第10話 専属契約
リュヴェルトワールにはヘイジーと名乗るエルフの婆さんが住みついている。
これは正確な表現ではない。ヘイジーが暮らす小さな森はトワール伯爵家がこの地にやってくる前からずっとあった。何せエルフは百年単位で生きるのだ。長く生きている者になれば千年どころか二千年生きているとも言われる。
とにかくトワール伯爵家がリュヴェルトワールという街を築き、街が徐々に広がっていく過程で森が街の中に取り込まれた、というのが正確な事実のようだ。
なぜヘイジーばあさんが一人離れた場所に居を構えたかと言うとそれは至極簡単な理由で、ばあさんは同族であるエルフが大嫌いだからだ。人族のことも好ましくは思っていない様子だが、それ以上にエルフ族を嫌っているのだ。
その理由を尋ねた者はいない。そんな度胸のある者が、こんな田舎街に留まっているはずもないだろう。
何せヘイジーばあさんはとにかく得体の知れない術を使うのだ。
例えば森全体にかかっている結界。これは人族にだけ効果があるらしく、ばあさんの許しなく足を踏み入れると森の中で迷子になり、気づけば外に出ている――という不可思議な代物だ。
逆に言うと人族でなければ出入りすることができる。例えば獣人族がそうだ。
ではリュイのようなハーフエルフはどうなるのか。それはわからない。ハーフエルフ自体が希少で、誰も試しようがなかったからだ。
レッキ・レックもこの森に足を踏み入れたことはない。獣人族は縄張り意識が強い。それが故に他者の――明らかに自分より強い相手の縄張りに足を踏み入れることは躊躇われたからだ。
ともかく、初対面で強烈な印象を与えてくれた魔術師の少年とレッキ・レックは同道することになった。この街に魔術師はいなかったはずだから、来て間もなく勝手がわからないのだろう。
だがギルドで幅を利かせていたあの男を呪文とワンドの一振りで失禁――いや失神させてしまったのには驚いた。魔術師には歯向かわない方がいいと言うのは冒険者の間でもよく言われることだが、それをまざまざと思い知らされた。
しかもウィードの発言からしてこのリュイという少年は通り名持ち。それだけの実力を持つ魔術師であることに間違いはない。
実質指名で依頼を受けたレッキ・レックは正直怖かった。この少年の機嫌を損ねればあの冒険者と同じ目に合わされるに決まっている。
そんなレッキ・レックの内心を知ってか知らずか、リュイはレッキ・レックに気安く話し
かけてくる。
「そんなに怯えないでよ。あのおじさんが幅を利かせてるせいで皆困ってるんだなってピンと来てお灸を据えただけなんだから。君にはあんな攻性魔術かけないよ。――まあ攻性魔術と言っても幻の痛みを与えるだけなんだけどね。それでも最大出力でかければショック死するからかなり手加減したんだよ?」
鼻歌交じりに告げられたリュイの解説に余計に怖くなってきたレッキ・レックである。
「それにしても聖竜教徒の獣人族に対する差別感情は非合理極まりないね。君の祖霊は猫――で合ってるかな?」
リュイは少し先を行きレッキ・レックの顔を覗き込んだ。
「そ、そうにゃ。おいらたちの先祖は猫神様にゃ。本当かどうかはわからないけど――」
レッキ・レックのふさふさした黒髪にはぴょこんと黒い耳があり、猫と同じような尻尾も生えている。金色の瞳には三日月のように細い瞳孔。猫の獣相を持つ獣人たちは、猫を祖霊として崇めているのだ。
「こと信仰において真実がどこにあるかは重要ではないよ。大事なのはそれが日々を過ごすための糧になるか否かだ」
「頭のいい奴の言うことはよくわかんないにゃ」
「レッキにはまずお勉強が必要だね。近く魔術師ギルドで読み書き算術の教室を無料で開くことになってるから来るといいよ。レッキ・レックは生徒第一号だ」
「にゃ? おいらは論理教徒じゃないけどいいのにゃ?」
「智を広めるのが論理教徒の仕事だからね。論理教に帰依しているかは関係ない。人々が知恵を得れば世界はより素晴らしいものになる」
「リュイの言ってることはよくわかんないけど、読み書きができるようになるのはありがたいことにゃ。聖竜教はおいらたち獣人族に読み書きなんて教えてくれないにゃ」
「そうだね。聖竜教のやり方や考え方は非合理的なことが多いし、倫理的に問題がある点も多い。先進的な貴族は教会とバチバチやってるみたいだしね。ここの領主様がどうかは知らないけど」
「ここの領主様は日和見にゃ。でも獣人族のことはそんなに悪く思ってないみたいだから、まだマシな方だにゃ。一応だけど、村も作らせてくれたしにゃ」
「レッキはどうして村から出てきたんだい?」
「出稼ぎにゃ。おいらの村は不作続きで、あんまり多くの人間は養えないにゃ。おいらは狩りの腕には自信があったから冒険者――レンジャーとしてやっていけると思ったんだにゃ。でも現実は厳しいにゃ」
「レンジャーか――それじゃ森歩きとかには自信がある方?」
「もちろんにゃ。エルフの結界でもかかってなければ森の中のことならお任せにゃ。弓もナイフも扱えるし、獲物もざくざく捌けるにゃ? いざとなれば半獣化して魔物とだってやり合えるにゃ!」
そう言ってレッキ・レックは胸を張った。レッキ・レックは子供の頃から村の狩人について森を歩き回っていた。その時にショートボウやナイフを使った戦いについても学び、相応の技術を身に付けている。
「なるほど。猫を祖霊とする獣人なら知覚能力も身のこなしも一級品だろうね。獣人族は人間より秀でた部分も多いのに冷遇するのはまったく非合理的だよ」
「まあ仕方ないにゃ……でも漁師ギルドや狩猟ギルドの上納金が高いのには参るにゃ。うさぎや鳩を狩ったり、釣りなんかができれば仕事がなくても喰うには困らないにゃ」
レッキ・レックの話を聞いて、リュイは少し考え込む。それから一つ頷くとこう切り出した。
「レッキ・レック。僕と専属契約を結ぶ気はない? 魔術には森や野原でとれる薬草類が必要になることもあるんだけど、僕は都市部で育ったから森歩きには慣れてないんだ。それに獣ができた時の対処も専門家がいた方が頼りになる」
「にゃ? おいらでいいのにゃ? ギルドには他にもレンジャーがいるにゃ。そもそもおいらには依頼を受けた実績がほとんどないにゃ」
レッキ・レックは新米冒険者だ。その疑問はもっともである。
「あの惨状を見たら多少経験の差があったってどんぐりの背比べってやつだよ。だったら身体能力や知覚に秀でた獣人族を使うのが一番いい。――契約を結んでくれるなら漁師ギルドや狩猟ギルドへの上納金も肩代わりしてあげるよ」
「む、む。は、話がうますぎるにゃ。何か悪いこと考えてないにゃ?」
「そうだねえ。獣人族が扱う獣化の術にちょっと興味があるんだ。ああ、別に解剖とかどうこうしようってわけじゃないよ? どういう仕組みで術が働いているのかを知りたいだけさ」
それを聞いてレッキ・レックは考え込んだ。獣化の術は祖霊の力を借りるもので、獣人族にとってそれなりに神聖なものだ。その仕組みをリュイは調べたいと言っている。
だがレッキ・レックは現状がかなり逼迫しているのも事実だ。多少の誇りを引き換えにしてでも、この話を受けた方がいいと彼は判断した。
「うーん、まあいいにゃ。でもみだりに使うようなものじゃないから、そこは承知してほしいにゃ」
「うん、無理に行使させたりしないから安心して。じゃあ契約は受け入れてくれるってことでいいのかな」
「もちろんにゃ。話がうますぎて怖いくらいにゃ」
「じゃ、ギルドに戻ったら正式に契約書を作成しよう」
こうしてリュイとレッキ・レックは専属契約を結ぶことになった。ヘイジーばあさんの森へ向かう道中の話である。
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