第7話 トワール伯爵の目論見

 領主であるトワール伯爵の屋敷は街全体を見下ろせる小高い丘の上にある。


 二百年近くも昔、初代トワール伯爵がこの近辺を領地として預かってからこの場所に鎮座している――そう、よく言えば趣ある建物だ。


 とは言えこの建物は非常に頑丈に作られており、その長い時間を風雪耐えてきた。言ってみれば聖竜教会の聖堂とならんで、リュヴェルトワールの象徴と言える建物である。


 最初は寒村に過ぎなかったリュヴェルトワールを、河港街にまで仕立て上げたのは初代トワール伯の功績だ。それ以降の領主は可もなく不可もなく、これと言った変化を国内にもたらしていない。悪く言えば凡庸、と言える家系だ。


 だが当代のエルグランツ・ル・トワール伯爵については先見の明がある人物として評価する声もある。


 事の起こりは30年前。エルグランツが十八歳の青二才だったころだ。


 無数の都市国家が乱立していた西方のロジロタ地方が、ロジロタ共和国として団結したのだ。ロジロタ地方北方にあるハリード帝国が領土拡大へ向けた動きを見せ始めたことによる。ロジロタ地方では元も魔術が発達しており、多くの魔導兵器を有していた。


 このため軍事大国であるハリード帝国に抵抗し得るだけの軍事力を有しているのだが、もしロジロタ共和国が攻め落とされたなら、ハリード帝国はエルサス聖王国を攻める足掛かりを得ることになる。早急にロジロタ共和国と同盟を結ぶ必要があった。


 しかし当時のエルサス聖王国は聖竜教を国教と定めており、その他の信仰を表向き禁じていた。対するロジロタ共和国の国民は論理教徒が大半を占めている。そのまま同盟を結んだら両国の間で軋轢が生じるのは間違いない。


 そう判断した当時の若き国王ナザールはすべての国民に対し帰依する信仰の自由を認めることにした。聖竜教会からの反発はもちろんあったが、状況を鑑みれば教会としても引き下がるしかなかったのだろう。このお触れ自体は問題なく発された。辺境に暮らす人族以外の国民には聖竜教以外に帰依している者もあり、これでようやく堂々と日の下を歩けると歓迎されたものである。


 問題はその次だ。ロジロタ共和国はエルサス聖王国が獣人族などを筆頭とした奴隷制度について、非合法な人身売買の手が自国にも及ぶ可能性を危惧し、この制度の撤回を同盟を結ぶにあたっての条件として提示してきたのである。


 そうして発令されたのが30年前の奴隷解放令である。


 これによって奴隷として扱われてきた人族、ドワーフ族、獣人族などは自由を手にしたが、引き換えに奴隷として扱われる対価として最低限与えられていた衣食住も失うことになった。


 解放された奴隷たちの中で職能のある者は下流ながらもどうにか生活を保持できたが、そうでない者は野盗に成り下がるしかなかった。これにより、聖王国の治安は大幅に悪化することになる。


 これはトワール伯領でも同じことだった。そして折の悪いことに、エルグランツの父である当時のトワール伯爵は重い病に臥せっており、まだ若いエルグランツがこの状況を乗り切らなければならなかったのだ。


 結果として言えば、エルグランツはうまくやった、と言える。


 トワール伯爵領内には未開拓の土地がまだ多くあったのだ。エルグランツは解放された奴隷たちをそこに住まわせ、農地にしたのだ。


 しかしこの対処には反動もあった。


 古くからこの地に住まうエルフ族だ。


 エルフたちは急に開拓事業を始めたトワール伯爵に対して、自分たちの領域である森を切り拓くつもりなのではないかと警戒心を強め始めたのだ。


 結果、特にトワール伯爵領南部地域ではエルフ族との衝突が度々起こるようになる。


 これは実に頭の痛い問題だった。野盗に加えてエルフ族まで街道を行き来する人々を襲うようになったのだ。エルグランツは粘り強くエルフ族と交渉を続け、エルグランツは十年近くかけようやく不干渉の調停を結ぶことに成功したが、この一連の経緯がエルフ族と人族の間には深い溝を残すことになる。


 このような経緯があってリュヴェルトワールを始めとするトワール伯爵領の人々はエルフ族を好ましく思っていない。最近は少しマシになってきたが、街道を利用してトワール伯領を通過する者も激減していた。冒険者を誘致しようにも、トワール伯領内にはダンジョンもなければ強い魔物も出現しない。中心都市であるリュヴェルトワールも含め、トワール伯領からは人が流出し続けているのが現状だ。


 たればこそ、エルグランツは魔術師ギルドを誘致した。屋敷では魔導具を活用しているが、領内のほとんどで魔道具が流通していない。品薄であることももちろんだが、その利便性が認知されていないからだ。魔導具が流通し、便利な街になれば人も少しは戻ってこないだろうか――それがエルグランツの皮算用である。


 しかし魔術師ギルドの誘致は難航した。まず聖王国には魔術師自体数が少ない。そのためどうにか建物を貸し出し、形ばかり支部の設立までこぎつけはしたものの、肝心の魔術師の派遣が決定するまで実に二年近くかかった。


 今のエルグランツはもう五十路も間近の壮年になった。


 トワール伯爵領にこれと言った名物はないが、食事だけは美味い。新鮮な乳製品、肉、魚、果実に木の実、穀物に至るまですべて最上の出来と自負している。これも自分が農地開拓に励んだ結果だ。でっぷり大きく太くなった腹回りが何よりの証拠である。


 執務に一区切りつけたエルグランツは、椅子から立ち上がり窓からリュヴェルトワールの街並みを見下ろす。決して風光明媚とは言い難いが、今はまだ河港で活発に働いている人々の様子が見える。


 しかしそれも時間の問題だろう。魔導蒸気船の普及は進み、船速は目に見えて上がっている。水運の中継地点としてリュヴェルトワールが利用されなくなる日はそう遠くはあるまい。


 その時までに産業や観光資源を整え、エルフ族との対立問題を解決しないとならない。エルグランツにとっては頭の痛い問題だった。


 そんなことを考えていると執務室の戸がノックされる。


「旦那様、ジャンにございます」


「入れ」


 執務室に入ってきたのはトワール伯爵家に仕える執事の中でも若手のジャンだった。金髪に褐色の髪をしたスラリとした青年だ。元は孤児だったが、領内の視察を行っていた際、目端の利くところが気に入りクロームという姓を与えトワール家で引き取った。彼の優秀さは知っているが、家中の雑事を全て取り仕切っている老執事でないことにエルグランツは眉を顰める。


「ボトンドはどうした?」


「いつもの腰痛です」


「そうか。まあそれはどうでも――よくはないのか? ううん、取り合えず何か用件か」


 最近頻繁に体の不調を訴えている老執事の顔を思い浮かべ、エルグランツは首を捻る。


「魔術師がギルドに着任したとのことです。魔術師ギルドから報告書が上がっております」


「ふむ、読み上げてくれるか」


「かしこまりました」


 ジャンはピンと伸びた背筋のまま、魔術師ギルドからの書状を開き、よく通る声で読み上げる。


「導師リュイ・アールマー、昨日付けにて魔術師ギルドに着任」


「ちょっと待て」


 冒頭からエルグランツはジャンの音読を制止した。


「リュイ・アールマー? アールマーと言ったな、それは間違いないのか?」


「はあ、誤字脱字の類では御座いません。シャルロタ婦人のまとめた書状ですし、彼女の仕事に間違いはないと思いますが」


「もしやアールマー商会の関係者か? だとしたらこれはとんでもない幸運だぞ」


「あのう、閣下。続けても?」


 ぶつぶつと独り言ちている主人に、ジャンがおずおずとお伺いを立てる。


「ああ、続けてくれ」


「ええと、続きはリュイ・アールマーの経歴ですね。アールマー商会長、ラッセル・アールマーの長男で」


「げふっ! ごほん!」


 ジャンが読み上げた内容にエルグランツは思わず蒸せた。


「旦那様、お水を」


「か、構わん。自分でやる」


 主人を気遣う若い執事に、エルグランツはそう言って水差しからグラスに水を汲んだ。


「王立魔術師養成所をダントツの首席で卒業、免状を取得」


「ぶふっ」


 エルグランツは口に含んだ水を噴出した。


「旦那様? 大丈夫ですか?」


「す、少し動揺しただけだ。続きを頼む」


「はあ」


 ジャンはほんの少し首を傾げ、続きを読み上げる。


「在学中には多数の論文、術式を開発しており、ロジロタ本国より招致がかかっていたが、上級導師による『不埒な行為』によりこれを拒否。ギルド本部での審議によりリュヴェルトワールへの赴任が決まった――とのことですね」


「ふう――なるほど、ギルド内でのトラブルか。大口の取引先であるアールマー商会から圧力がかかったのなら、リュイ・アールマーを思うようにはできんだろうな。それにしてもなぜリュヴェルトワールなのかがわからんが」


 そう言ってエルグランツは考え込む。養成所を首席で卒業した優秀な魔術師が、魔術がどういう技術かも碌に知られていない田舎町に派遣される意味が分からない。


「報告書はもう一枚ありますね。リュイ・アールマーは聖竜教会による教導を受けられない獣人族や貧困層向けに無償で私塾を開くつもりのようです」


 ジャンが読み上げた内容に、エルグランツはふむと考え込む。


「伯爵家としては有難い話だな。できる限りの支援はしたいところだが――ふうむ、聖竜教会がまた何か言って来ないとも限らん。だが魔術師ギルドに任せきりというのも心証が悪いしな……」


 執務室を左右にうろうろとしながらエルグランツはぶつぶつとつぶやいて考えをまとめる。


「そうだ。エルクラッドを使いにやって手伝いをさせよう。いくらあれがボンクラでも読み書き算術くらいはできるし、リュイ・アールマーの人となりも知りたいからな」


 いいことを思いついたとエルグランツが言うと、ジャンが眉を顰めて首をひねる。


「エルク坊ちゃまを、ですか。大丈夫なんでしょうか、それ」


「あれももう十七だ。いつまでも遊ばせて置くわけにもいかんし、いくらアホだとは言っても、経験を積めば少しはまともになるかも知れんだろう」


 エルクラッドはトワール伯爵家の長男だ。リュヴェルトワールでは若様と呼ばれ親しまれている。人柄は決して悪くないのだが、何せ次期領主としての自覚がない。才覚も並以下で、本人もそれを自覚しているためかのんべんだらりんとした日々を無為に過ごしている


「そううまくいきますかね……」


 ジャンが不安を口にするが、エルグランツは無視する。


「リュイ・アールマーとも面会をしたいが、着任早々ではあちらも身構えるだろう。だが同年代のエルクラッドなら話しやすかろう。人の懐に飛び込むのだけは上手いしな、あれは」


「はあ」


 ハンサムな容姿と人好きのする性格はエルクラッドの唯一と言っていい長所だ。そんな長男を経由して屋敷に呼び出そうというのがエルグランツの魂胆である。


 こうして本人も知らぬ内に、トワール伯爵家の長男、エルクラッドは魔術師リュイ・アールマーと関わることが決まったのである。

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