第29話 猫神の神託

「――猫神様に問うて見るとしよう」


 ヤーガ・レックはそう言うと杖を突いて大儀そうに立ち上がった。


「ヨッキ、マオ。支度を」


「はい」


 ヤーガ・レックはこれまでとは違う凛とした声で言うと、レッキ・レックの父母はそれぞれ室内に散って支度を始める。ヨッキ・レックは火を起こし、マオ・レックは何かの骨と香草らしきものを持って来た。


 ヤーガ・レックはこれまでのいかにも人好きのする老婆から、村をまとめる長、あるいは祖霊と向き合う巫覡としての威厳に満ちたシャーマンの姿に変わっていた。


 マオ・レックから骨と香草を受け取ったヤーガ・レックは、火の中にそっとそれらを投げ込んでいく。骨が焼け、ひび割れて行く音がぴしり、ぴしりと静まり返った部屋の中に響き渡る。


 香草は様々な匂いが入り混じって、薬草学に通じたリュイでも詳細の判別がつかない。が、恐らくシャーマンがトランス状態に入るための助けになる作用があるものとリュイは判断する。


 ヤーガ・レックは手を合わせ、静かに、深く呼吸をする。


『我が問いに答えよ、我らが始祖。瞳は闇を射抜き、爪は影を引き裂き、足取りは夜を駆ける。汝が血を引継ぎし者が問う――、汝が血を引継ぎし者が乞う――、我が身に下れ、我が身に下れ、黄昏を仰ぐ者、朔月の使者、偉大なる祖霊、天空と大地の智慧よ――』


 ヤーガ・レックは王国の共通語ではなく、獣人独自の言語で祖霊たる猫の霊魂に向けて語り掛ける。


 静寂が数秒続いた後、炎が一際強く燃え上がる。炎はまるで生き物のように渦を巻く。


 中空で渦巻いた炎の中に、像が浮かび上がる――。


 それは長い金髪をなびかせ、弓を手にした若いエルフの少女だ。菫色の瞳は何かを強く睨み付けている。その視線の先に何を見ているのかはわからない。


 像が浮かんだのは数十秒のこと。中空に浮かんだエルフの少女の姿は炎と共に消えた。


「今のは――なんだ?」


 エルクラッドが問うと、


「ふむ。あの少女が運命を握っておるのじゃろう。――しかしエルフではあるが、悪しき者にも思えぬのう」


 ヤーガ・レックはそう答えた。その言葉をヨッキ・レックが引き継ぐ。


「このエルフの娘、どこかで見たことが――」


「ねえあんた。時折あたしらの様子を窺っている――あの娘じゃない?」


 レッキ・レックの父母はそう言って顔を見合わせる。


「エルフが人里近くまで現れるのか?」


 エルクラッドが訝しげに問う。エルフは基本的に森の中から出てくることがない。当然の疑問とも言える。


「え、ええ。特になにかしてくるというわけではないんですけど」


「こちらの様子をしばらく観察して、気づけば姿を消しとるんです」


 レッキ・レックの父母がそのように説明する。


「おいらが村にいた時はそんなエルフいなかったにゃ」


 エルフ族は森の中から出てくることはほとんどない。彼らは森の中で自給自足の暮らしを送っている。エルフ族はエルフ族の社会で完結しており、外との繋がりがないのだ。


「王都の大図書館にもエルフ族については資料があまりないんですよね」


 リュイが顎に手を当てて考え込む。


「エルフは百年単位で生きる連中だ。森での暮らしに飽きて放浪する輩もいる。――若い娘ならその類ではないのか?」


 自分の経験から意見を述べたのはウィードだ。


「俺がドラゴンに挑んだ時もエルフの弓使いが一緒にいた。まあ――ドラゴンの吐息で灰になったが」


 さらりと重いウィードの発言に一瞬、その場に沈黙が下りる。


 が、エルクラッドが気を取り直して口を開く。


「確かに森で百年とか二百年とか娯楽もなく過ごしてたら退屈にもなるよなあ」


 エルクラッドのその言葉にレッキ・レックがこくこくと首を縦に振って追従する。


「エルフ族も若い衆は似たようなものなのかのう」


 ヤーガ・レックがそう意見を述べる。


「暮らしぶりや宗教によって価値観は当然変わるでしょうが、根本的に『人間』というところは変わりませんしね。寿命の長い種族であればなおさら――森での暮らしは退屈なのかも知れません。その上で獣人族の苦しい暮らしぶりを見れば――思うところもあるでしょうね」


 リュイの見解に、レッキ・レックの父母が顔を見合わせている。この二人もエルフ族に対していい感情を抱いていない。――同じ人間だと思っていないのはお互い様だということに、リュイの言葉で気づいたのだろう。


「この少女と――そこの魔術師殿に強いえにしがあると猫神様は告げておいでじゃ」


 ヤーガ・レックはそう言った。全員の視線がリュイに集中する。


「ええと、それは僕がチェンジリング半分エルフだからでしょうか?」


 リュイが首を傾げると、ヤーガ・レックは首を横に振った。


「それはわからぬの。猫神様は他の祖霊様と違ってあまり多くを語らぬゆえな。しかしエルフ族に伯爵様のご息女の病の因果があるとの見込みは、慧眼であると思うぞ」


 ヤーガ・レックはそこまで言うと、体力を消耗したのかまた椅子に腰かけた。


「今日はこの村にお泊りください。大したおもてなしもできませんが――」


「気を使わずとも良い。こちらでも食糧を用意してきている。余った分は備蓄に回すと良い」


 エルクラッドがそういうと、レッキ・レックの父母は平伏しそうなほど頭を下げた。


「それはなんと……ありがたいことでございます」


「この村は生活が苦しく――野菜も満足に育たないものですから」


「他に困ったことがあれば教えてほしい。私から父上に陳情しよう」


 この村には宿屋がなかったので、今日はレッキ・レックの実家に泊まることになった。十分に英気を養って、エルフの里には明日向かうことにする。

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