第9話 天啓の子と食い詰め冒険者

 リュヴェルトワールの冒険者ギルドはお世辞にも賑わっているとは言い難い。


 付近に生息する魔物は弱く、これと言ってダンジョンもない。冒険者に回ってくる依頼と言えば雑用がほとんど。冒険譚で言えば『出発地点の街』、それがリュヴェルトワールの評価である。英雄になることを夢見る若者たちは、ぼろっちい冒険者ギルドのカウンターで身分証明を獲得し、雑用や、簡単な護衛、弱い魔物の駆除などで日銭を稼ぎ、経験を積んで広い世界へ旅立っていくのだ。


 が、もちろんそう言う大志を持たない者たちもいる。


 学も品もなく、冒険者ギルドから回される日雇い仕事で糊口をしのぐしかない連中だ。こういう連中は基本的にずっとリュヴェルトワールにいて、日雇いのつまらない仕事をこなしては酒場でくだを巻いている。当然、ガラも悪いので喧嘩騒ぎは日常茶飯事だ。


 ということで冒険者ギルド近辺は治安が悪くなり、リュヴェルトワールに住んでいる人間はあまり近寄りたがらない。『冒険者ギルドに依頼を出す』おつかいが商売になるくらい、評判が悪いのだ。


 猫獣人のレッキ・レックにも英雄になりたいという大志はない。農家の次男坊に生まれた彼は実家の農地を継ぐことはできない。そのうえ、領主から割り当てられた土地は痩せていて、村はいつでも貧しかった。そこでレッキ・レックは口減らしも兼ねて、昔から得意だった狩りの腕を生かしてリュヴェルトワールに出て、冒険者として街で金を稼ぐことにしたのだ。


 しかし現実は甘くなかった。まず読み書きのできないレッキ・レックは掲示板に張り出されている依頼書を読むことすらできなかった。ギルドの事務員に尋ねても、まるで相手にしてもらえない。


 それはレッキが獣人族だからだ。聖竜教徒たちは多様な獣相を持つ獣人族をけだものに近い、けがらわしく劣った種族として見下している。


 だから獣人族は基本的に人族を避け自分たちだけのコミュニティを作り、身を守っているのだが、ひとたび街に出ると謂われのない差別にさらされることになる。


 それでもリュヴェルトワールはマシな方だ。王都などの大きな都市部では堂々と『獣人族お断り』の看板を掲げた店がいくつもあるのだから。


 とにかくレッキ・レックは金を稼ぐために街に出たというのに、何もできずにいた。なけなしの金も底をつき、宿に泊まることもできず野宿している。狩りや釣りをして飢えをしのごうにも、この街には漁師ギルドと狩猟ギルドが存在し、上納金を納めなければ密猟者としてお縄になってしまう。


 まさに万策尽きたと言わざるを得ない。掲示板に張り出された依頼書を見て、レッキ・レックはため息をついた。口減らしも兼ねてこの街に来たのだ。今更村に戻ることはできない。しかし飢えて死ぬのも御免だ。密猟者になる覚悟もした方がいいかも――。


 そんなことを考えていたら、背後でドアが開く音がした。カランコロンとベルが鳴る。レッキも含め、ギルドにいる全員がドアの方を見る。そこにはどうにもこの場に似つかわしくない人物がいた。


 絹のような金髪、菫色の瞳、よく観察すればわかる少し尖った耳、レッキが見てもわかる明らかに上等な衣服。肩にはふかふかもふもふとした謎の生命体を乗せている。冒険者ではないことは明確だ。しかもこの街では嫌われているエルフ族との混血。そんな少年が堂々とガラの悪い冒険者ギルドに入って来たのだ。注目を集めないはずがない。


 案の定、古株の冒険者がつかつかと少年の方に歩み寄った。そういうことをするからギルドの評判が下がるというのに、懲りない連中だ。――だからこそこんなところでうだつの上がらない暮らしをしているのだろうが。


「よう坊っちゃん、何か用事みてえだが、ここは『耳尖り』の来るような場所じゃねえんだわ。とっとと帰んな」


 スキンヘッド――最近毛がだいぶん心もとなくなってきたので、誤魔化すために剃っている――の冒険者が種族を引き合いに少年に絡む。


 しかし少年は強面でメンチを切ってくる冒険者に、少しも動じることなく小さく頷いて、


「決めた」


 とはっきりした声で言った。


「は? 何を決めたって?」


「おじさんに用事はないし、仮に用事ができたとしても他の人に頼むってこと。邪魔だからそこどいてくれないかな?」


 少年はにこりと微笑んだ。 


 その瞬間、レッキ・レックの背筋をぞくぞくと怖気が走った。


 いけない、この少年は絶対に怒らせてはいけない類の人間だ。獣人族に備わった野生の勘

が警鐘を鳴らしている。こいつに歯向かうなと。


「誰が邪魔だって? チビガキが、叩き出して――」


 冒険者が拳を振り上げた、それと同時に少年はワンドを取り出し――。


「サソリ、毒グモ、スズメバチ」


 奇妙な呪文を唱える。話にだけは聞いたことがある。魔術師だろうか。にしては炎も氷も雷も出てこない。しかし――。


「ぐああああああッ!!」


 突然冒険者が悲鳴を上げてのたうち回り始めた。周囲で見ている者には何が起きたのかまるでわからない。それはレッキ・レックも同様だった。


「痛ェ、痛ェよォ! わ、悪かった! お、俺が悪かったから魔法を解いてくれ!」


 どうやら目に見える何かが起こっているわけではないが、少年の魔法によって冒険者は凄まじい激痛に苛まれているらしい。


 少年はのんびりした様子で床に座ると、ワンドの先でとん、と冒険者の鼻先を叩く。


「ギャアアアアアアッ」


「違う違う、魔法じゃなくて魔術。もう一回言って見て? ま・じゅ・つ、だよ?」


 少年はにこにこと微笑みながら男の様子を観察している。


「解いてくだしゃい! ま、まじゅちゅ解いてくだしゃい! お願いしましゅ!! お願いしましゅうううううッ!!」


「どうしようかなあ」


 その様子を見てレッキ・レックは戦慄した。この少年、天使のような顔をしているが結構なサディストだ。まあそれもこの古株が少年の地雷を踏んだからこそだろうが。


「――その辺にしてやれ」


 ギルド内に静かな――しかしよく通る声が響いた。全員がそちらに注目。長身の大剣を佩いた男。“隻腕の”ウィードだ。


 ウィードの言葉に少年はパチンと指を鳴らす。すると悲鳴をあげてのた打ち回っていた男ががくんと一瞬痙攣し、白目を剥いて失神した。少しばかり不快なにおいとともに、男の周囲に水たまりが広がっていく。ついでに失禁もしたらしい。これでもうこの男がギルドで幅を利かせることはないだろう。――むしろこの街から出ていくかも知れない。


 仲裁に入ったウィードが静かに口を開く。


「冒険者ギルドに用事とは意外だな、“天啓の”リュイ・アールマー」


「うわ、その名前知ってるんだ。さすが歴戦の冒険者は耳聡いね。恥ずかしいから嫌いなんだけど」


「王都に知り合いが居てな。で、エリート魔術師様がクズの掃き溜めにどんなご用事だ?」


 ウィードの辛辣な言い様にリュイは少しも動じることなく答える。


「僕のこと知ってるなら察しは付いているんじゃないの? ヘイジ―ばあさんの森へ案内を頼みたいんだ。条件は一つ、人族でないこと」


 リュイが人差し指をピンと立ててにこりと笑う。


 この場に人族でない者はリュイを除けば一人しかいない。


 全員の目がある一点に集まる。


「お、おいらにゃ?」


 レッキ・レックは酷く動揺した様子で自分の顔を指さした。

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