第25話 出立前夜

 リュイが研究室から出てきたのは夕刻を回ってからだった。


「あれ、ウィードさん。魔術師ギルドに何かご用件でも?」


 階段を下りてきたリュイは、待合室のソファーにウィードが座っているのを見て目を見開いた。ウィードの膝の上にはパッフとレッキ・レックがすやすや寝息を立てている。


 ――意外にもほどがある光景ではあるが。


 とりあえずリュイはそれについては触れないことにした。


「お前の護衛に来た。トワール伯爵からの指示でな」


 それから足元にあるズダ袋をげしと蹴って、


「まあ余計なのも一つくっついて来たんだが」


 ……それについてもリュイは触れないことにした。


「護衛っていうと聖竜教会の『影』絡みですか」


「察しがいいな」


「彼らがこんな田舎町まで手を伸ばしますかね?」


「さあな。だが伯爵殿はあり得ると判断したんだろう」


 口ぶりからするとウィードはある程度の事情を聞いているようだ。それなら話は早い。


「それならそれで丁度良かった。アンゼリカ嬢の件に関しては文献だけじゃどうにもならないと思ってるんですよね」


 リュイは置いてあった水差しを手に取ると、木製のジョッキに水を注いだ。ソファは埋まっていて座るスペースがないが、作業のためずっと座りっ放しだったから立っているくらいが丁度いい。


 リュイは壁に寄りかかって水を一口飲み下すと本題を切り出す。


現地調査フィールドワークが必要なんですよ“隻腕の”ウィードさん。どうもアン

ゼリカ嬢の目の病には、エルフ族が関わっていそうで」


「エルフ族が? それはちょっと……穏やかじゃあないな」


 ウィードがパッフを撫でながら眉をひそめる。


 それほど珍しいことではないが、トワール伯領ではエルフ族と人族の仲が悪い。エルグランツの尽力によって相互不干渉を取り付けはしたものの、今も火種は燻っている。


「この辺りのエルフ族とは相互不干渉の誓約が結ばれているはずですよね」


「ああ、魔法的な契約が交わされているはずだ。破ったら相応のペナルティがかかるはずだが」


「契約内容を見たのですが、ざっくばらんに言うと『トワール伯領内にてエルフ族と他の領民が互いに危害を加える事を禁ず』という内容でした。これは大きな落とし穴があります」


 リュイは「絵筆、クレヨン、幻灯篭」と呪文を唱えてワンドを振る。すると空中にトワール伯爵領周辺の地図が浮かび上がった。


 ミリュール川が中央やや北を横断し、ランサ・トワール街道が河を挟んで領地を縦断している。リュヴェルトワールやそのたの街や村は街道沿いを中心に点在している。エルフが住まう森林は南東、領地の三分の一ほどを占めている。森林は、トワール伯領の外まで、かなり広範に拡がっている。


「この地図を見ればわかるんですけど、この契約には一つ大きな穴があるんですよ」


 ウィードは地図を見て少し考え込んでいたが――。


「森か。領地の境を超えて――」


「そうです。そこで何らかの術をアンゼリカ嬢、あるいはトワール伯爵家自体に仕掛けた。契約はあくまで『トワール伯領内』でのこと。領地の外でやったことであれば、引っかかりません」


「なるほどな。しかし本当にエルフがやったのか?」


「それを調べるためにエルフの里に行く必要があるんです。五年前のことでも魔力の痕跡が残っているかも知れません。それに――」


 リュイはにこりと微笑んだ。


「いざとなったら僕の魔術で記憶をほじくり返すまでです」


「そんなことをしたらこちらも契約を破ることにならないか?」


「ええ、それなんですけど」


 リュイは唇の端を上げて声を潜めた。


「僕、まだトワール伯領の領民ではないんです。居住地変更の手続きが滞っていて、書類上は王都グラン・エルの住人なんですよ。実は」


 なるほど――確かにそれなら契約を破ったことにはならない。やり口はセコいが。


「他には根無し草の冒険者なんかは転居手続きをとってない場合も多いでしょうね。まあこの辺りだと外からくる冒険者はほぼいないでしょうから勘定に入れてませんが――ウィードさんはどうですか?」


「そういえば手続きはしていないな。俺もトワール伯爵領の住人にはなっていないはずだ」


「猶更好都合ですね。レッキたちの武器もできたし、シャルロタさんには根回し済みだし。明日にでも出立しましょうか」


 レッキ・レック達の武器と聞いて、ウィードは興味がわいてきた。炎や電撃、氷を纏う剣などをよく見かけるが、第五元素を利用した武器というのはかなり珍しい。


「武器に魔術効果を固着させたのか? 具体的には?」


「ええと、まずレッキ・レックの武器ですね。ナイフが二本とショートボウです。ナイフは片方が傷を負わせた際の痛覚を倍増させる術を、もう片方には眠りの術を固着させてます。ショートボウには動体視力の強化ですね」


「地味だが便利そうだな。他にもあるのか?」


「エルクには銃を用意したかったんですがまだ早いので――護身用の細剣を。反応速度と動体視力を強化する術を二重でかけています」


「二重に術を固着させたのか。売りに出せば相当な額になるんじゃないか?」


「第五元素の術自体が認知されてないんで、買い手は付き辛いでしょうね。大量生産もできない一点物になります。それに、どうしても派手な物が好まれがちですから」


 そう言ってリュイは少し残念そうな顔をする。商売っ気が出ているのはやはり商家の子息だからだろう。


「――いや、ちょっと待て。エルクってエルクラッドの坊ちゃんか。あいつも来るのか?」


「妹君が関わってることですからね。それにエルフ族との交渉となると伯爵の名代となれる人間は必要でしょう。本人の意思ですよ」


 リュイが肩を竦めてそういうと、ウィードはため息をついた。


「まあそれはそうだが――大丈夫なのか? あの森はそれなりに強い魔物が出るはずだぞ」


「それを大丈夫にするのがウィードさんの仕事でしょ?」


 リュイはにこにこと微笑んでいる。食えない奴だなとウィードは思った。


「伯爵はこのことを知っているのか?」


「ええ、書状でお知らせしてます。エルクがちゃんとお父上に報告してるかは知りませんけど。ま、そこは親子のことなので」


 そこまで言って、リュイはウィードの膝の上に視線を落とす。ほんの少し沈黙してから、再び口を開いて問うた。


「動物、お好きなんです?」


 この質問に、ウィードは黙秘を通した。

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