第3話 青い鳥の止まり木
『青い鳥の止まり木』亭という、少しばかりメルヘンチックな屋号の店。
リュヴェルトワールの西区画、商店街区にあるこぢんまりとしたその居酒屋は、ネム親子行きつけの店である。元々は古い民家だったものを改装したのだそうだ。その民家もネム家の持ち物であるというのだから、ネム家は庶民的に見えて地元の名士であったりするのかも知れない。
「ここの客は行儀がいいから安心なのよ。店主が元冒険者で腕が立つからね」
マイアはそう言った。
古びたドアを開けるとカラカラとベルがなる。店内は意外と広く、カウンターと四つほどのテーブル席があった。カウンターの中では三十歳くらいの男が忙しなく働いている。男はベルの音に気付いたのかリュイ達の方に顔を向けていらっしゃいとよく通る声で呼びかけた。
「ごきげんよう、カクールさん。席は空いてる? 今日は一人増えてるんだけど」
「おう、空いてるよ。なんだいジンクの旦那、エルフのところにも子供をこさえてたのか? あんたみたいのでも若い頃はモテたもんなあ」
「いやだなあ、さすがの俺もエルフを口説く度胸はないよ」
「あちこちに子供こさえてるってのをまず否定しなさいよ、バカ親父」
マイアがジンクの背中を叩く。確かに軽口にしては外聞が悪い。
「しかしまたえらくかわいい顔した坊ちゃんを連れてきたなあ。本当に男か? 人さらいに合わんよう気をつけろよ。景気が悪いせいかガラの悪い連中も増えてるからな」
手はしっかり動かしながらカクールはそうリュイに忠告する。
「まあ本人が大丈夫だって言ってるんだし大丈夫なんじゃない? こいつあたしと同い年の魔術師だし」
マイアが言いながら椅子を引いてカウンター前の席に着く。それに倣ってマイアを挟むようにジンクとリュイも席に着いた。
「ハーフエルフは発育が遅いってのは知ってるが同い年にはとても見えねえなあ。でもまあ免状もらった魔術師ってんならそこいらのごろつき程度にゃ負けねえだろう」
カクールが納得したように頷いた。それを聞いたマイアは小さく首を傾げる。
「――え、魔術師ってそんなに強いの?」
「そらそうさ。ちょこっと呪文を唱えて杖を一振りすりゃあ、それで火やら氷やら雷やら出てくるんだからな。そりゃキメラだとかゴーレムだとか相手にするってんなら話は別だが、街にうろついてるごろつきなんて相手にもならんさ」
「まあ魔術師にも色々いるけど――冒険者になるような魔術師は護身用にそれくらいの術は身に着けてないとおかしいね。まあ、扱える元素にもよるけど」
カクールの言葉にリュイがそのように補足する。研究肌の魔術師は攻撃的な術を苦手とする者もいる。それでも護身用に攻撃魔術の一つや二つ身につけているのが普通だ。ちなみにリュイはというと――。
「で、坊やはどの元素を扱うんだい」
「第五元素」
「――マジか。話にしか聞いたことがないが、なんでそんなレアもんをこんな辺鄙な街に寄越したんだ」
ジンクにビールを注いだジョッキを渡しつつも絶句するカクールにマイアが怪訝な顔を向ける。
「ちょっと話が見えないんだけど」
「ああ、俺も昔の仲間からの聞きかじりなんだけど――」
「ん、いいよ、僕が説明する。こういうのも魔術師の責務だからね。あ、飲み物はレモネードがいいな。あったかいやつ、ジンジャーもちょっと入れてね。はちみつ多めで」
「はいよ」
注文が多い坊ちゃんだな、とぼやいてカクールは飲み物を用意し始める。
「これはあくまで僕ら魔術師――論理教の考え方だってのを念頭に置いてね。聖竜教は違う解釈をしてるから」
そう前置きした上でリュイは説明を始める。
「世界には数多の物体がある。僕らのような生物を含めてね。それらは四つの元素で構成されているっていうのが僕らの基本的な考え方。例えば人間の体で言えば――骨や肉は土の元素、血液は水の元素、体を巡る呼気は風の元素、体温は火の元素という風に。――するとここで一つの疑問に行き着く」
そこまで話を進めて、リュイは厨房にある骨付き肉の塊を指さした。
「あの肉も四つの元素で構成されている。でも生き物ではない。ただの物体だ。じゃあ生き物と物体の境目はどこにあるのか」
レモネードを受け取って、リュイはマイアに言葉を向ける。
「その違いが第五元素の有無なんだ。まだ諸説あるけど心の元素、魂の元素、あるいはエーテルなんて呼ばれたりする」
「昔一緒に仕事した魔術師が言うには、千人いたら使い手は一人か二人って聞いたことあるな。俺も出くわしたことはないぞ」
「そりゃ、みんな研究の方に行くから。未知の要素が多い分野だし、物体の破壊ができないから冒険には向かないし」
「ちょっと待って、頭が追い付かないんだけど――あ、あたしも飲み物、リュイと同じのにしてくれる?」
マイアは頭を抱えて手の平をリュイの方に向けた。
「リュイがすごく特別な魔術師っていうのはわかった。その言葉を信じるならなおさらこんな田舎に来た理由がわからないんだけど」
マイアの質問にリュイはちょっと困ったように笑った。
「それ言うと魔術師ギルドの恥になっちゃうからさ。ギルドとしては少しでも評判を上げたい時期だもん。僕としてもあんまり思い出したくない事件だし――まあ報復はきっちりさせていただいたけどね」
リュイはさらりと少し怖いことを付け加える。
「何したのよあんた――」
「毎夜悪夢に魘される呪いをかけたのさ。凝った術式を全力で編んだから呪われてることすら気付いてないだろうし、解呪も最上級クラスの魔術師に依頼しないと不可能だろうね」
リュイはさらりとそう言った。
「これだから腕のいい魔術師ってのは怒らせるとおっかないんだよ」
リュイの発言を受けて、カクールが軽く肩を竦める。
「呪いって――魔術師ってそんなこともできるの?」
「そりゃ解くことができるんだからかけることもできるよ。聖竜教の懲罰で制約(ギアス)ってのがあるでしょ? やってることはそれと同じ。方法論は大分違うけどね」
制約(ギアス)というのは聖竜教の信徒に課せられる懲罰の一つで、特定の条件を満たすとペナルティが発生すると言うものだ。例えば盗癖のある者に対して「盗みを働こうとすると全身に激痛が走る」と言った呪いをかけることで更正を促すのである。これは比較的軽微な例で、もっと重い制約(ギアス)もあるらしいが、比較的平和なこの国ではそう言った話を聞くことはない。
「この坊主は簡単そうに言ってるが、呪いは高度な魔術だって知り合いの魔術師は言ってたぞ。――ところで坊主、お前さん、肉は平気か?」
「たくさんじゃなきゃ平気」
基本的にエルフは植物性の食品しか摂取しない。祖先帰りでエルフの要素が出たリュイは、肉類を食べることができないわけではない。ただ消化能力が弱いのか大量に摂取すると腹を下すこともしばしばある。
「――じゃああれにするか」
少し思案した後、カクールは再び手を動かし始めた。
「カクール~、俺は肉にしてくれよお」
「はいはい、今用意してるから黙ってろ」
今まで黙って話を聞いていたジンクの間延びした声に、カクールは並行作業を続けながら答える。
カクールは団子状にしたじゃがいもを鍋で茹でながら、青カビのチーズの塊をたっぷりとフライパンに落として溶かす。そこにミルクと調味料、ハーブを加え、はちみつを垂らす。一方でグリルで肉にも火を通している。こちらはローストしただけのシンプルなものだ。大きな寸胴の鍋では豆と野菜のスープが湯気を立てている。
「はい、お待ち」
リュイの前に器が差し出されるには10分もかからなかった。実に手際がいい。ジンクはともかく口うるさそうなマイアも行きつけにするのは納得だ。
素っ気ない木の皿の上には丸めて茹でたじゃがいもの団子。その上には甘い香りを漂わせるチーズのソースがたっぷりとかかっている。ボウルに注がれた豆のスープも具沢山だ。
「おいしそう! いただきまーす」
リュイは口から湯気をはみ出させながら出された食事に舌鼓を打つ。
「おいしそうに食べるわね……カクールさんあたしも同じの」
「言うと思ってたよ」
マイアの言葉にすかさず料理の盛られた器が差し出される。
そうやって食事を楽しんでいると、リュイたちの後ろを通り過ぎる気配があった。
「――勘定」
低い声がカクールに向けられる。
リュイがちらりと背後を見るとそこには大振りの剣を背にする大柄な隻腕の男がいた。漆黒の髪、どこか暗い熱を帯びた青い瞳。立ち上る覇気が、男が強者であることを明確に示している。
男は銀貨二枚をカウンターテーブルの上に置くと、後ろを一顧だにせず店を出ていく。
戦いについては素人のリュイにも、男が只者でないことはわかる。
「今の人、冒険者だよね」
リュイが誰に問うでおなく呟くと、マイアが答えた。
「“隻腕の”ウィード。この街じゃ有名人よ。ドラゴンに挑んで左腕を食いちぎられたって」
「ドラゴンに挑んだの? じゃあ相当な腕前だったんだね」
リュイが食事の手を止めて言うと、カクールが首を振った。
「だった、じゃない。今でも凄腕だ。あいつ、あのバカでかい剣を片腕一本で振り回しやがるんだ。化け物だよ。なんで大した魔物も出ないこんな辺鄙な街でくすぶってんのかわからん。ま、金をいつも余分に置いていくから俺にとっちゃ上客だがね」
ふうん、と首を傾げてリュイはウィードが出て行った扉を少しの間眺めていた。
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