第30話 エルフの森

 レッキ・レックの生まれ故郷――名前がなかったのでエルクラッドが『レッキ村』と名付けた――からは、徒歩で森に向かうことになった。馬車を係留して置く場所がないからだ。森の間近ともなると野獣や魔物が出現する蓋然性も上がる。


 エルフが支配する森。獣人族は時折狩りのためにエルフ族の目を盗んで忍び込んでいるようだが、基本的には人の手の入っていない鬱蒼とした森である。


 その森の前に仁王立ちするのはなんとも珍妙な――見たままを言い表すと、二つ穴の開いたずだ袋から女の生足が生えている――。そんな物体であった。


「ふふふ――ふがふふふふがふふがふがふここが邪教徒の住まう森ですね


 エルフ族の森に侵入するにあたって、事前に慎重な話し合いがもたれた。レンジャーを職能とするレッキ・レックを先頭とするのが定石だが、彼はまだ経験が不足している。それにエルフ族がどのような魔法を行使してくるかもわからない。


 そこで一同は妙案を思いついた。


 殺しても死ななそうな奴を先頭に立たせて壁にするという手法である。


 レディ・ファースト。そう、これはレディ・ファーストである。ずだ袋の中身シスター・ペトラ淑女レディと呼んでいいかどうかは別問題として。


 ともかくである。


「ひとまず妙な術がかかっていないか探るよ」


 リュイがケープの中から音叉を取り出した。リュイは銀製の音叉を鳴らすと、澄み渡った音色が辺りに響き渡る。虚空に響き渡る音色に乱れはない。

「とりあえず森の浅いところに結界の類はかかってなさそうだけど――油断しないでね。エルフ族の使う魔法については精霊を使役するということ以外わかってないことが多いから」


「俺が一時期一緒に旅したエルフも弓使いだったからな。魔法の使い手ではなかった」


 リュイの忠告を、ウィードがそう引き継ぐ。


「そもそも精霊って何にゃ?」


 レッキ・レックが首を捻る。


「自然界には五つの元素があるって言われてる。火風水土、そして魂や心を司るという第五元素だね。これらの元素濃度が密度を増した際に精霊は発生すると言われている。精霊に自我があるかどうかは判然としないけど、エルフ族――霊教を奉ずる人たちは自我があると解釈しているみたいだね」


 リュイはそのように解説する。精霊については未だにわかっていないことが多い。魔術への利用法が提起されておらず、興味を持つ魔術師が少ないというところが大きい。


「詳しいことはわかってないんだけど、エルフ族はこの精霊と『契約』を交わして魔法を行使するらしいね。魔術で言うところの使い魔ファミリアーに近いかも知れない」


 そこまで解説をして、リュイは肩を竦めた。


「ま、原理も効能もわからないものについて語っても仕方ないさ。対策の打ちようがない。まずはエルフたちと接触を取らないとね」


「そうだな。とりあえず森に入るか」


 リュイの言葉に、エルクラッドが頷く。

ふががふところでふがががふがががわたくしの扱いふんがふふがふふふうふあんまりじゃないでしょうか


 ずだ袋シスター・ペトラの言葉に、全員が顔を見合わせる。


 そしてこう答えた。


「「「「日頃の行い」」」」


 その答えを受けたずだ袋シスター・ペトラは、


「――ふんふがふふふまあいいでしょう、|ふがふががふがふんふがふふふふふうふがふうがふふふん《この姿も仮面の怪傑のようで悪くありません》」


 そう返すのであった。


 いいんだ……と、その場にいた全員が思った。ずだ袋シスター・ペトラの思考回路はエルフ族の使う魔法以上に不可解な点が多い。


 ――ともすれば今後この恰好をした謎の修道女(笑)が街で大暴れすることになるのだろうか。怖い。普通に怖い。


「ともかく森に入ろう」


 そう言いながらエルクラッドがずだ袋シスター・ペトラの背中を押す。


「人の手が入ってない森だから獣道くらいしかないにゃ。転ばないように気をつけるにゃ。何かするとエルフがやかましいからにゃ」


喋るずだ袋シスター・ペトラのやや後ろに立つレッキ・レックが、後ろを振り返って注意喚起する。


「一応軟膏とかも用意はして来たけど――まあシスター・ペトラがいるし傷の治療とかは大丈夫かな」


 リュイがそう言うと、ずだ袋シスター・ペトラが急にもじもじし始めた。


ふがふふわたくし、ふがふふふふふがふがふふ《治癒の術は不得手でして》――ふがんふふががふふふうがふふ《加減が利かないといいますか》、ふがふふっふんふがふふがふふふがふふがふふふ《腕が一本余計に生えてきたりするのです》」


 ずだ袋シスター・ペトラの申告に、その場が沈黙する。


「こいつ怖すぎないか?」


「控え目に言って歩く災厄だにゃ」


「早めに処分した方がいいよね」


「……地下牢に閉じ込めても勝手に抜け出してくるらしいぞ」


「ぷう」


 他四名と一匹がひそひそとそんな会話を交わす。


ふがふふふふふんふんふがふふふ陰口とは感心しませんね、|ふうがふふがふふがふふふふっがふふっがふふがふふ《言いたいことがあるならはっきり言ったらどうです》?」


 ずだ袋シスター・ペトラの言葉に全員が声を揃えて言った。


「「「「せっかくだから事故に見せかけて始末したい」」」」


ふんがふふふがふなんという邪悪……」


ずだ袋シスター・ペトラは憤慨している様子だが、日頃の行いが行いだけに仕方がない。


「ほら、早く行くぞ」


 エルクラッドが再びずだ袋シスター・ペトラの背中を押す。


 腹を括ったのか生足魅惑のずだ袋シスター・ペトラはずんずんと進み始める。


 人の手が入っていない森は非常に足元が悪い。――にも関わらずあの状態で転ぶどころかふらつく様子すらないのはどういう仕組みになっているのだろうか。この様子を他の人間に見られていたら新種の魔物と勘違いされるかも知れない。


 エルフより目の前の生命体が怖い。そんな調子でしばらく進むと、レッキ・レックの耳がぴくりと動いた。


「――止まるにゃ。何かの気配がするにゃ」


 声を低く抑えて一同を制止させると、レッキ・レックは鼻をひくひくとさせる。


「獣――ではないにゃ。人間――エルフ族だと思うにゃ」


 レッキ・レックの言葉に全員が身構える。


「ぷう!」


 リュイの肩に乗ったパッフが場違いに呑気な声を上げた。


「――パッフが警戒していない。少なくとも敵意はなさそうだよ」


 リュイがそう告げると、ウィードも同意するように頷く。


「そうだな。俺はレッキほど知覚に優れていないが――確かに敵意は感じない」


「というわけで隠れても無駄だにゃ。姿を現すにゃ」


 レッキ・レックが声を上げる。するとがさと木の葉が擦れる音が聞こえる。こうなればその場にいる全員が『誰かいる』と認識できた。


 見通しの悪い森の中、ヒトの気配が近づいてくる。


 視認できる距離まで近づいた時、姿を明らかにしたのはヤーガ・レックが炎の中に知らしめしたエルフの少女だった。

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