どうぞわたしたちエルフをお許しください。わたしたちも一枚岩ではなおいのです」


 頭を下げるムーンボウに、アンゼリカの母であるマーシェリーは少し困ったように眉根を下げて微笑み、ムーンボウに言った。


「顔を上げて。あなたがやったわけではないのでしょう。確かにわたくしの娘に呪いが降りかかったことは許せないけれど、それであなたを責めるということはないわ」


「うむ。それに伯爵家としてもエルフ族と事を荒立てたいわけではないのだ。アンゼリカの目が治るのであれば、エルフ族に対して責を問うつもりはない。話を聞く限り、個人の暴走なのだろう?」


 エルグランツがそういうと、エルクラッドがエルフの里で聞き取った経緯を説明する。


「――そんな、夢魔ナイトメアだなんて……」


 クローディアが顔面を蒼白にする。


「わたしたちエルフの間でも恐れられている闇の精霊です。未熟の身ゆえ申し訳ございませんが、呪いによって使役されたものを調伏することは、今のわたしの技量では……」


 ムーンボウが申し訳なさそうに首を横に振る。


「わたくしの竜祈法なら魔物をアンゼリカ様の中から追い出せるかも知れませんわ!」


 シスター・ペトラが鼻息を荒くして言う。そこに厳しい顔で口を挟んだのはウィードだ。


「いや、アンゼリカ嬢の夢の中から夢魔ナイトメアを追い出せたとても、基本的に物理攻撃が通用しない相手だ。俺が持っていた魔剣は国に譲渡したからな……」


夢魔ナイトメアは第五元素――精神エネルギーの集合体だからね。竜祈法にもそう言った存在を討滅する術はあるはずだけど、今回は追い出すという行為自体に危険が伴う。取り憑かれて五年も立っていると、アンゼリカ嬢の精神と癒着している可能性が極めて高い。無理に引き剥がすとアンゼリカ嬢の精神がダメージを負うリスクがあるんだ」


 リュイが冷静に自分の見解を述べる。これが早期に判明していればペトラがウィードの提示する方法で解決できたかも知れない。だが呪いがかかってから時間がかかりすぎているうえ、アンゼリカは心身が形を変えていく二次性徴の時期を夢魔ナイトメアに取り憑かれた状態で過ごした。無理矢理切り離せばアンゼリカの精神に深刻な影響を与えるのは想像に難くない。


 おそらく大司教が治療を施せなかった理由もこうしたことからだろう。大司教バルトロメオが原因を知っていたのか、それとも原因がわかっていてなお隠した理由についてはわからないが。


「じゃあどうやってアンゼリカの目を治すんだよ。お前は何か手立てを見つけた様子だったけど」


 エルクラッドが眉をひそめて問うと、リュイは真剣な顔で頷いた。


「外科手術だよ」


「外科手術ぅ? あれか? ハサミやらナイフやらで切ったり縫ったりする」


「そう。それをアンゼリカ嬢の精神に対して行う」


 言っていることは一見意味不明だが、リュイの顔はいたって真剣だ。


「――具体的には――アンゼリカ嬢の心……夢の中に入って夢魔ナイトメアが癒着していないか確認する。癒着しているならこれを慎重に切り離してから討滅。していないならそのまま討滅」


「夢の中に入る――そんなことが可能なのか」


 リュイの言葉に伯爵が当然の疑問を呈する。


「可能です。夢――厳密には集合的無意識と呼ばれるもので人の潜在意識は繋がっているんです。それを辿ってアンゼリカ嬢の意識の中に入ります」


「それって危なくないのにゃ?」


 レッキ・レックが問うと、リュイは頷いた。


「もちろん危険だよ。一度試したことがあるから間違いなく術式自体も発動する。ただ今の術式では僕一人しかアンゼリカ嬢の意識に飛び込めない。そして夢の中で夢魔ナイトメアに殺されたら僕の意識は消失して二度と目覚めなくなる」


 リュイの説明に全員が沈黙する。


「――なに、心配してくれてるの?」


 リュイは不思議そうに首を傾げる。


「そりゃ、まあ――」


「命懸けってことだにゃ」


 皆が顔を見合わせるとリュイはにこりと笑った。


「――僕は聖職者じゃないから、善意では動かないよ。でも魔術師であり、研究者であり、学者だ。作り上げた術式について効果を検証し、実例を積み上げ、練磨し、最終的には普及を目指すのが役目なんだよ。そのために多少のリスクを負うのは当然のことさ」


 研究のためなら命をもかける。そんなリュイの行動理念は魔術師からすれば当たり前のものだが、魔術師以外には理解できないだろう

 でも価値観や考え方などと言うのは、得てしてそういうようなものだ。だからリュイは理解を求めない。


「――他に方法がないのであれば、君に頼るしかない」


 家長であるエルグランツが絞り出すような声で言う。


「娘を救ってやってほしい」


 伯爵であるエルグランツが、一介の魔術師であるリュイ頭を下げる。


 リュイは穏やかな――しかし真剣な顔で頷き返した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る