第19話 アンゼリカ・ル・トワール
「……。旦那様、奥様、わたしは反対です」
そんな声を上げたのは思わぬ人物だった。
先ほどから給仕をしていたメイドである。
「大司教様がご覧になっても原因がわからなかったのですよ。それを魔術師だなんて得体の知れない、しかもこんな子供にどうにかできるはずありませんわ」
「リュセット、言葉が過ぎますよ」
若いメイドはリュセットと言うらしい。リュセットの言い様をマーシェリーが嗜める。主人たちが客人を迎えている場で使用人が口を挟むのは手打ちにされても文句は言えない行いだ。
「いいえ今度ばかりは申し上げさせていただきます! わたしはアンゼリカお嬢様が視力を喪った八年前からお側に仕えさせておりました。魔術師といういかがわしい、しかも殿方にお嬢様の大切なお体を調べさせるだなんてわたしの矜持が許しません! ええ! そんなことを許すくらいならこの場で斬っていただいても構いませんわ!」
そう熱弁するリュセットに冷や水を浴びせたのは、意外な人物だった。
「わたしのことならどうだっていいわ、リュセット」
そう、当のアンゼリカである。
「どうせ治りっこないもの。それでもう三年もすればわたしも成年するわ。目の見えない娘なんて嫁の貰い手なんてないからきっと修道院に入ることになるのよ。だからどうだっていいの」
アンゼリカが淡々と言う。その瞳には何も映らないはずだが、自分の未来が明るいものでないことははっきりと見通しているのだろう。
「アンゼリカ様……」
リュセットが悲しそうな顔で肩を落とす。
「ねえ魔術師さん。わたしの体を調べたいというのならお好きになさるといいわ。どうせ目の見えない女ですもの、何をされたってわかりはしません」
その場を重い空気が包む。五年前、視力を喪ってから家族はアンゼリカのことを腫物のように扱ってきた。いや、それどころかまともに言葉を交わすことも少なくなっていた。アンゼリカは部屋に籠り切りだったし、アンゼリカの未来は暗かった。目の見えない娘を嫁に取ろうとする貴族はそういないだろう。いたとしても真っ当な扱いは受けられない可能性が高い。
それを考えれば、修道院に入るというのは極めて現実的な話ではあった。
重い沈黙を破ったのは、これもまた意外な人物だった。
「――アンゼリカ、今の発言を撤回しろ」
低い声で言ったのはアンゼリカの兄であるエルクラッドだ。
「発言を撤回し俺の友人への非礼を詫びろ」
「嫌です」
アンゼリカが突き放すように言うと、間髪入れずにエルクラッドの平手がアンゼリカの頬を打った。
「ちょっとエルク、手を上げるなんて……」
エルクラッドの思わぬ行動にクローディアがおずおずと口を挟むと、エルクラッドはきっぱりと言った。
「いいや、姉上。アンゼリカにはこれくらいしないとわからないんだ。俺たち家族がどれだけアンゼリカのことを案じているか。だいたい人の好意を無碍にして、あまつさえけだもののように言うだなんて、いくら不幸な境遇でも許されることじゃない」
いつもだらしない兄の毅然とした態度と発言に、アンゼリカは打たれた頬を抑えて呆然としている。
「エルクラッド坊ちゃま。お嬢様によくも手を――」
リュセットがぎりと奥歯をかんでエルクラッドを睨むが、
「リュセット、お前も使用人の分際をわきまえろ! アンゼリカに対する忠義を尽くすのはいい。今のが客人に対してとる態度か!」
そうエルクラッドに一喝されてリュセットは黙るしかなかった。まったく彼の言う通りだからだ。
今までにないエルクラッドの振る舞いに、父親のエルグランツも姉のクローディアも目を丸くしている。
ただ母のマーシェリーだけは落ち着き払っていた。
「エルクはいいお友達に巡り合えたのねえ」
にこにこと微笑みながらそう言ってのける。
「リュイさん、わたくしからもお願いしますわ。我が息子エルクラッドの指導――それから魔術師としての観点でアンゼリカの目を診てやってくださいませ」
そう言って頭を下げた。ふわふわはしているが、その眼差しには強い意志が宿っていた。母親の顔だ。
「かしこまりました。全力を尽くします」
リュイはしっかりと頷いた。
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