第4話 白いふかふか

 一旦ネムの店に戻って荷物を引き取ったら、それで解散になった。空はもうすっかり黒く塗りつぶされている。王都と比べて夜道は暗い。とはいえ貸し出されたカンテラを持っているし、エルフの形質が現れているリュイは夜目が利くので不便はない。


 貸し出されることになった小さな一軒家はネムの店からそう離れていない住宅街区にあった。


「古いお家だなあ、ブラウニーが棲んでそう」


 二階建ての木造家屋の外観を見たリュイの最初の感想がそれである。なんだって楽しんで生きるのがリュイの信条なのだ。こんな古い様式の木造家屋は王都にはない。王都にいる時は養成所の研究室か王立図書館に籠ってばかりだったリュイにとっては何もかもが刺激的だ。


「埃が大分貯まってそうだから掃除しないとね。ちゃちゃっと払うだけでいいかな。拭き掃除は明日にしよう」


 リュイは水を生み出す魔術が使えない。井戸までの距離はそう遠くないが、汲みに行くのは面倒だ。王都で使っていた使い魔ファミリアーは乗船拒否され、実家で家事手伝いをやっている。


 マイアの話では家具一式は備え付けだと言っていた。お得な物件だ。料理道具一式のついでに掃除用具も用意しておいてくれたそうだからそれを簡易使い魔にすればいいだろう。リュイの目から見てもマイアはよく気のつくしっかりした娘だと思う。あれで縁談がないというのはちょっと不思議だ。大体の女の子は成人する頃にはそういう話が来るものなのだけれど。


 リュイはトランクとカンテラを置いて鍵を開ける。ぎし、という音を立てて扉が開くと、中には予想通り、大量の埃が積もり、ところどころにクモの巣が張っていた。


「よし、始めよっと」


 リュイは上掛けを脱いで腕まくりをすると、入り口のすぐそばに立て掛けてあったほうきとはたきを手にとって、丁寧に床に並べた。どちらもなかなかの年代ものだ。埃が肺の中に入り込まないよう、ハンカチで顔の下半分を覆っておくのも忘れない。


「トカゲ、コウモリ、黒い猫。くるくる回る鳩時計」


 呪文を唱えワンドを振ると、星の砂のような魔力の光がほうきとはたきに降り注ぐ。するとほうきとはたきはふわりと中空に浮かび上がった。


「それじゃあおうちの中の掃除、よろしくね」


 その言葉にほうきとはたきは心得たとばかりにふわりと浮かび上がり、家中の埃を払って一か所に集め始める。この『簡易使い魔ファミリアー』はリュイが養成所に居た頃にゴーレム生成の術式を応用して開発したものだ。ちなみにリュイはこの術式の確立によって魔術師ギルドから多額の褒賞金を受け取っていたりする。


「さてと。その間僕は何してよう。荷物を整理しようにも魔導具に埃がかかったら嫌だしなあ」


 トランクを床に置いたリュイはそんな風に独り言ちた。


 少し考えて、リュイは庭を見て回ることにした。魔術には薬草の類が必要になることもある。栽培できるスペースがあれば儲けものだ。


 裏庭に回ると予想通りと言うべきか、雑草たちが鬱蒼と茂っていた。これは後日農具一式を借りて整備しないと使い物にならないなと判断する。民家の庭にはよく植えられているプラムの樹もあるが、ロクに剪定もされていない。うまく実ればジャムやコンポートが作れるなと皮算用をしながら、剪定ばかりは人に頼むか自分でやるしかないと判断した。


 それより庭が思ったより広いのは僥倖だ。これならば薬草の栽培には十分だろう。近場の森や野原に摘みにいかなければならないものももちろんあるが、貴石の浄化に使そうセージなんかは、これだけスペースがあれば十分確保できるはずだ。


 そんなことを考えながら庭を眺めていると、鬱蒼と茂った草むらの一部がガサっと動くのが見えた。


 野良猫か――あるいは鼠退治のためにこの辺りで買われている猫かも知れない。狸や狐や野犬でもおかしくはないだろう。さてはて何が飛び出してくるか。このまま大人しくしているのならいいのだが、こちらに気付いて襲ってくるかも知れない。あまり大柄な獣のようには見えないが、野生の獣は病原菌を持っていることも珍しくない。対応のためにワンドを手に様子を見守っていると、ふわふわした毛の塊のようなものがリュイに向かって飛びついてきた。


「わわっ」


 毛の塊は小型犬くらいの大きさをしていて、その割に太くてどっしりとした四肢がある。脚の先まで毛で覆われており、爪が引っかかるような痛みはない。被毛はうっとりするほどふかふか。それでいて金色のつぶらな瞳はどこか爬虫類じみているのが不思議だ。いずれにしてもリュイが見たことのない生き物であることに間違いはない。


「わひゃあ」


 謎の生物はリュイに攻撃をする意志はないらしい。むしろ好ましく思っているのか、ざらざらした大きな舌でペロペロとリュイの顔を嘗め回した。


「くすぐったいよ、やめてやめて」


「ぷう」


 リュイが笑いながら抗議すると、ふかふかした生き物は不満げに鳴き声を上げた。


 リュイはふかふかを抱き上げて目を合わせた。


「君みたいな生き物初めて見たよ。一体全体どこからやってきたんだい?」


「ぷう~」


 リュイがそう問うと、人懐っこいふかふかはリュイの顔をぺろりと舐めた。


「うーん、お腹が空いてるの? 何かあったかなあ」


 リュイはふかふかを抱いたまま家の中に戻る。埃はもうずいぶん取り払われていて、服が汚れる心配はなさそうだ。リュイはふかふかを床の上に戻すとトランクを開ける。


 確かおやつにと持って来たくるみのグラッセがあったように思う。紙の袋に入ったそれを取り出すと、甘い匂いに興味を示したのかふかふかの生き物が鼻先をひくひくさせて近寄ってくる。


「食べてみる?」


 リュイはくるみのグラッセを一粒取り出して手のひらに乗せ、屈んでふかふかの鼻面の前に差し出す。ふかふかはグラッセのにおいを数秒確かめると、ぱくりと飲み込んだ。


 それからその味が気に入ったのか、もっともっととせがむようにしっぽを振って前脚でリュイの膝を叩く。


「やっぱりお腹空いてたんだね。たくさんあるからどうぞ。なくなってもまた作ればいいしね」


 くるみのグラッセはリュイのお手製だ。実家にいる時はよく母の料理を手伝っていたもので、リュイは料理が得意だ。くわえて養成所では料理の講義もあるくらいだから、魔術師というのは大抵料理ができる。反面姉は不器用なうえ無精なので、料理などまったくできない。逆に生まれていればよかったのに、というのは母の口癖だ。


「ねえ君、僕の使い魔(ファミリアー)にならない? 少なくともご飯には困らないよ」


「ぷう!」


 リュイの提案にふかふかは元気よく答えた。これは肯定の返事だろう。多分。


「じゃ、さくっと済ませちゃおう」


 リュイはトランクの中漁り、小箱の中から純度の高いアメシストを取り出した。使い魔の契約は高度な術だ。使う貴石については人による。大抵は純度の高いクリスタルが使われるが、このふかふかは格の高い生き物だとリュイの直感が告げている。だから少々値が張るが自身と特別相性のいいアメシストを使用することにしたのだ。


 リュイは手の平に乗せたアメシストをワンドの先でとん、と軽くたたく。


「カラス、コウモリ、黒い猫。首輪、足枷、銀の檻。月、星、太陽、流れ星。ここに互いの名を明かす。我が名はリュイ・アールマー。名付けよう、汝の名は『パッフ』。大いなる神秘(グラン・ミストア)を以って、ここに契約を結ばん」


 そこまで唱えてリュイがワンドを振ると、アメジストが光輝き、放たれた光がふかふか――パッフを包み込む。


 光は十数秒で消えた。金色だったパッフの爬虫類めいた瞳は、リュイと同じすみれ色に変わっている。契約が成立した証だ。


「よろしくね、パッフ」


「ぷう!」


 一日目にしてよさそうな使い魔を確保することができた。契約に満足しているのか、パッフも機嫌が良さそうである。最初にはその辺の野良猫での捕まえようと思っていたのだ。だが相性のいい猫を見つけるのはなかなか面倒なので、幸先のいいスタートだ。


「よし。じゃ、寝床の支度をしよう、パッフ」


「ぷ!」


 リュイはほくほく顔でパッフを伴い二階にある寝室へと向かった。


 リュヴェルトワールでの暮らしは、まだ始まったばかりだ。

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