第8話 残念な若様
「いやだ」
そして翌日の朝食の席にて、魔術師ギルドに向かうよう父親から言いつけられたエルクラッドは一秒も間を置かずにそう答えた。
エルクラッドは母親によく似た端正な顔立ちの青年――いや、未だ少年だ。手足はスラリと長く、順調に成長していけば長身の美青年が出来上がるだろう。
しかし見た目は素晴らしいのだが、エルクラッドは中身の方が残念だった。
貴族の子弟として甘やかされて育ったとか、虐待を受けていたとかそういうわけでもない。本人も努力を怠っていたわけではない。むしろ幼い頃は勉学に様々な稽古にと賢明に打ち込んでいた。
しかしてしかし、何をやっても中の下までしかいかないのがこのエルクラッドという少年の持って生まれた運命であったのだ。努力は尊い。しかし報われるとは限らないのが世の常である。
エルクラッドはその内努力することを放棄し、女とみれば口説いて回る残念な若様に育ったというわけだ。
成功体験を与えるというのは教育上、極めて重要なことである。
とにかくその返答を聞いた伯爵閣下は重々しく口を開いた。
「よいか。エルクラッド、これまではお前が好き放題やっていても何も言わずに来た。何をやっても中の下止まりのお前に伯爵家の嫡子という立場は荷が勝つのであろうと憐憫すら覚えていたのだ」
「憐憫て」
「しかし成人したままお前を好きに遊ばせておくわけにもいかない。まあお前が好き放題していても特に口は出さんが」
「出さないんですか、父上」
「うむ。口は出さんが手は出す。具体的には殴る。グーで」
エルグランツがそう言うと、横で茶を飲んでいた妻のマーシェリーが口を挟んだ。
「あなた、グーはいけません。かわいいエルクの唯一と言っていい取り柄が台無しになったらどうするのです」
「ふうむ、それも一理あるな……ではグーではなくパーにしよう」
夫婦そろってひどい言い様であるが、概ね事実であるのでしょうがない。
「観念してその魔術師さんを手伝ってきなさいな、エルク。優秀な方なんでしょう? あなたも何か得られるものがあるかも知れないじゃない。いくらあなたがポンコツでもいずれは政務に携わらなきゃならないんだから。座学では中の下でも実際の現場ならうまくいくかもしれないじゃないの」
姉のクローディアがそう言ってエルクラッドを嗜める。
「姉上は優秀だから俺の気持ちなんてわからないんだ。その魔術師、王都の養成所を首席で卒業した天才なんだろ? それで顔もよくていいとこの坊ちゃんで……俺みたいなボンクラはもう会話しただけで劣等死してしまうに違いないんだ」
「何よ、劣等死って……」
うなだれるエルクラッドに、クローディアが呆れ顔をする。
「跡継にしたって別に俺じゃなくたっていいだろ? 姉上の婚約者殿に婿入りしてもらえば……」
「何バカなこと言ってるの、あちらもご長男なのよ。しかも侯爵家で格上だし。跡取りがポンコツだから婿入りしてくれませんか、なんて言えると思う?」
エルクラッドの提案をクローディアは眉を吊り上げて却下する。
「じゃあアンゼリカの……」
「エルクラッド」
ついにこの場にいない末妹まで引き合いに出したエルクラッドに家長であるエルグランツが重々しく言った。
「貴族の家名は特例がない限り長男が継ぐものと貴族法で決まっておる。私も過去の判例を調べたが、『ポンコツだから』という理由で長男以外の相続が認められた例はないのだ。納得がいかないならクリストファス判事に尋ねなさい。お前の脳天に木づちが降ってくるだろう」
「やめておきます……」
エルクラッドはついにぐったりとテーブルの上に突っ伏してしまった。
「まあ、はしたないわよエルク」
母のマーシェリーがやんわりと嗜める。
「だって母上~、どうせ魔術師なんてあれだろ? 眼鏡かけてて俺が間抜けなことすると『なんだね君、こんなこともできないのかい』とか鼻で笑って眼鏡くいってしてくるような学者肌の奴らなんだろ……ああ、俺絶対バカにされるよお。最低限の読み書き算術しかできないのに」
「まあエルク、そんな風に偏見でものを言ってはいけませんよ。わたくしが王都でお会いした魔術師の殿方は眼鏡などかけていませんでした」
マーシェリーがエルクラッドの偏見を嗜める。眼鏡の有無が問題なのではないと思われるが、誰も指摘するものはいない。伯爵夫人のずれた言動にいちいちツッコんでいたらキリがないからだ。
「魔術師かあ。王都にはたくさんいるんでしょう? お嫁に行ってうまくやっていけるかしら」
クローディアがほうとため息をついた。クローディアの婚約者はとある侯爵家の長男で、現在王都で官吏として働いている。本来ならクローディアが成人したら結婚する予定だったのだが、先方が多忙を極めているため先延ばしになっているのだ。
「魔術師の価値観について知りたいのなら、論理教について調べるのが早いだろう。何、そう付き合い辛い連中でもない。シスター・ペトラが血に飢えた虎だとしたら魔術師など子猫のようなものだよ」
「怖い方たちでなければ安心ですわね。子猫と聞くとわたしも魔術師さんにお会いしたくなりましたわ、お父様」
「うむ。先方が落ち着いた時機を見計らって屋敷に招くつもりだ。お前も是非同席するといい。アンゼリカも興味を持ってくれればいいのだがな」
クローディアの言葉に、エルグランツは微笑んでそう頷く。
「父上~、やっぱり行かなきゃだめですか?」
一方エルクラッドはまだ駄々をこねている。
「まだ言っているのか……いい加減にしないと来月のお小遣いを減らすぞ!」
「うええ、わかりました! 行きますよ、行きます!」
止めを刺されてエルクラッドはようやく観念した。こういうところが、エルクラッドのポンコツと呼ばれる所以であるのだ。
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