第5話 魔術師ギルド・リュヴェルトワール支部

 翌朝、船旅の疲れも取れたリュイは魔術師ギルドを尋ねることにした。


 魔術師ギルドリュヴェルトワール支部は冒険者ギルドも近い商店街区に居を構えている。古い建物ではあるが、それなりに大きな建物であったことは意外だった。確か事務員が一人しかいないと聞いていたので、持て余しているに違いない。


「ごめんくださーい」


 そう声をかけて戸を開けると、入り口すぐ右脇のカウンターで三十歳前後の女性が書類仕事をしているのが目に入った。黒い髪をひっつめにした褐色の瞳の女性は、地味だがそれなりに整った顔をしている。ただ書類と睨めっこしているせいか、分厚い眼鏡をかけているせいか眉間にしわが寄っていて、どこかとっつきにくい印象を受けた。


「……。ごきげんよう。魔術師ギルドに何かご用件でも? 生憎在籍する予定の魔術師はまだ――」


 そう言いかけた女性の言葉を遮ってリュイが口を挟む。


「僕がその魔術師だよ。初めまして。リュイ・アールマーです。あなたがシャルロタ・レンデさん?」


「確かにわたしはシャルロタ・レンデですが、リュイ・アールマー? あなたが?」


「はい」


「冗談でなく?」


「冗談ならもっと笑える冗談を言うよ」


 シャルロタはリュイの背格好をしげしげと眺め、


「失礼。成年したばかりの男性と聞いていたものですから」


 そのように正直な感想を述べた。確かにリュイの外見は十六歳にはとても見えない。


「とはいえ導師アールマーが半分エルフチェンジリングであることはそれなりに知られた話ですから、わたしが浅はかでしたね。確認するまでもないことですが免状を拝見しても?」


 シャルロタはこほんと咳払いし、眼鏡の位置を改めてリュイに免状の提出を依頼する。


 リュイは懐からカードサイズの薄い板きれを取り出すと、シャルロタに手渡した。


 シャルロタは受け取ったカード――魔術師としての免状を検めると、ゆっくりと頷いた。


「はい、確かに。こちらはお返しいたします」


 あくまでも事務的な口調と態度で、シャルロタはリュイに免状を返却する。


「――ところでその肩のふかふかした生き物はなんでしょう?」


 リュイが免状を受け取って懐に仕舞いなおしたのを確認してから、シャルロタは努めて平坦な口調で問うた。


「僕の使い魔ファミリアーだよ。昨日の晩うちの庭にいたら懐かれちゃったんだ。それで相性がいいのかなって思って。名前はパッフ」


「ぷう!」


 能天気なリュイの言葉とパッフの元気な鳴き声に、シャルロタはこめかみを抑える。


「なるほど、天真爛漫な方と伺ってはいましたが――導師アールマー。使い魔ファミリア―選びは慎重になさってください。そのような未知の生命体、もし危険な魔物だったらどうするのです」


「危険な魔物と契約を交わせる僕ってすごいよね、で終わる話じゃない?」


 あくまでも楽天的なリュイにシャルロタが嘆息する。


「あなたはご自身の希少性を理解しておられない。第五元素を扱う資質を持ち、王立魔術師養成所は首席で卒業、加えてアールマー商会のご令息であられる。本来ならギルド本部で研究に専念していただくようなお立場なのですから――」


「でもこの街に僕を派遣するって決めたのはそのギルド本部だよ。それに僕は自分のペースで研究したいの。本部なんて窮屈そうなとこ行きたくないね」


「ぷう!」


 リュイの言葉に、パッフが追従するような鳴き声を上げる。この時点でシャルロタの中でのリュイの評価が“面倒な天才”に確定した。


「それから導師って呼び方やめてね、そういうガラじゃないし。リュイでいいよ」


「はあ……わかりました。あなたがそうおっしゃるのであれば」


 シャルロタは規律通り行動することを好むのだが、当のリュイがそれを拒むというのであればどうしようもない。とはいえ魔術師は序列で物事を決めるのを好まないものが多いので、リュイのような対応は珍しくもないのだが。


「ありがと。それで今のところ依頼とか仕事は入ってるの?」


 リュイが問うとシャルロタは首を横に振った。


「残念ながら。この街では魔術自体の認知度が低いです。そもそも今日魔術師――あなたが着任したばかりですから」


「そっか、じゃあまず魔術のことを知ってもらうところからだね」


 リュイがそう言うと、シャルロタの眉間の皺が深くなった。


「くれぐれも軽率な行動をとらないで下さいね。この街は聖竜教会の発言力が強いんです。この支部にしたって、トワール伯爵の強いご要望があったからこそ設立できたんですよ。そうでなければ強引に排斥されています。この建物だってトワール伯爵の持ち物ですし」


「ああ、ここって領主様の持ち家なんだ。道理で広いと思った」


 リュイが納得したように頷くと、シャルロタが眼鏡の位置をくいと直して答える。


「それだけトワール伯爵家は魔術に期待しておられるということです。加えて言えば魔術師ギルド――わたしたち論理教徒と聖竜教徒の対立も望んでおられません」


「聖竜教会は頭が堅いからねえ……魔術のデモンストレーションとか考えてたんだけど」


「やめておいた方が賢明かと。シスター・ペトラが飛んできますよ。司祭のバラージュ殿は温厚な方なのですが、シスター・ペトラはどうにも……あれは災害みたいなものですね。人相書きを後でお渡ししますので、それらしき人物を見かけたらすぐさま距離を取ってください。聖堂にも近づかないように」


「マイアもおっかないって言ってたなあ――そうしておく。聖竜教の司祭とは色々議論してみたいんだけど」


「言っておきますが、ここは田舎ですからね。王都と違って皆保守的です」


 シャルロタがそう忠告する。ましてやリュイはチェンジリング(半分エルフ)だ。聖竜教に歯向かうような真似をしたら村八分になるのは目に見えている。


「そっか、中々難しいね。何か行動する時は都度確認するから思うところがあったらはっきり言ってほしい」


 リュイがそう言うとシャルロタは数度瞬きした。


「何、意外?」


「ええ、まあ……」


 シャルロタが言葉を濁すとリュイはにっこりと微笑んだ。


「これでもアールマー商会の御曹司だよ? 商才がないのはわかってるから跡は継がないけど、それなりの教育は受けてるって」


 それだけ言うとリュイはここなら本の置き場には困らないかな、と屋内を見渡して、それから不意にシャルロタに視線を戻した。


「ところでこの街って識字率はどの程度?」


「識字率、ですか。トワール伯爵もバラージュ司祭も勤勉な方ですから、それなりに高い方だとは思いますが――貧困層や獣人族の労働者には読み書きのできない方も多いようです。正確な数字については……統計をとっているかわかりませんが後日で役所に問い合わせてみます」


「いや、それだけわかれば十分だよ。読み書きできない人がそれなりにいるなら当面の仕事は決まりかな」


 リュイが一人で納得してうんうんと頷いていると、シャルロタが胡乱げな目を向ける。


「何をなさるおつもりですか?」


「読み書き算術を教える。無料でね。智を広めるのは魔術師としての義務だもん」


 リュイの言葉にふむと考え込む。リュイの言葉は確かに一理あるし、魔術を使わずに魔術師ギルドの認知度を広めるには良い方法だろう。


「場所の確保はどうなさるおつもりです?」


「最初はここでやればいいよ。そんなに人来ないだろうし、物もほとんど置いてないから十分スペースがある。あんまり増えるようなら領主殿をせんの――説得して場所を用意してもらおう」


「今洗脳って言いかけませんでした?」


「――気のせい気のせい。とにかくそういうことだから、すぐにでも告知をしないとだよ」

「紙や筆記具の手配も必要ですね。――まあ予算内で十分収まるでしょう。識字率の上昇は街全体の利益にもなりますし」


 書類を検めながらシャルロタはそう伝えた。


「じゃあ僕、家の掃除があるから一旦戻るよ。読み書き教室の件は領主様に報告を上げておいてもらえる?」


「わかりました。くれぐれも治安の悪い区域には近づかないようにお願いしますね?」


「わかってるよ~。平気平気!」


「ぷう!」


 シャルロタに釘を刺されても意に介さず、リュイはドアを開けてギルドから出て行った。


「はあ……悩みのタネが増えそうだわ」


 それを見送った後零れたシャルロタのこの懸念は、当然の如く現実のものとなるのだった。

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