第23話 聖職者にも色々あって
バラージュは冷や汗をかいていた。
(最悪だ……最悪の事態だ)
バラージュは聖竜教会の司祭として領主エルグランツ・ル・トワールと応接室で向かい合っている。
領主自ら聖堂を訪れるというだけでもそれなりに大事なのだ。だが最悪なのはその用件で、大司教が施したアンゼリカ伯爵令嬢への治療について詳細を尋ねに来たということだ。
五年前――当時のバラージュはまだ侍祭としてここにいたが、事情はよく知っている。たからこそ「最悪」なのだ。トワール伯爵に事の経緯を知られれば教会の信用は地に落ちる。かと言って黙っていても信用は地に落ちる。
完全に詰みだ。
「ロイド司祭。貴殿の立場は理解しているつもりだ。上層部との関係もあれば明かせぬこともあろう。しかしこちらも娘の人生に関わることだ。口外はせぬと七大神龍に誓ってもよい。どうか事情を話してはくれんか」
七大神龍。
聖竜教会の教えでは、この世界――『グラン・ドラゴニア』を管理している最強のドラゴンたちだ。
曰く――。
天龍ラス・グロールは時の巡りと天体を含めた天界を管理する。
火龍ボル・ランガは戦いと炎を管理する。
海龍マ・イローネ河川や海を管理する。
地龍ディ・ロッカは大地と実りを管理する。
嵐龍ハリ・ザウルサは天候を管理する。
智龍エル・リウラは知識と法を管理する。
冥龍ナ・ギルギックは死者と冥府を管理する。
聖竜教会では天龍ラス・グロールが七大神龍の中核的存在であり、もっとも偉大なドラゴンであると解釈している。
いずれにしても、七大神龍は世界の行く末を左右する強大な存在である。そんな存在に誓った約定を破ったとなれば、天罰として災いが降りかかることは避けられない。それが聖竜教徒の考え方なのだ。
領主自らそのような誓いを立てられて、それでもだんまりを決め込むとあれば――事実を知られる以上に信用を損なうだろう。聖竜教会への信用だけでなく、バラージュ個人の信用もだ。
バラージュは腹を括った。信用云々の話だけではない。聖職者として誠実でありたいという思いもあった。そして静かに口を開く。
「――大司教バルトロメオ様がアンゼリカ嬢に対して解呪の施術を試みたこと、これ自体は事実です」
「では、アンゼリカの目が病ではなく呪いの類であることを大司教殿は知っておられたのか? その上で我らに黙っておったのか?」
「ええ、上層部でどのような判断が行われたのか末端の私にはわかりかねますが、憑き物であるところまでは特定していたようです。ですが大司教殿は憑き物を払うことができなかったと――」
バラージュの言葉を聞いてエルグランツは唸る。これは一概に教会側を責められない。憑き物に呪われた家だと知られれば、全ての婚姻が白紙に戻り、貴族社会から爪弾きにされかねないのだ。大司教側としても解呪ができないとなれば信用を失う。
そういう意味では利害が一致しているのだ。
「だがリュイ・アールマーはアンゼリカの目を治療する算段を立てているだろう。大司教にできなかったことがたかだか十六歳の少年にできるとは思えんが、もしアンゼリカが視力を取り戻したら――」
「教会の面子は丸つぶれですね。もしこの動きを悟られれば教会の『影』が妨害に入ってくるかもしれません。リュイさんならそれくらい察しているかも知れませんが――」
教会には自分たちに都合の悪い存在や事実をもみ消す諜報組織がある。バラージュも詳細は知らないが、噂は数多く耳にしていた。それは脅しも含まれているのかも知れないが、警戒するに越したことはないだろう。
「あの少年は教会の『影』に対処できるのか?」
「――わかりませんが何がしかの対策は用意しているのではないでしょうか。魔術師というのはそういうものでしょう」
バラージュはふむと鼻を鳴らして考え込む。今頃リュイは憑き物を祓う算段を立てているところだろう。エルグランツとしては教会の面子などどうでもいい。家族の平穏が第一だ。リュイがアンゼリカの視力を取り戻してくれるというのなら、これほど喜ばしいことはない。
教会が『影』を動かす可能性があるというのなら、エルグランツもそれに対抗し得る一手を打つしかない。
「よし。“隻腕の”ウィードをリュイ・アールマーの護衛に付けよう。あの男なら教会の影にも対処できるはずだ」
“隻腕の”ウィードは日頃特に冒険者としての仕事をしていない。それで生活が成り立っているのは伯爵家の予備兵力――要は傭兵として雇われているからだ。教会の『影』がどの程度強いかはわからないが、伯爵家が動かせる人間の中で、彼が一番強い。
「こちらもシスター・ペトラを彼の護衛に付けます。性格に問題はありますが――まあ強いは強いので」
バラージュはそう請け負った。シスター・ペトラは納得しないだろうが、なんとしても納得してもらう。もし教会の『影』に遭遇したとしたのなら、彼女が現実を知るいい機会になるだろう。
こうして当人たちの知らないところで話が進んでいくのであった。
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