第11話 未知との遭遇
「ここがヘイジーばあさんの住んでる森にゃ」
レッキ・レックの案内で、リュイはリュヴェルトワールの南端にある森に辿り着いた。
それは自然ありのままの森だ。間伐などの手入れが入っている様子はなく、当然道なども存在しない。リュイはハーフエルフだが、先祖返りで突然生まれたチェンジリングなので、エルフ族が森でどのような暮らしをしているかまでは詳しく知らない。
リュイは王都の図書館にある本で魔術、魔法に関係しそうなものはすべて読みつくしたと自負しているが、エルフ族に関するものは極端に数が少なかった。やはり人族とエルフ族が不仲で、交流がないことが影響しているのだろう。
「確かに結界が張ってあるね。それもかなり高度なものだ」
リュイは森を見て目を瞠った。これは一般のエルフ達が扱う自然霊に頼るものではない。
魔術だ。それもおそらく第五元素を基点としたもの。
エルフ族がどうであるかは知らないが、人族が魔術において扱える――というか認識することができる元素は基本的に一つだ。もっとも多いのが土の元素であり、水、風、火、第五元素の順で数が減っていく。だからと言って魔術師が特定の元素の魔術しか使えないのかと言えばそうではない。
自然界において、火風水土の元素は常に循環している。それを利用して自分の扱う魔力を別の属性に転換する仕組みが確立されている。
その例外が第五元素だ。これまで様々な魔術師がその研究に挑んできたが、四大元素を第五元素に転換する方法――あるいはその逆は発見されていない。
だからリュイは極めて稀有である第五元素の魔術の使い手ではあっても、一般の魔術師が扱えて当然の四大元素魔術は扱えないという特殊な立ち位置にいるのだ。リュイが扱える魔術は属性の関与しない魔術、第五元素を扱う魔術のみ。その第五元素を扱う魔術は大半が失伝しており、リュイが自力で開発するしかなかった。
そしてそれが実現できてしまった。
これこそがリュイが天才魔術師とされ、十六歳の若さで導師の位階を得、“天啓”という二つ名を得た理由でもある。
「どうしたにゃ? 早く入るにゃ」
「いや、感心――というか感動してたんだ。この森に張られてる結界、すごく高度なものだよ。しかもエルフ族特有の精霊魔法じゃない、僕らが扱うのと同じ魔術だ。エルフ族が魔術を扱うなんて――しかもこれは精神に干渉する型の、第五元素の魔術――」
「オタク特有の早口やめるにゃ。何言ってるかさっぱりわかんないにゃ」
呆れ顔でレッキ・レックが言うと、リュイはこほんと一つ咳払いして黙った。
「とにかくこの森を見れただけでもこの街に来た意義があったよ。こんな術が実現可能だなんて――」
リュイの言葉にレッキ・レックが首を傾げる。
「にゃ? リュイはヘイジーばあさんのこと知ってたにゃ?」
「まさか。ここに配属されたのは偶然だよ。でもこんなものを見せられたら聖竜教徒の言う運命ってやつを信じざるを得ないね」
「よくわかんないけどヘイジーばあさんがすごいってことはわかったにゃ。この森は人の手がまったく入ってないから転ばないように足元に気を付けるにゃ。――自分で言っといてなんだけど、人が住んでるのに手が入ってないってのもおかしな話だにゃ?」
「エルフ族の文化はわからないことも多いからねえ」
リュイはそう言って首を捻る。エルフ族が自然霊を崇拝し、オーガニックかつボタニカルかつヴィーガン的生活をしていることはふんわりと知られている。逆に言うとそれ以外のことはよく知られていない。
エルサス聖王国建国以前から人族とエルフ族の関係には深い亀裂があり、交流が途絶えていたからだ。それも数百年以上も昔の話であり、エルフ族がどのような歴史を歩み、文化を育んできたのか、文献が残っていないのだ。その調査や研究に挑んだ学者も少なからずいたが、全て門前払いを食らい、ひどい場合は見せしめに殺されていたりする。それほどに人族とエルフ族の間には深い溝があるのだ。
「ま、とりあえず入ってみよう。ヘイジーばあさんが通してくれるかわからないけど、その時は結界をこじ開ける。魔術だってわかってればなんとかなる」
リュイはそう言って森に足を踏み入れようとした瞬間、
「そこまでです! 魔術師リュイ・アールマー!」
背後から凛としたよく通る声が響いた。
リュイとレッキ・レックは後ろを振り返る。
そこには二階建ての民家の屋根の上に建つ、若い尼僧がいた。
顔に見覚えがある。そうだ、シャルロタから渡された人相書き。絶対に近づくなと言われていた――。
「ヤバいにゃ、シスター・ペトラにゃ」
レッキ・レックが顔を真っ青にしている。そう言えば誰もが口を揃えてシスター・ペトラをまるで化け物であるかのように言っていたが。
「あの、すいませんシスター。屋根から降りてくれませんか。教会が修繕費用を払ってくれるならいいんですけど、いや、よくないんですけど――」
シスター・ペトラが陣取っている民家の住人であろう男性がシスター・ペトラに恐る恐る呼びかけている。
「心配ご無用です! 正義と信仰のためですので!」
そういう話ではない。
「なんとかと煙は高いところが好きってやつにゃ……」
レッキ・レックがぽつりとつぶやいた。まったくその通りだなあとリュイは思った。
「悪しき魔法使いは黒猫を使い魔とするといいますが――ふっ、黒い猫の獣人族を従えているとはまさにリュイ・アールマーが邪悪であることの証明!」
シスター・ペトラが高らかに口上を述べている。意味はよくわからないが、謎の自信があることは確かなようだ。
「おいら、リュイの使い魔になったのにゃ?」
「いやいや、なってるわけないよ。理論上は人間を使い魔にすることも不可能じゃないけど、倫理的にみてタブーの中のタブー。実行したらギルドから追放どころか殺されちゃうよ」
「できるはできるのにゃ。魔術ってすごいにゃ」
リュイの解説にレッキ・レックが感心する。
「そこ! わたくしの話を聞いていませんね! 七大神龍の代行者たるわたくしの言葉を無視するとはなんたる――ええと、そう、邪悪! 邪悪です! 邪悪認定ビーム!」
ペトラはリュイをびしと指さした。ちなみにビームは出ていない。
「――さて、リュイ・アールマー。これからあなたを冥龍ナ・ギルギックの元へ送るのですが」
「聖職者が私刑とかやっていいもんなのにゃ?」
「ダメだと思うけど」
「聞きなさい! その前にあなたにはわたくしの名を知っておく権利があります」
シスター・ペトラはシニカルに笑うと、腕を組んで仁王立ちした。
「ある時は敬虔なる尼僧、またある時は敬虔なる尼僧――はたしてその実態は!」
くるっと回って決めポーズ。
「敬虔なる尼僧、シスター・ペトラ!」
リュイとレッキ・レックの周りにはすでに誰もいない。そしてこの場にいる二人もリアクションのしようがないので、
「リュイ、なんか言うにゃ」
「レッキが言ってよ」
「いやいや、シスター・ペトラが成敗しようとしてるのはリュイにゃ。リュイがなんか言うべきにゃ」
「いやいや、レッキは僕の部下って扱いになってるみたいだから首領の僕じゃなくてまずはレッキの方がなんか言うべきだよ」
「じゃんけんするにゃ」
「それが後腐れないね」
「「最初はグー!」」
「リアクションを押し付け合わないでください!」
シスター・ペトラに対する反応を押し付け合う二人に彼女は怒り心頭、憤怒の形相になった。
「リュイ・アールマー――やはり邪悪、そして邪悪、ええと、あとそれと邪悪ですね……」
「語彙力」
「は? わたくしの語彙力は53万ですが? ともかくこのシスター・ペトラが成敗致します!」
「はあ。罪状は?」
「え?」
「罪状は?」
リュイが問うとシスター・ペトラは硬直する。
「ちょっと待ってください。今考えますので――」
シスター・ペトラは額に手の平を当てて考え込む。
「……ええと」
「はい」
「このシスター・ペトラが成敗致します! 聖竜パワー臨界!
シスター・ペトラは考えることをやめたようだ。ため息をつくとリュイは応戦するため仕方なくワンドを手に取る。
「聖竜ぅぅぅぅぅ! クアドラブルアクセルドロップキィィィィィック!!」
「羊、家猫、ナマケモノ」
シスター・ペトラが民家の屋根を蹴り壊して飛び立ったのと、リュイが呪文を唱えてワンドを振ったのは同時だった。
結果――。
シスター・ペトラ必殺の聖竜クアドラブルアクセルドロップキックはリュイに届くことはなかった。
シスター・ペトラは地面にどさりと落ちて、すやすやと寝息を立てている。
「い、生きてるにゃ?」
レッキ・レックがこわごわとシスター・ペトラの様子を窺う。
「眠ってるだけだよ」
「あの高さから落ちたのに怪我一つなさそうなのにゃ。やっぱり恐ろしい女にゃ……」
リュイがシスター・ペトラにかけたのは眠りの魔法だ。古株の冒険者にかけたものと違ってかなり穏便な術である。それでもあの高さから無防備に地面に不時着したのだから、骨の一つでも折れていそうだが、すやすやと眠っているシスター・ペトラは傷一つ負った様子がない。
「多分竜祈法の効能だね。さてさて、もう少しお灸を据えておきますか」
そう言ってにこりと微笑むとリュイは腰に下げていたポシェットから小さな貴石を取り出した。マカライトの原石だ。
「羊、黒山羊、葦の笛。手錠、牢獄、闇の檻。影、雲、月影、ほうき星。ここに互いの名を明かす。我が名はリュイ・アールマー。汝の名はペトラ・ラブラフカ。
リュイは長い呪文を唱え、マカライトをワンドの先でトン、と叩く。するとシスター・ペトラの額がほのかに光る。
「何したにゃ?」
「ん? まあ簡単な呪いだね。普通ならいたって呪いとも呼べない無害なものだけど、聖職者にはちょっときついかなって感じ」
「えげつないことやったってことだけはわかったにゃ――んにゃ、誰かがこっちに来るにゃ」
そんなことを話していると、レッキが何者かの気配を感じ取ったようだ。気配の主は自分の存在を隠すつもりがないようで、すぐにどたどたと走ってくる足音が聞こえてきた。
「はあっ、はあっ――」
息を切らせて走って来たのは20代後半くらいの青年だった。服装から見て聖竜教の司祭だろう。
「し、シスター・ペトラは――ね、眠っている?」
「こちらに襲い掛かってきたので眠らせました。しばらくは起きないと思いますけど――あなたは?」
リュイがかいつまんで状況を伝えると司祭の青年は真っ青になった。
「ではあなたが論理教の導師リュイ・アールマー殿ですね。この度は我が教会の修行僧が大変なご無礼を働いたようで、教導役として深くお詫び申し上げます。私はバラージュ・ロイド。この街の教会を預かる司祭です」
「なるほど、あなたがロイド司祭でしたか。我々魔術師ギルドとしても聖竜教会とは良好な関係を築きたいと考えております。こちらも若輩の身、どうぞ気安くリュイとお呼びください」
リュイはワンドをしまうと、にこりと微笑んで一礼した。外面全開である。
「魔術師ギルドともめごとは起こさないようよくよく言い聞かせていたのですが、彼女はどうも思い込みが激しく――後日改めてお詫びに伺いますのでどうかご容赦を」
「お気になさらず。こちらとしても穏便に済ませたいですし、彼女のことは事前に聞いておりましたので」
にこにこと司祭に対応しているリュイを見てレッキ・レックは「こいつ怖っ」と思っていた。
「ひとまず、シスター・ペトラはこちらで回収しておきます。しばらくは謹慎させますので――」
「聖竜教の中のことはお任せします。論理教徒の僕が口を出すのはそれこそ差し出がましいというものでしょう」
「ご配慮痛み入ります。それでは、私はこれで――」
バラージュはなんとも言えない悲哀を背中に負い、すやすやと寝息を立てるシスター・ペトラを引きずってその場を去っていった。
かわいそうだなあ、と二人は思った。
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