第18話 トワール伯爵邸にて

 リュイは住宅街区の外れ、高台にあるトワール伯爵邸に呼び出されていた。


 リュイ自身も領主であるエルグランツと直接話はしたいと思っていたのだ。しかし相手は貴族、リュイは大商人の子息とはいえ平民である。しかもリュヴェルトワールでは聖竜教会の影響力が強く、魔術師ギルドはまだ規模が小さいため貴族に対して自分から面会の希望を申し出るのは憚られたからだ。


 とは言え魔術師ギルドの誘致はトワール伯爵たっての希望で実現したものだ。いずれあちらからお声がかかるだろうとリュイは予想していたので、それほど焦っているわけではなかった。


 実際、こうしてお茶会にお呼ばれしている。


 ――まさか一家全員に囲まれるとは思わなかったが。


 まず当主のエルグランツ。恰幅のいいごくごく普通のおじさんだ。それなりに歴史ある貴族の当主だけあって、それなりの品格はある。


 夫人のマーシェリーもどことなくふわふわした感じはするが、やはり品のある女性だ。


 エルクラッドの姉であるクローディアは母親とは対照的にはきはきしたしっかり者、という印象を受ける。


 エルクラッドも出席している。なんとなくだが、彼は母親に似たのだろうなあという気がした。


 そして最後に末妹のアンゼリカだ。まだ十三だという彼女は母親によく似た美少女で、リュイよりも少し小柄だ。


 そのアンゼリカを肩の上に乗っているパッフが警戒するように見つめている。使い魔ファミリア―の思考や感情は言語化こそされないものの主人に伝わってくる。これはアンゼリカ自身を警戒しているわけではない。アンゼリカのにある何がしかを警戒しているのだ。


「パッフは機嫌が悪いのか?」


 先日魔術師ギルドに来た時、パッフに大歓迎されていたエルクラッドはいぶかし気だ。


「そうみたいだね。たくさん人がいて緊張しているみたい」


 リュイはそう言って無難に躱す。エルクラッドは細かいことを気にしない性分だ。それが幸いして、パッフのことは気づかれずに終わる。


 しかしアンゼリカについてはリュイも違和感を覚えていた。


 アンゼリカは後天的に目の病を患っているのだという。五年前、八歳の頃突然視力を失ったのだそうだ。少なくともリュイはエルクラッドからそう聞いている。エルクラッドも三つ年下の妹のことを彼なりに心配しているらしい。部屋の中に籠って、食事も自室で一人きり。何にも興味を示さず笑顔を見せることもなくなったのだという。


 聖竜教会に所属する聖職者――バラージュ司祭やシスター・ペトラ、王都にいるもっと高位の聖職者にも治癒魔術の施術を依頼したが改善せず、原因もわからないという。


 しかしリュイはアンゼリカを一目見た瞬間、これが傷病の類ではないとわかった。


 魔術師が最初に学ぶこと。それは魔力の流れを見極めることだ。自然界、物体、あるいは生物――それらを構成する元素と流れている魔力を視る。そしてその流れに干渉、事象を変転させる。


 その干渉は魔術師の精神エネルギーによって行われる。だがただ意志を込めるだけでは魔術は安定しない。だから魔術師は術式を組み上げる。術式とはいわば意志のエネルギーを魔力につなげるための数式であり、回路である。その回路を起動――記憶の中から引きずりだすための鍵の役割を果たすのが呪文の詠唱だ。これに決まった定型はなく、それぞれの術者がイメージしやすい単語の羅列である場合が多い。


術式の開発により魔術師は多くの魔術を容易に習得できるようになる。高度なものであればあるほど術式の習得は難しくなるし、それぞれの魔術師は一つの元素しか認識できないので、同じ魔術であっても術式は変わる。


 例えば単純に火を灯すだけの魔術。これは火の元素を認識できる魔術師にとっては簡単なものだが、水の元素を認識する魔術師にとっては習得が困難なものになるのだ。


 さて、話をアンゼリカに戻す。


 魔術師は様々なものの魔力の流れを認識することができる。自然界に漂っているもの、命のない物体に宿っているもの、そして生物、それぞれ異なる。生物に宿っている魔力は、血液が体内を巡るように循環している。傷病など何らかの異常があれば、魔力の流れの滞りとして察知することができるのだ。


 これは集中しなければわからない場合が大半だが、アンゼリカの場合は明確だった。目の周辺にぱっと見てわかるほど明確な魔力の流れの滞りが生じている。ただこれは自然に起こったものでない。集中して観察すると、何者かの意志の楔のようなものが感じ取れるのだ。


 そう、つまり。


 呪いによる攻撃の類である。


「――それで、エルクラッドが魔術師ギルドに金銭的補助をするように行ってきてな。君の差し金かね、リュイ・アールマーくん」


 先日エルクラッドを通して読み書き教室で出す食事の費用のことだろう。これはリュイが言い出したことだが、領主であるエルグランツの説得はエルクラッドに一任している。


「いえ、特に覚えがありませんね」


 エルクラッドの株を上げるためリュイはとぼけた。


「ふむ。まあいい。それで――書状のことだが」


 まあ、一領地を預かる貴族家の当主ともなればこの程度のことは見抜いているだろうが――。


「ああ、ご子息に魔術の素質があるとお伝えしましたっけ、確か」


 ここでもリュイはなんでもないことのようにリュイはとぼける。視界の端でエルクラッドとクローディアがむせている。こういうところは姉弟だなあと思う。


「う、うむ。我が家では魔術師を輩出したことはないのだが――」


「先史時代から魔術自体は存在しました。トワール伯爵家の祖先がどのような家柄であったかまでは存じかねますが、遺伝的形質として引き継がれている可能性はあるかと。伯爵家を含めた各貴族家が魔術師を輩出していないのは、王国の歴史を鑑みればごく自然なことでしょう?」


「それもそうか。論理教へと帰依することが認められるようになったのは確かに最近のことだ。たとえ素質があっても貴族が魔術を習得することなどできるわけがなかった、か」


「そういうことです。魔術の素質を持っていることが判明する年齢については運の要素も多く、王都の養成所に入る年齢もまちまちです。今から訓練を始めても遅いということはありません。問題は御子息がトワール伯爵家の嫡男であるということと、重度の勉強嫌いであるということですね」


「うむ、そうだな――リュイくん、確かに君の懸念通り、このトワール伯爵領では聖竜教が幅を利かせてはいる。だがどうにか新しいものを取り入れていかねば、河港を中心に発展してきたこの土地は先細りだ。エルクの代で論理教へ改宗することも一考の余地はあると考えている」


「え、お父様、本気ですか?」


 クローディアが目を丸くする。保守的だと思っていた父がこんな思い切ったことを言うとは考えもしなかったからだ。


「何も問題はあるまいよ。今時分論理教に鞍替えしている貴族は少なくないし、お前は近く嫁に出て、他家の人間になる。お前の婚約者は王都の人間で、先進的な考えにも触れているだろうしな。そもそも改宗するのはエルクであって、私たちは聖竜教徒のままだ。エルクから続く次代のトワール伯爵家の人間は、論理教徒になるだろうがな」


「まあ、それは確かにそうですが……」


「訓練を始めるなら早い方がいいでしょう。ただ、ご子息のご希望次第かと。僕は導師の立場にありますから、ご子息を魔術師として教導する権限を持っています。ただ、本人にやる気がなければどんな修練も身につきません」


「――だ、そうだが。どうする、エルク?」


 エルグランツがエルクラッドに水を向ける。


 エルクラッドは顎に手を当ててしばし逡巡したあと、


「俺は魔術の修練を受けたい、と思います、父上」


 その言葉を聞いて、エルグランツは深く頷いた。


「ということだ。改宗を公表するには色々と根回しも必要になる。すぐにというわけにはいかないのだが――」


「構いません。僕は実家の後ろ盾もありますし、ギルドには貸しも多いですからなんとか話を通して見せましょう」


 眉間に皺を寄せるエルグランツに、リュイは柔和な笑顔を浮かべて請け負ってみせる。


「とはいえ魔術師と言っても様々です、どんな魔術に対して適正があるかなど、諸々検査の必要があります。それと、ご子息の他にもう一方、僕の方で詳しく検査をさせていただきたい方がこの場にいらっしゃいます」


 リュイがそう切り出すと、一家はそれが誰のことを指しているのか言わずともわかったらしい。


「――アンゼリカ、のことですわね?」


 マーシェリー夫人が言うと、リュイは頷いた。

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