第32話 天才にも苦手なことはある

 ヘイジーばあさんの森と違って、エルフ族の領域である森は広大な広さだった。当然道らしきものはなく、良くて獣道、最悪茂みをかき分けて行くことになる。エルフ族は肉を取らないし、農業もしない。採集によって食を賄っている。そのように書物には記されているが、それはあながち間違いではないのかも知れない。


 実際、自然信仰――霊教を崇める者たちにはそういう生活を送っている者がいるのだという。口にするのは必要最低限の水と食料だけ。後はただひたすら瞑想をして過ごす。彼らは霞を食べているのだと実しやかに囁かれることもある。


 ――実際その瞑想だかが魔法の領域に到達すれば、そのようなことも可能かも知れない。だがリュイはそう言った非論理的な方法論を好まない。できるにしてもより効率のよいやり方があるはずだ――。


 以上、リュイ・アールマーの現実逃避である。


 常日頃研究室や書斎に籠りがちなリュイは――慢性的運動不足だった。


 そもそもリュイは運動音痴で体を動かすことを敬遠しがちだったこともある。一時間もしないうちにぜえぜえと息を切らし始めていた。


「リュイお前……大丈夫か?」


 少し前を歩くエルクラッドが、気づかわしげに問う。


「――だ、大丈夫さ。こ、このくらいのことは……覚悟してきたんだから……」


 天才とて苦手なことはある――。それでも必死に食い下がっているのは意地とプライドのなせる技か。


「ふっ、ふがふがふふふがふがふふふこの程度で音を上げるとはふがふふふふがふがふががふがふふんふ魔術師も大したことはありませんね!」


 満を持してムーンボウに続くのは、足の生えたずだ袋シスター・ペトラである。やはり体力には自信があるらしい。いやこの場合は体力と言うか、こんな状態で転ぶ様子も見せない平衡感覚の方だろうか。猫獣人もびっくりである。


 ちなみに先頭を歩くムーンボウは、ちらちらとずだ袋シスター・ペトラを見ては何か言いたそうな顔をしていた。しかし一同は何も言いたくないのか言えないのか、ただ首を横に振るだけであった。


 世の中、気にするだけ無駄という事象が少なからず存在するのだ。


に同意するわけじゃないけど、リュイは少し鍛えた方がいいにゃ」


 レッキ・レックが少し呆れた様子で言う。農村で育ち狩りもしていた彼にとって、肉体労働は生活から切り離せないものだ。都市部で育ったリュイの事情は理解し難いものだろう。


「――検討、する」


 はっきりやると言わないあたり、リュイ・アールマーの運動嫌いは筋金入りのようだ。


「ねえ、あなた達はどうしてあの――なんていえばいいのかしら――の言っていることがわかるの?」


 先頭を歩くムーンボウがふと疑問を呈した。


 一同は顔を見合わせた。


 ――シスター・ペトラと心が通じ合っている……。


 それを指摘された男性陣は一斉に顔をしかめた。


「……考えただけで背中に怖気が走る。恐ろしいことを口走るんじゃない」


「心底どーでもいいから考えたことなかったにゃ」


「うーん、フィーリングか? が言いそうなことなんて大体予想つくしな」


「でも確かに――これだけで論文が一つ書けそうだね」


ふがふふがふふがふふがふふふがっふがふ七大神龍のご加護に決まっています!」


 それぞれに好き勝手なことを言う。発言はウィード、レッキ・レック、エルクラッド、リュイ、ずだ袋シスター・ペトラの順だ。


「やっぱり人族は変ね」


「おいらたちからすれば百年単位のながーい人生を森に籠って暮らしてるエルフの方がよっぽど変にゃ。何を楽しみに生きてるにゃ?」


 口を尖らせたレッキ・レックの反論にムーンボウは肩を竦めた。


「そりゃ退屈で死にそうよ。わたしだって出られるものなら森から出て世界中を冒険してみたい。でもこの国じゃエルフは嫌われ者だし、何より長様の許しが出ないんだもの」


「ぜえ、ぜえ――それでちょこちょこ獣人族の村を覗き見してたの?」


 息を切らしながらリュイが言うと、ムーンボウは途端に気まずそうに目を逸らした。


「いやだ、見られてたの? 確かにここ最近こっそり抜け出して森の外に出てたわ……でもそれだけ。旅に出ようなんて気にはならなかった――というかわたしたちって森の外のことを知らなすぎるから――どうしても勇気が出なくて。長様が許してくれないなんて言い訳なのよね……そんなに気にせず飛び出して行けばいいんだから」


 ムーンボウがそういうと、リュイが相変わらず息も絶え絶えと言った様子で、それでもにこりと笑いかける。


「ぜえっ――知らないなら、はあっ――これから知ればいいんだよ。その一線を飛び越えたら――ぜえっ、君の世界はもっと広がる」


 リュイの言葉にエルクラッドは頷く。


「そうだな……俺たちもエルフのことを知らなすぎるし。街に来るなら伯爵家としては歓迎するぞ」


「勝手にそんなこと言っていいにゃ?」


「――親父もおんなじこと言うよ。……多分だけど」


 長年培われた自己肯定感の低さはそう簡単に覆らないらしい。結局エルクラッドは自信なさげだ。


「ふふっ――じゃあその時は頼りにさせてもらうわ。さあ、里はもう少しよ」


 何か吹っ切れたのかムーンボウは笑顔を浮かべると、息を切らせているリュイに発破をかけた。

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