あなたは鏡の外側に
君はかなた。君の名前はかなただ。それ以外の何物でもない、つまらない人間だ。……ああ、怒らないでくれ。事実を伝えただけなんだ。
君は何も気にしなくていい。君が何者で、何が得意で何が苦手で、君が何処に向かっているのか。ただ運命という名の道を、誰かに背を押されながら歩き続けるだけでいい。
ほら、ご覧。向こうから佐藤が歩いて来た。君に用があるみたいだよ?
「やあ、おはよう。今日もいい天気だね」
君は返事をする。
「おはよう。今日は雨みたいだよ?」
「雨だからなんだって言うのさ。雨は天が我々にもたらす恵みの一つだ。晴れと同様曇りと同様、素晴らしい天気だよ。ああ、もちろん雪や台風もそうだよ」
佐藤は空が好きな少年だ。大きな身振りと型に沿うような話し方が特徴。そんなことは、君は知っているんだろうね。
あ、気をつけて。後ろから人が……手遅れだったか。
「いえーい! おっはよー! お、佐藤じゃん。おはよ!」
君の背中に突進してきたのは鈴木。常に動いていないと気が済まない少女。ふふ、背中が痛むかい? 仕方ないさ。彼女と友人でいるのだから、これくらいは我慢しないと。そうだろう?
「ちょっと、痛いよ。あと近いから離れて」
「いいじゃん別に。なんで?」
「近いから離れて」
「むー」
鈴木は納得のいかない顔をしつつ、君から距離を取った。
そんな君たちのやり取りを楽しそうに見ていた佐藤が口を開く。
「おはよう、鈴木。今日も元気だね」
「あったりまえでしょ」
佐藤に向けてピースサインと歯を見せた笑顔を向けた後、鈴木はまた別の場所へ突進した。
「ハッシーおはよー!!」
「ひゃああっ」
数秒後、ガタンッと硬いものが床にぶつかる音と、「うわっごめんっ」と鈴木が誰かに謝る声がした。
「……うるさい」
鬱陶しいと言う代わりにそう呟く、さっきまで机に突っ伏して寝ていた少年。鋭い眼光を鈴木に向けるが、鈴木がそれに気づく様子はない。辛抱強く睨み続ける気は無いらしく、伊藤はため息をひとつ吐き、君達を見る。
「いま何時?」
前髪に隠れてよく見えないが、額が赤くなっている。そこから推測するにおそらく伊藤は、今の今まで寝ていたのではないか?
はは。意地悪を言ったね。そうだよ。彼は寝ていた。でも、どうして本当のことをわざわざ君に教える必要があるんだ?
「もうすぐ先生が来る時間だよ。もしかして、また徹夜でもしたのかい?」
佐藤の問いに、伊藤はもごもごと眠そうな声で答える。
「ん、いや、四時には寝た」
「それはもう徹夜と言ってしまってもいいんじゃないかな。睡眠時間が足りているようには思えないよ」
「だから、今寝てたんだよ」
「あっ、そうか。それもそうだね。失礼した。しかし、先程も言った通りそろそろ先生が来るから起きていた方がいいよ」
「ん……」
かくんかくんと不自然なまでに首を動かす伊藤に、君は話しかける。
「ね、今度は何を調べてたの?」
伊藤はいわゆるオカルトマニア。彼等の通うこの学校の七不思議や、有名どころで言うとUFOやUMAなんかを調べるのが好きなんだそうだ。
「鏡の向こうの、世界のこと」
伊藤は語りたがりと言うよりは自分の世界で全てを完結してしまうタイプ。故に熱く語り出すことはしない。けれどやはり好きなことを語りたいという欲求は、人によって強弱はあれど人間であれば誰しも持っているものだ。視線をしっかりとこちらに向け、ゆったりとしたトーンで、君に語りかける。
「目に映ってる世界は上下逆さって、知ってる? それと似たような考え方で、鏡の向こうが本当の世界なんだって話。こっちは全く科学的根拠なんてないけど」
この話に興味を持ったのか、それとも単に誰かと話したかったのか。鈴木が高橋を連れて、君の側まで再びやって来る。
「何の話してんの?」
「ちょ、スズちゃん、もうすぐチャイム鳴るから戻ろ!」
「ちょっとくらい良いじゃん。ハッシーだって気になるでしょ?」
「え、別に……」
「ほら! ハッシーも気になるって!!」
自由奔放な鈴木と、真面目な高橋。正反対なように見えて、案外いいコンビなのかもしれないね。
「お前、うるさいから、嫌だ」
「えっ! ガーン」
「ほらほら、伊藤もこう言ってることだし、戻りなよ。時間だってギリギリなんだから」
「そうだよ、戻ろ? スズちゃん」
「ちぇー」
渋っていた鈴木が席に戻り、それに高橋が続き、佐藤もやれやれといった様子で自分の席に座った。
君もそれに倣おうとしたところで、伊藤に言葉を投げられる。
「なあ、さっきの話、どう思った?」
****
どうしたんだい、鏡なんて見て。不自然というわけでもないけどさ。
え? 今朝の話? そんなのを私に聞いてどうする?
名前? 君の名前を誰も呼ばないって? 偶然じゃないかい?
……さあ、なんのことだろう。私にはさっぱりわからないよ。
君はかなた。君の名前はかなただ。君は何も気にしなくていい。今日と同じ明日を、繰り返すだけでいいんだよ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます